去年のGWに9日間で日本を縦断した話
去年(2019年)のGWにロードバイクで九州の最南端 佐多岬から北海道の最北端 宗谷岬を目指した。
理由は、夏にフランスで開催されるPBP(※)に参加する予定となっており、そのリハーサルとして同じ装備で走ってみて、必要品の過不足を確認しておきたかったため。
※「Paris-Brest-Paris」の略で、ブルベ(仏:Brevets)と呼ばれる自転車によるロングライドイベント。世界中のブルベライダーの憧れで、総走行距離は1200km
本企画の元ネタは、日本のブルベ団体であるオダックス埼玉が4年前に開催したこちらのブルベで、総走行距離はなんとPBPの倍の2400km!
http://baj.audax-saitama.org/home
この途方もない距離が本戦のリハーサルとして十分であることはもちろん、九州から北海道まで一筆書きで走破するというルートには、縦走好きには堪らないロマンを駆り立てられた。
折しも去年のGWは改元により10連休となることが決まっていた。こうなれば旅立ちはもはや必然。
倍の距離走っときゃ間違いないでしょ~、辛くなったらレンタカーに切り替えちゃえばいいし♪ と、いつもの楽観主義を全力で発揮し、鹿児島までの往路と稚内からの復路のエアチケットを予約した。
1.プロローグ
2019/4/26
16:30 GWにフライングして午後から半休を取り、バイクと縦走装備一式を持って、羽田から鹿児島へ飛んだ。
19:00 鹿児島空港からバスでまずは指宿へ向かう。
今回、実はちょっと悩んだのがスタート地点である佐多岬への移動手段。九州最南端といえばそれなりのブランドだと思っていたため、直前まで何らかの公共交通機関を使えば良いと気楽に考えていた。ところがいざ確認してみると空港から佐多岬までの直行バスは無く、電車の最寄駅もない。
色々調べた結果、まずは金曜日に指宿に入り、翌朝8時のフェリーで対岸の根占に渡るのが、一番楽かつ時間的なロス無く近づけそう。しかしそこから佐多岬まではさらに35km。ここの移動をどうするか。
①公共バスは一応あるけど、本数が少なく乗り継ぎも悪い。また到着地も佐多岬ではなく6kmほど離れた町になってしまうため、佐多岬のスタートが夕方近くになってしまう。
②佐多岬まで行く観光バスも運行してるけど、これは完全に観光を目的とした周遊バスのため、途中下車は不可。念のため電話で問い合わせてみても、周遊ツアーとして届け出ているため例外は認められないとお役所的な回答...。
③自走すると当然片道35kmの追加。これから2400kmを走破しようというのだから、誤差の範囲と思いつつも、行った道をまた帰ってこなければいけないため、気持ち的にあまりやりたくないのが正直なところ。
とは言え、③にせざるを得ないかな~と諦めかけながら、選択肢を潰しておくつもりで地元のタクシー会社に電話してみたところ、何と昨年は佐多岬の展望台がリニューアルオープンしたため、市が観光キャンペーンを開催中。フェリーに乗った乗船券を示せばタクシー代が9千円も割引になるとの事!通常ガイドタクシーは1万5千円らしいので、割引後は6千円で時間的なロスなく、かつスタート地点まで連れて行ってくれる。
という事で、時間と手間をお金で買うという大人の選択肢④をあっさりと選択し、当日の指宿のホテルと翌日のタクシーを予約していた。
21:20 ホテル到着!部屋は広々~
明日、フェリー乗り場までは自走で向かうため、早速バイクの組み立て。飛行機運搬による損傷等も無く一安心。
温泉で英気を養い、願掛けに最後の一本。これから先、ゴールまではノンアルコールとなる。
23:00頃就寝。
2019/4/27
出発の朝。快晴!
バイクケースは、辿り着ける前提で予約済みの稚内のホテルへ発送。これから2400kmかけてこいつを取りに行く。
7:00 お世話になったホテルを出発。
7:30 フェリーに乗船。
8:00 出航!
