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緊急事態宣言と法治主義

ご訪問頂きありがとうございます。

1 学士会と學士會会報

 學士會会報という雑誌があります。
 學士會会報は,一般社団法人学士会が発行する会報で,学士会は,いわゆる旧七帝大(北大・東北大・東大・名大・京大・阪大・九大)の卒業生・学生・教員の合同同窓会組織です。

 學士會会報には,毎回,会員諸氏の講演録や論考等が寄稿されているのですが,その中に,私の「違和感」での雑感をより法学的に精緻に説明してくれている論考がありました。

2 京都大学大学院法学研究科教授・曽我部真裕先生の論考

 その論考は,標記のとおり,京都大学大学院法学研究科で教授を務めておられる曽我部先生(専攻は憲法)のもので,學士會会報第942号20頁から記載されています。
 論考の表題は,「権力統制改革における課題」です。

 論考では,1990年代以降に進められた政治改革等により,現在,日本の国政(特に立法府と司法府)に生じている権力統制上の問題についての考察が述べられています。

 その中で,今回の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関連する記述があります。

3 曽我部教授による「法的統制と法治主義」

 以下少し引用させていただきます。

 …「要請」「指導」は,従うかどうかの判断が国民に委ねられるがゆえに公権力の責任の所在があいまいとなり,また,強制力がないので訴訟で争いにくい(つまり,裁判所の出番がそもそもない)。制度上,「要請」「指導」する側の統制が困難な手法なのである。また,法律上の根拠がないことは,事前の国会での議論もないことになり,…政府にほとんど統制を受けない権力を付与することになる(注)。法治主義はこうした事態を避けるための原理である。

注)曽我部教授の論考では,この部分に先立って,日常的な法的根拠のない「要請」に言及されており,この部分の記述はこれを受けたものです。

 教授は,これに続けて,次のように警鐘を鳴らしておられます。

 もちろん「要請」「指導」の手法をすべて否定する必要はないが,日本では法治主義があまりにも軽視されているという印象を持つ。

 拙稿では立法府における議論回避には触れましたが,司法的救済の可能性については視野が及んでおりませんでした。また,曽我部先生の論考は,これ以外にも非常に示唆に富むものとなっています。特に,現下の政治情勢が,いわゆる「政治改革」の流れの結果として生じているとの指摘は興味深いです。

4 「指示」再考

 続けて,以前も少し考えたインフルエンザ等対策特別措置法の「指示」についてもう少し考えてみたいです。

 同法の「指示」については,逐条解説インフルエンザ等対策特別措置法において,次のように説明されています。

 「指示」とは,一定の行為について方針,基準,手続等を示してそれを実施させることをいい,…指示を受けた…者は,法的に当該指示に従う義務が生じる(逐条解説111頁)。
 学校,興行場等の使用制限の支持を受けた者は法的義務を負う(同161頁)

 上記逐条解説の記述を前提とすれば,特措法上の指示は,施設管理者等にとって,法的効力を伴う行為ということになります(ただし,その効力を担保する仕組み(罰則等)はない。)。
 そうすると,「指示」は,『行政処分』と理解することになるのでしょう。

 ここに行政処分とは,「公権力の主体たる国または公共団体が行う行為のうち,その行為によって,直接国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定することが法律上認められているもの」をいいます(最判昭和45年12月24日)。司法試験受験生にはなじみの定義ですね。

 特措法45条3項の指示は,これが法的義務を伴うものであるとすると,事業者の営業を直接に制約するものであり,行政処分にあたるといわざるを得ないように思われます。

 もっとも,これらの前提となる逐条解説の「法的義務」が,どのような理由により説明されるものなのかが示されていないことから,果たして本当にそうなのかが不分明な点に問題があります。

 逐条解説自体,先ほどの「法的義務を負う」に続けて,次のように述べます。

 …罰則による担保等によって強制的に使用を中止させるものではない

 上記の説明は,特措法45条が補償規定を持っていないことの説明として出てくるものですが,「法的に義務を負わせるものではあるが,強制するものではない。だから補償は不要。」というロジックは腑に落ちるものとは言えません。

 法的義務とは強制されるべきものという価値判断を内包しており,上記の説明は一文の中で相互に矛盾しているのではないでしょうか。

 また,補償不要の他の説明の中には,

 本来危険な事業等は自粛されるべきものであると考えられること

との記載もあります。「自粛」がパワーワード化しています。感染症蔓延との関係で,本来的に危険性を要する事業と考えられることから法的にこれを禁止または制限するものである…ならまだわかりますが,「本来自粛されるべき」というのは,補償不要との価値判断先行なのではないでしょうか。

5 指示=行政処分とした場合の問題

 もっとも,指示が行政処分,それも不利益処分(行政手続法2条4号)なのであれば,行政手続法に則り,告知・聴聞の機会(最低でも弁明の機会)を付与し(同法13条,15条~31条),理由の提示(同法14条)もなされなければなりません。

 ただし,告知・聴聞や弁明の機会の付与は,緊急の場合などには省略可能とされ(同法13条2項),理由の提示も同じく差し迫った必要がある場合には省略できるとされています(同法14条1項ただし書き)。

 もう一つ,行政処分にあたるとすることにより大きく変わるのは,当該行政庁の行為を,審査請求(行政不服審査法2条)ないし抗告訴訟(行政事件訴訟法8条以下)で争うことができるようになる点です。

 もっとも,これにも問題があります。緊急事態措置がいつまで続くかはわかりませんが,仮に処分(指示)の取消訴訟を提起したとしても,その口頭弁論終結時まで指示が維持されているとは到底考えられません(もしそうなら日本経済は壊滅するでしょう。)。そうなると,指示が終了した時点で,訴えの利益が喪失し,訴えは却下されてしまうことになります。

 そして何より,現在の緊急事態宣言下では,司法の働きに期待することもなかなか難しい状況があります。

 さらに,より根本的には,特措法の指示がそもそも行政処分にあたるのか,この点についての裁判所の判断が現時点では不明です。強制力を伴わない点から直接に権利義務を形成する性質のものではないとして,処分性が認められない可能性もあります。

6 最後に

 曽我部教授の論考に戻ります。
 特措法上の要請やその先に定められている指示は,法的根拠はかろうじて与えられています。しかし,その不利益性に対する配慮は到底十分なものとはいえません。逐条解説でも,「権利の制約の内容は限定的」で片づけられています。

 このあたりは,「事前の国会の議論」の不十分さを物語るものといえそうです。

 そして,今般の事態は,とても「権利の制約の内容は限定的」とはいえない状況を明るみにしたといえるのではないかと思われます。

 ことの性質上,処分性を明確にしたとしても抗告訴訟はその救済手段として十分とはいえません(執行停止等の手続を併用する方法もあるにはありますが。)。国民に生じる権利制限の程度や重大性,法の想定する緊急事態の特質などを子細に吟味し,簡易迅速な審査請求の制度を別途法定するなどの議論があってしかるべきではないでしょうか。

 緊急事態宣言が延長され,国民経済の受けるダメージは深刻化しています。また,いったん宣言が解除されても,この先,第二波・第三波が訪れる可能性は否定できません。

 そういう意味では,今からの議論でも決して遅くはないと思われます。

※追記
曽我部先生が論考を公開されました。
京都大学のレポジトリで読むことができます。


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