今更すぎる自己紹介|#52
こんばんは。こひまるです。
毎日noteも早50日以上、これだけ続くとは正直自分でも思っていませんでした。たくさんの方々から見ていただく機会・スキをいただく機会も増えたので、ここらでひとつ、今更ながら自己紹介を。笑
自分史がメインになりますが、良かったら見てやってください。
[0] 好きなモノ・コト・ヒト
といっても、「私あなたのことなんて知りませんけれども…」という方も多くいらっしゃるかと思います。ですので、簡単に好きなモノ・コト・ヒトなんかをご紹介していこうかと。
ぶわーっと羅列していくので、もし「お、似ている」とか「もっと知りたい!」と思われる方は、[1]以降もご覧いただけると嬉しいです。
◆好きなモノ
イラスト/デザイン/海/自然/旅行/家族/映画/帽子/ムーミン/サンリオ/かえる/緑/Mac/ショートカット/夢/絵本/温泉/サウナ/お酒/チーズ/ピザ/パスタ/海鮮/瓶/万華鏡/ボールペン/グラフィティ/YouTube/Twitter/なんJ/引っ越し
◆好きなコト
体を動かすこと/新しいことを始めること/たくさん笑うこと/絵を描くこと/文章を書くこと/歌を歌うこと/何かを組み立てること/会話すること/議論すること/運転すること
◆好きなヒト
変わっている人/何かを継続できる人/日々挑戦している人/自分にはないものを持っている人/尊敬できる人/面白い人/センスのある人
ちなみに、今回のアイキャッチはさくっとアナログ+デジタルで描いてみたのですが、気持ち本人に寄せています。多分こひまるのことをリアルに知っている人だと雰囲気が多少なりとも似ている、と言ってもらえる…はず。
※最近急激に、ベレー帽の魅力に取り憑かれました。
*
[1] 青森県時代
そんな私ですが、そういう星のもとに生まれたのか、各地を転々として過ごしています。振り返るのであれば、一番長く過ごした青森県時代から。
青森県は生まれ故郷、生を受け18歳まで自然に囲まれながらのびのびと過ごします。いわゆる、高校までは実家だったよ、といったところです。
最寄りの溜まり場はマクドナルド、家からは実に徒歩30分以上かかるような、そんな田舎に住んでいました。
運動神経が良かった私は、
・小学校グランドホッケー(全国大会出場)
・中学校陸上(短距離で郡大会)
・高校女子サッカー(東北大会出場)
などなど、高校までの運動では華々しい経歴を持っています。(青森の人口の少なさと、マイナースポーツであったというだけということは内緒。)
運動の他にも、ピアノ・書道なども長く習い事として通っていたり、普通高校で成績は悪い方でなかったりと、文字通りの文武両道の道を歩んでいました。
人前に出ることも緊張しないタイプだったので、リーダーやら学級委員やらを進んでやるような人間だったように思います。
文字に起こすと、相当ハイスペックスチューデント。笑
人一倍好奇心が旺盛だった私ですが(部活を小中高変えているのも飽き性極まりなさが見える)、同時に良い子ちゃんでもあった私。
進学時は「親に心配かけないように県内のそれなりの国公立大学に入っておこうか」「でも、このまま県内に進学したらこの後県外に出られるだろうか…」と葛藤していたことをよく覚えています。
そして、CMを作りたいという理由から、北海道のとある国公立大学へと進学するのです。
*
[2] 北海道時代
大学の4年間と、新卒入社してから2年間、計6年間北海道に住んでいました。北海道は私にとって第二の故郷です。
実は、県外に出るならと考えたとき、芸術・デザインが学べる国公立大学且つ私の偏差値でいける学校の候補は2校でした。その候補がまさかの北海道か沖縄。暑いのが苦手ということと、実家に物理的に近いということで、北海道を選びました。大学は無事推薦で合格。
在学中は、メディアデザインを専攻していたので、主にデジタル・アナログのものづくりやコンセプトづくりを考えることが多かったです。
近しい領域でいうと、広告・イベントのプロデュースなどなど。Adobeでいうところの、Illustrator・Photoshop・InDesign・Premiere・After Effectsなどを触ったりしていますた。
が、当の本人は映画ばっかり。(一応ダンスもやっていました、というかどうしてCMを作りたいという理由で入学したのに作らなかったんだ…。)
主に裏側メインで動いていましたが、映画祭のスタッフをやったり、中学生と映画を撮るワークショップのスタッフをやったり、実際に自分たちで撮ってコンペに応募していくつか入賞させていただいたり。