噴煙を上げる桜島が見える。
日中は暑くなりそう。
8:50 根占港に到着。
タクシーに俺の目的を伝えて置いたら、バンで来てくれたため、自転車をバラさずに乗せられた。「みさきタクシー」さんに大感謝♪
ガイドも兼ねるドライバーの軽妙な観光案内を聞きながら佐多岬を目指す。曰く、佐多岬は昔は私有地だったため、自転車ではアクセスできず、自動車も通行料が取られたらしい。そんなことも現在のアクセスの悪さの一因になってるのかも...。
10:00 佐多岬に無事到着。
ドライバーに割引のための乗船証明と6千円を渡すと、何と「私からの選別です。日本縦断頑張ってくださいね。」といって、そのうちの数枚を返してくれた。一瞬遠慮しかけたけど、その心遣いが嬉しくて、ありがたく受け取り、財布とは別にして大切にしまう。これがこの旅のお守りになる。
とは言え、旅はまだスタートラインに立ったばかり。感傷的になるのはまだ早い。
早速バイクを日本縦断仕様に変身!
スタート前の記念撮影。
南国の暖かな日差しが降り注ぐ。周囲では家族連れや仲間同士の観光客がノンビリと九州最南端の景色を眺めている。
バイクグローブをしてゆっくりと自転車にまたがる。
「さて、行きますか。」
ここからは一人きり。ともに走る仲間も、サポートも、エイドスタッフもいない。
その本当の厳しさを、その時の俺はまだ知る由も無かったんだ。
2.勇躍の九州・四国編
「勇躍」:勇み立ち、心が躍ること。
11:30 いよいよ最北端へ向けて出発!
南国らしい植生。適度なアップダウン。真っ青な空と海。スタートの高揚と相まってテンションが上がる。
北緯31度はエジプトのカイロやインドのニューデリーと同じらしい。
何と目的地までの看板が早々に!
宗谷岬は北緯45°らしいので、これから緯度14°分を北上することになる。
ウキウキとバイクを漕いでいると、「ジャッ ジャッ」っと後輪から異音がし始める。バイクを止めて確認すると、サドルバックが重すぎて下がり、タイヤに擦っている...。
タイミング良く現れたスーパーの駐輪場にピットインしてテンションを再調整。すると偶然にも目の前に「日本一周」を掲げたロードバイクが!
ちょうど持ち主が買い物を終えて店から出てきたので話しかけてみる。曰く一年前の秋に埼玉を出発。北海道まで上がってから南下してきて、さっき佐多岬に到着。これからまた北上して夏頃に青森あたりでゴールする計画との事。
生活用具一式を大きなツールボックスに積んで、基本は野宿。電源はソーラーパネルで賄うというヤドカリ型移動スタイル。一日の目的地も特に決めず、気に入った場所があれば移動せず連泊することも良くあるらしい。
一方、俺は必要最低限の装備で一日のほとんどを移動に費やすライト&ファストスタイル。彼が3ヶ月以上をかけて目指す青森に、順調なら6日後には到達する予定。あまりのスピード感の違いに思わず顔を見合わせて笑ってしまう。
移動スピードが違えば、見える景色も、生まれる出会いも随分違うんだろうな...。目の前でのんびり日向ぼっこを始めた彼が、何だか少し羨ましくなる。
本当はもっとゆっくり話していたかったけど、俺の旅はまだまだ始まったばかり。それぞれのスタイルにエールを送りあい、握手して再スタート。
朝、フェリーで着いた根占港を通過。ここからはいよいよ初めての道。
桜島を望みつつ鹿児島湾を北上していく。
と、ここで道路沿いにバイクショップを発見したので立ち寄る。
飛行機輪行の場合、タイヤが気圧差で破裂しないよう預ける際に空気を抜いておく。昨晩、組み立てた際にハンドポンプで入れてはいたけど、適正気圧には少し不足していたので、どこかでキッチリ入れたいと思っていた。
ちょうど店員さんがバイクの整備をしていたので、空気入れを借りたい旨伝えると、俺のバイクをチラッと見て「コンプレッサーで入れるから中へどうぞ」と。
当たり前のように俺からバイクを受取り、天井からぶら下がったホースで空気を入れ始める。
「どこまで行くんですか?」
「一応、北海道を目指そうと思ってます。」
