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Plug-in 1000 Reflections
------ 音楽に限らず、ある時間軸に沿ってモノを組み立てていくことは、要素要素が織り成す運動の動線を、ひと連なりのものとして導き出すことだ。 形式に反映されることで現出する心。 モノの対応関係をみて、呼吸の出来る間を置き、輪郭を掴む。 限定的な枠組みの中で、本来的な感覚を探る。コンピュータを手段としていると、かえって如実にそうした面が意識されるようだ。 音楽は音符のひとつひとつに備わっているのではなく、それらの関係性と時間経過に伴い立ち表れる。連続的変化によって形を成すものであると同時に、常にその瞬間にのみ生じている感覚をロードし続け、その「場」のみの時間感覚を、木霊(こだま)のように満たす。 モノ/運動を通して展開される時間の相。 そこに投影される感覚世界に統一的な<像>を捉えることは、<原初的な無時間の何か>へと回帰することにつながっていく。時間の流れを超えて、ただひと触れの印象のみがあるというような… 心は中空の中心から放たれる。 ドーナッツの穴みたいに、本質が何も「無い」のだとしても、ゼロ地点を想定することには意味がある。方向性が生まれるからだ。 そのベクトルが示す、シンプルな運動の中に、ひと息に収まる身の丈のスケールがある。
Small Big Leisure
------ 私は日々一進一退をしながら制作にあたっている。 限られた領域の中で物の出来ばえをどう高めるかに腐心しているけれども、同時にパズルのような作業工程そのものに没入することを目的としている面がある。ただ無心に手を動かす中で、立ち返るべき原初的な感情にアプローチできるか否か。 精神の源にはいつも古い記憶が川のように流れていて、そこからやってくる何かが、かねてより自分を創作行為へと駆り立ててきた。あるべき立ち居振る舞いを思い出させ鼓舞するマーチのようなものだ。 そしてそれは、よく行方をくらます。だから何度でも、馴染んだ形式の上に再現しようと試みる。 素材を加工し、組み合わせる。解体と再構成を繰り返す中で心地良い型・パターンを見い出す。それらは断片的な記憶のよぎりと作用し合いながら、無意識にシャッフルされ、洗い出される。同時に数理的な処理と取捨選択があり、パターンは因数分解的にくくられていく。緩やかに蛇足を残しながらも、モノ自体がシンプルに求めるところに従い、見晴らしを良くしていく。 そのようなプロセスを通して、型にはまった表面的な感情や意識はふるいにかけられ、後景に退いていく。周囲のにぎやかさに包まれながらうつらうつらとまどろむ状態にのみ存在する音楽がある。蜜蜂の羽音のように訪れる気づきに、日常に隠れた隙間と奥行きを垣間見る。またすぐ空気に溶けていってしまうけれども。 何はともあれ、モノの形をどうこしらえるかが肝心だ。それが軽みと運動感を備えるにつれ、心もまたそうなるといい。 楽隊は空高く開けた広場を通り抜けていく。