映画を頑張っていたかと思えば、卒業論文はタトゥーについて研究をしたり。
マルチ・ポテンシャライトな私は、「このまま映画の世界に足を踏み入れて良いのだろうか」と、大学4年になって迷い出します(遅い)。
マルチ・ポテンシャライトについて語った記事は以下より。
かくかくしかじかあり、映画業界は諦め、まさかの大手アミューズメント企業に就職するのです。
良い子ちゃんの私は、出世コースまっしぐら。正直、仕事も楽しかったし当時の時点では何不自由なく過ごしていたわけですが、ネックが2点。
1つは、転勤が多いこと。店舗での接客、私はこの2年間で4回も引っ越ししました。新生活が大好きなので全く苦ではなかったのですが。
そしてもう1つは、想像していたよりも朝早く、夜遅い仕事ということ。早番は6時出勤、遅番だと深夜3時を回ることも。
結婚願望のある私は「これは結婚なんてできない…!」と思い、若いうちに関東での仕事の経験をしたいという願いもあったことから、仕事を退職、当時お付き合いしていた彼と二人で無職で関東進出・同棲を始めるのです。
それはそれは、愛の逃避行と言われても仕方のない状況です。(まあ結果、結婚はできなかったのですが、虚しいのでこのお話しは終わります。笑)
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[3] 東京都時代
そして、転職先は大手IT企業の営業職。営業職を選んだのは、人と関わる仕事が好きだったことと、また以前適職診断なるものを受けたときに、圧倒的に営業が向いている(なんなら、他は何も向いていないぐらい偏ったグラフ)という結果だったことを思い出したためです。
仮に何か自分自身で今後、フリーランスや起業するにあたっても必ず営業力は必要になるので、スキルを身に付けたいという気持ちもありました。
そしてここからは3年間、びっちり営業漬けの毎日。私のいた部署は、まだまだ新規開拓の余地があったため、新規営業メインで既存のお客様も持つという感じ。地場大手〜地場企業メインでの営業。
ざっくり言うと、新規で自分で獲得してきた会社は、自分の既存になるため、頑張れば頑張るだけ自分の負担が増えていきました。慣れるまではこれが辛かった。
1社うん100万/月、みたいな売上のお付き合いは無かったものの、地場の企業がクライアントとなると特にお金はシビア。手取り足取り、じっくり時間をかけつつも、勢いも忘れないという営業スタイルで2年目以降は毎月目標数字を達成できるほどになりました。
社内ベンチャー制度を積極的に行なっていた会社だったため、最終出社日に社長の前でプレゼンする機会をいただいたりと。
ここも素晴らしい会社で、今でも繋がっている方がたくさん。とても良い経験ができました。ただ、私は3年間こっきりの契約社員での登用。続投のお話しもいただき、人がとても良い会社で名残惜しかったのですが、3年間と決めていた自分に嘘はつかず、ありがとうございますと伝え退職しました。
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[4] これからのこひまる
今の肩書きは、ちょこっと絵が描けて、文章が書けて、映像が作れる、好奇心旺盛な独身無職です。コミュ力高め、一応営業もできます、ぐらい。
これといって「完璧だ!」ということが無い宙ぶらりんな私ですが、やりたいことがたくさんあるというだけで決してマイナスではない。
次にやりたいことは、文字を書くこと。ようやく巡り巡って「もしかしたらこれ楽しくて続けられるかも」と思うようになっている次第です。そのために練習としてnoteを書き綴っている、という節もあります。
今月から新拠点での新生活をスタートさせることも決まりまして、絶賛ワクワク中。久々の一人暮らし、そして今回で記念すべき10回目の引っ越し。年に一度引っ越している計算、引っ越しすぎ!笑
失うものは何も無い、なんて清々しい気分の私です。次のお仕事も、noteに良い影響を与えられたり、またnoteが次のお仕事の良い影響になればなあ、なんて思ったりしている今日この頃でございます。
以上!
自分語りなので長くなると思ってはいましたが、もう3,500文字にもなる…。
ここまでお読みいただいた方、本当にありがとうございました。
近しいなと思っていただけた方、陰ながら応援したいな、など思ってくださる方などいらっしゃいましたら、スキいただければ幸いです。私も陰ながらnoteを拝見しにいきます。笑
それではまた明日!
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