「それは長旅ですね~。じゃー、ちょっと空気圧、低めにしておきますね。明日から天気が崩れるらしいので、お気をつけて。」
淡々と、でも慣れた様子で作業をすると、バイクを表まで出してくれる。払おうとした工賃は、これまた当たり前のように受け取ってはもらえなかった。
17:30 宮崎県に突入。
ここから都城を抜け、宮崎百名山の青井岳の麓を越えて、宮崎市へ降りていく。
そして最初の夜が始まる。
上り基調のアップダウンを時折ダンシングを交えながら、ジリジリと標高を上げること約2時間、今日の最高標高地点を越えて、宮崎市内までは約30kmの下り。
気温も大分下がってきた。市内に入ったら大好きなゴボウ天うどんを食べると決めて、ペダルを漕ぐ足に力を込める。
九十九折の下りを快調に飛ばしていると、ちょっと大きめの段差にバイクが跳ねた瞬間サドルの下辺りから「ガコッ」という音がした。
「ん?」とサドルの下に手をやってみると、何と今度はサドルバックのスタビライザー(揺れ防止金具)が外れて、ブランブランしている。
慌てて側道の広くなったところに停めて確認すると、ダンシングや段差の振動で取付け部が外れてしまっている。とりあえず破損ではないことに安心し、取り付けなおして再スタートするも、又すぐに外れてしまう。
取付けはサドルのレールをアタッチメントで挟み込んでいるだけ。もともとそれほど相性の良いパーツでは無かったことに加え、一度外れたことで噛み合わせ部が若干舐めてしまったらしく、どんなに強く締め付けても、少しの衝撃で外れるようになっちゃった...
幸い時刻はまだ20時、市内まで行けば補修パーツを入手できる店があるだろうと、スタビライザーを完全に外してショルダーバックで背負い、ゆっくりと下っていく。
市内まであと5kmの地点で、期待どおりのDIY専門店を発見!
結束バンドでガッチリ固定し一安心。やはり結束バンドやビニテといったオールマイティな簡易補修材は必携。PBPの装備リストにもしっかりとメモ。
22:00 勝手知ったる宮崎市内へ。
お待ちかねのうどん♪
2019/4/28
1:30 日付が変わり、宮崎のメジャーサーフスポット、金が浜に到着。連休初日という事で、ポイント目の前の宿も満員御礼。
ここで改めて行程を確認する。
佐多岬からここまで220kmを14時間。今日の目的地となる大分県臼杵市のフェリー乗り場までは残り110km。その間、標高差200mほどの峠越えが3つ…
単純に割れば、あと7時間ほどで着く計算。だとすると8:50発のフェリーがある。逆にそれを逃すと次は12:40になるため、待ち時間が長くなってしまう。
ここまでサドルバックやスタビライザーの不調によるタイムロスがあったとはいえ、これからは疲労によるスピード低下との相殺になる。しかも夜間の峠越え。決してのんびりしている暇はない。
真っ暗闇の峠道を、自分のライトの灯りだけを頼りに進む。
漕いでも漕いでも終わらない。でも止まったら二度と動き出せなくなる気がして、必死で足を回す。
4:20 大分県に突入。ここからは待ちに待った下り。
そして空が白み始める。
長かった夜が明け、久しぶりのコンビニで一息つく。残り30kmを切った。
7:30 フェリー乗り場に到着!しかも一つ前の7:45発に間に合った。これは嬉しい誤算♪
九州に別れを告げ、フェリーの通路にシュラフカバーを広げて潜り込む。約2時間の貴重な仮眠タイム。
【Day1】
鹿児島~宮崎~大分
走行距離 332km
総距離 332/2367km
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10:10 愛媛の八幡浜に入港。
四国は世界に誇るサイクリスト天国。ほぼ全ての一般道にサイクリングロードを示すブルーラインが引かれている。
横になって完全に落ちたことで、頭も身体もかなり回復した。
本州への架橋となるしまなみ海道へ向けて、瀬戸内海沿いに北上開始。
気持ち良い海岸線♪ なんだけど実は結構な向かい風...
明らかに南下してくるサイクリストの方が多く、北上するしかない俺にはかなり恨めしい。
松山を通過すると、今治まではあと少し。
16:20 しまなみ海道の入口となる今治に到着!
広島の尾道までは約70km
俺にとってしまなみ海道は、数年前の結婚記念日に妻と渡った思い出の道。当時の記憶を思い出しながら、順調に島を渡っていく。
海鮮BBQをした道の駅。今回は急いでるし一人なのでスルー
伯方の塩ソフトを食べた道の駅。以下同上...
おっと、ここは今回の安全祈願も兼ねて行っとかないと。
18:00 大三島と生口島にかかる多々良大橋にて県境を越え広島へ。いよいよ本州に入った。
そして瀬戸内に日が沈む。
実はこの時、俺はちょっとした勘違いをしていた。というのも妻としまなみ海道を渡った際には、本州への上陸はフェリーを使ったため、今回もてっきりそうだと思い込んでおり、最終時刻の22:00に間に合うよう必死で急いでいた。ところが実際は尾道大橋を使うルートが設定されてため、全然急ぐ必要は無かった上に、若干遠回りもしてしまった。
敗因は、思い出に浸りすぎたことか...
という事で本ルートに復帰した頃にはすっかり日も落ちていた。
20:30 無事正規ルートにて尾道に上陸。
しかし約2時間の仮眠で向かい風のしまなみ海道を爆走してきたため、流石に疲労と眠気が限界に。
21:50 ちょうど八幡山港から200km地点の福山にマンガ喫茶があったので、迷わずピットイン。
ありがたいことにシャワーがあったので、2日分の汗と埃を洗い流す。併設のコンビニで大盛りパスタと唐揚げを買って、コーラで流し込むように食べる。
硬いマットも今の俺には羽毛布団のようにありがたい。横になった瞬間、気絶するように眠りに落ちた。
【Day2】
愛媛~広島
走行距離 200km
総距離 532/2367km
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3.極限の本州 前編
「極限」:ものごとの限度ギリギリのところ。
2019/4/29
3:30 福山のマンガ喫茶を出発。
今回の旅ではホテル等の宿泊施設は予約していない。一日300kmを目安に走り、良さげな仮眠場所があればそこで寝る計画。一応、屋外でのビバークに備えてシュラフカバーも携行した。
選択肢としては快適性の高い順に、マンガ喫茶や日帰り温浴施設 ⇒24時間営業のコインランドリー ⇒東屋や屋根付きのバス停 ⇒露天ビバーク。
ただし仮眠前後の所要時間となると、その順序は逆転する。コインランドリー以下は傍らにバイクを置いて横になるだけで寝る体勢になれる。一方、マンガ喫茶や温浴施設の場合、基本的に施設内にバイクを持ち込めることはほとんど無いため、それなりのセキュリティ対策が必要になる。
財布を落としても戻ってくる我が国の安全性とバイクを目の届かないところに置く不安を天秤にかけた結果、車体は地球ロック(ワイヤーで電信柱やガードレールといった固定物に繋ぐ)して、サドルバックの中身とライトやGPS、サイコンといった付属パーツは取り外して施設内に持ち込む事にした。なので、その着脱にそれぞれ15分、計30分ほどが余計にかかる。
昨夜のマンガ喫茶の場合、22:00に到着し、翌3:30に出発しているので滞在時間は5:30。ここから上記の着脱時間に加え到着時のシャワーと食事、出発時の洗面や着替えにかかる時間が引かれるので、実質仮眠時間は約4時間。この仮眠の快適さと時間をどうバランスさせ如何に効率的に体力を回復するか、が今後の行程では重要なマネジメント要素となっていく。
4:45 岡山に入る。
今後の行程は、このまましばらく東へ横移動して兵庫へ入り、姫路から徐々に北上して日本海に抜ける予定。
早朝の住宅街は人通りもほとんど無く走りやすい。
またブルベコースをトレースしているため、基本的に車通りの少ないルートが敷かれている。全ての道を下見したというコースディレクターには大感謝。
7:50 岡山駅通過。
後楽園と岡山城。
8:30 吉野家で朝ごはん。
補給は、基本はコンビニやファストフードのチェーン店。タイミングは5時間毎を目処に休憩も兼ねて座ってしっかりと食べ、その間は空腹感と眠気(食べ過ぎると眠くなる)の度合いでパンやおにぎり、お菓子で繋いだ。行動食はグミ一択。多分、今コンビニで売っているものは、ほぼ全種類食べたと思う。結論、ハリボーのグレープフルーツ味最強。
青看板に姫路の文字が出てきた。
10:30 兵庫県へ。
13:20 姫路通過。国宝であり、世界文化遺産でもある姫路城はすごい人。
田舎道や山道を一人で走ってきた俺にはちょっと賑やかすぎて、何だか人に酔ってしまい、逃げるように街から離れる。
1時間ほど走ったところでとうとう雨がポツポツと降り出す。
天気予報を確認すると、これからまさに雨雲に向けて突っ込んでいくらしい。
雨支度のためコンビニにピットイン。もちろん降らないに越したことは無いけれど、雨天の準備はしてきている。
レインウェアを着て、防水のシューズカバーとオーバーグローブを付ける。
準備している間に雨は本降りに。
ウェットコンディションの中、完全防備で突き進む。幸い日が落ちてくるに連れ気温も下がり、蒸れや暑さは気にならない。一昨年から散々やられまくった雨ブルベの経験が生きている。
たまたま地元の中学生達が傘を差しながら自転車で通りかかる。片手運転で寒そうな彼らを「君たち、天候が悪いんじゃない、準備が悪いのだよ!グハハー!」と得意げに抜き去る。
18:31 雨の京都に突入。
ここまでの走行距離は約230km。ここから日本海へはあと60km。福井の手前に標高差250mの峠越え。でも斜度はそれ程でも無い。
日本海へ向けて気合を入れ直し、ジリジリと高度を上げる。
そして完全に日が落ちた。
ちょっとルートが不安だったので、民家の軒下にバイクを止める。グローブを外し、GPSとアイフォンの位置情報を突き合わせて確認する。よし、大丈夫。合ってる。
それでは再出発、と思いグローブを付けると、あれ、何か冷たい...。
よく見ると、オーバーグローブの手のひら部分が擦り切れて完全に浸水している。走っているときは身体が暖まっていて気にならなかったけど、止まって一度冷えた事で濡れていることに気付いてしまった。
まー、動き出せばすぐに暖まるでしょ、とそのまま走り出す。でも、なかなか暖まらない。むしろ標高が上がるにつれ気温が下がり、段々寒くなっていく。あれ?あれ?
21:20 最高標高地点を越えて福井に入る。
写真を撮るためにちょっと止まっただけで、身体が一気に冷える。ここから日本海までは15kmの下り。気温は恐らく10℃未満。
あ、やばい。これ低体温症になるパターンだ...。
逡巡していてもしょうがないので、意を決して下り始める。濡れた手先が凍えていく。顔にあたる雨が刺すように痛い。腹筋に力を込めたり無負荷の足をグルグルと回し、必死で寒さに耐える。
「ごめん!中学生たち!オジさんも学習能力ゼロだったよ!」
何とか峠を下りきり、海岸線に向けて走る。海からの向かい風は強く、そして冷たい。身体が芯から冷えていく。とにかく暖を取りたくて暗闇に目を凝らしてコンビニを探すも、ポツポツと頼りなく立つ街灯以外に光は無い。
すると側道に小さな小屋が現れたため、堪らず中に逃げ込む。
ここはバス停の待合室。風が遮られるだけで随分暖かく感じる。急いで濡れたものを脱いで乾いた服に着替える。
外に転がっていたペットボトルとライトで即席のランタンを灯すと、やっと人心地がついた。
お腹がペコペコだったけど、これからまた雨の中に走り出す気力はない。ハリボーで空腹を誤魔化し、今日はここまでとすることに。
22:30 シュラフカバーに包まって就寝。
【Day3】
広島~岡山~兵庫~京都~福井
走行距離 298km
総距離 830/2367km
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2019/4/30
寒さで目を覚ます。時計を見ると時刻はもうすぐ2:00。3時間以上は眠れたし、これ以上は寒くて寝ていられないので、行動開始。
2:20 手早く身支度を整え、お世話になった小屋を出発。
改めて日本海に挨拶。これからこの海岸線とも長い付き合いになる。
待ちに待ったコンビニ発見!まさに砂漠のオアシス。
冷えた身体と空きっ腹にカップヌードルが染み渡る。
破れてビショビショになったグローブもここで更新。軍手に防水グローブを重ねれば(見た目はともかく)機能性抜群。日本のコンビニの品揃えは神。
しおかぜラインに入り、空が明るくなる。残念ながら今日も雨模様の向かい風。
奇しくも平成(時代)の大晦日に平成(旅館)を駆け抜ける!
9:00 道の駅「越前」
ちょうど食事処がオープンしていたので、朝ごはん。ここはやっぱり越前ガニでしょー、という事でカニ入りミックスフライ定食をチョイス。ボリューム、味ともに大満足!
その後も道路沿いはカニ尽くし.。
13:20 石川県に入ると雨が止み、路面も乾いてきた。
13:50 サイクルコンピューターの走行距離が一回転、つまり1000kmを越えた!
ところが、バイクにまたがって走り出した途端、急に身体が重くなる。距離的な区切りを認識しちゃった事で、脳が行くのを躊躇っている感じ。
今日はまだ150kmくらいしか走ってないんだから、と自分に言い聞かせ脳が諦めるのを待つ。でも、もう一人の俺が冷静に残距離の逆算を始める。日程は今日で4日目。予定の半分を消化。でも距離の中間点まではまだ200km近くある。どんなに頑張っても今のペースでは今日中には辿り着けない。
行く理由と行けない理由が頭の中でグルグル回る。
まだまだ身体は動くんだから…
-でも膝が少しずつ痛み始めてる
明日からの走行距離を伸ばせば...
-でも疲労は増していく一方
せっかくここまで来たんだから...
-でも今回はあくまでもPBPのリハーサル
-それなのに怪我でもしたら元も子もない
-最初から「行けるところまで」って決めてたじゃん
そのうち行けない理由だけが残り始め、澱のように心に積もっていく
「あー!!!!!」
ゴチャゴチャ考える自分が嫌で無理やり思考停止して足を回すことだけに集中する。
17:41 金沢通過。
家族連れや仲間達が楽しそうに笑い合っている。嫌でも自分が一人で走っている事を実感させられる。早く離れなきゃ。
19:00 夕闇の中、富山に入る。
身体も心もクタクタなのに、どこまで走ってどこで休むか、考えるのが面倒くさくて、ただ惰性で走り続ける。
信号待ちでふと横に目をやると小さな銭湯がある。吸い寄せられるように近づくと営業時間は23:00まで。中を覗くと休憩スペースもありそう。
今の時刻は20:00。急いでお風呂に入れば2時間は休める。悩んでいる暇はない。
バイクを停めるために銭湯の裏に回る。すると釜番をしていたらしいご主人がちょうど出てきた。
「ロードバイクなんですけど、どこに停めればいいですか?」
「ん?自転車?その辺に適当にとめなよ」
顎でしゃくるように示された場所は屋根付きの薪置き場。
久しぶりの人との会話が嬉しくて、荷物を外しながら矢継ぎ早に話しかける。
「日本を縦断している途中で・・・」「3日前に鹿児島を出発して・・・」「北海道を目指していて・・・」
「...ふ~ん、それは大変だな。」
期待したようなリアクションは無い。まー、他人にとってはそんなものかとスゴスゴと中へ。
入浴券を買って昔ながらの番台に座るオバちゃんに渡す。念のため閉店時刻の確認をすると、23:00にはシャッターを閉めるため、それまでには退館して欲しいとの事。
大急ぎで服を脱ぎ久しぶりの湯船へ!浴槽に入り身体を伸ばすと、溜まった疲労がバキバキと音をたてて剥がれ落ちていく。水風呂もあったので3分:1分の超ショート交代浴を3本キッチリ決めて休憩所へ。
TVでは平成最後の皇室特集。それを見ながら地元客の皆さんが盛り上がっている。
当然俺はその輪に入る気力も時間も無いため、離れた休憩室の隅へそっと移動。退館時刻に間に合うよう、iPhoneのアラームを22:45にセットして丸くなった。
【Day4】
福井~石川~富山
走行距離 241km
総距離 1070/2367km
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4.極限の本州 後編
覚醒。一瞬、現状が把握できない。
・・・そうだ、あまりの疲れに行きずりの銭湯に飛び込んで仮眠したんだ。
ん?そう言えば23:00に閉めるってオバちゃんが言ってたな...
焦点の合わない目で時計を見ると既に23:20!ヤバい寝過ごした!慌てて飛び起きる。
動き始めた物音に気づいたオバちゃんが番台から声をかけてくる。
「あら起きたの?」
「何だか鹿児島から北海道まで自転車で行くんですって?」
「きっと疲れてるんだろうから好きなだけ寝かせといてやれって主人が言うもんだから。」
「身体は大丈夫?」
ぶっきらぼうだったご主人のまさかの優しさに驚きつつも「すいません!すいません!」と只々恐縮しながら荷物をまとめ、バイクシューズを履き、外に出る。
裏にまわると停めておいた自転車にはビニールシートがフワリとかけられている。重ねての心遣いに感情が溢れそうになる。
準備を整え、自転車を押して正面に戻る。入口のシャッターを閉めるためにオバちゃんがちょうど外に出てきた。残念ながらご主人の姿はない。
「本当に助かりました。ありがとうございます。」
目の前のオバちゃんと建物の中にいるであろうご主人に向かい深々と頭を下げる。
「行ってらっしゃい。気をつけてね。」
23:30 優しい笑顔に見送られ、出発。
2019/5/1
そして日付が変わり元号は令和へ。きっと今頃、渋谷あたりは大変な事になってるんだろうな。真っ暗闇の国道を走る俺にとっては、単なる時間の経過でしかないけれど。
現在地は能登半島の根元。ここから富山市内を抜けて、再び日本海の海岸線へ出る。
この時、俺には不安要素が一つあった。それはヘッドライトのバッテリー。
今回のトリップでは、俺は充電式のヘッドライト2本と専用バッテリー1本を準備していた。またコンセントが借用できるような屋内施設にはほとんど滞在しない予定のため、充電用には乾電池式のモバイルバッテリーを携行した。乾電池なら、コンビニさえあればいつでも補充ができる。
ところがこれが携帯には使えるもののヘッドライトに上手く充電できないという大誤算...
ここまでコンビニや仮眠時に少しずつ充電しながら凌いできたけど、流石にそろそろ限界。モバイルバッテリーそのものを買うことも考えたけど、どうせ買うなら性能や価格等はしっかりと下調べをしてから購入したい。
という事で、緊急的に電池式のヘッドライトを買いたいと思っていた。
検索すると富山市内に深夜4:00まで営業しているドン・キホーテがあったため、ルートから少し外れたそこに寄ってみる。
お望み通りのものをゲットし、一安心!
改めて本ルートに復帰。
ここで安心して眠くなったのか、仮眠したらしい。ただ、写真が残っているだけで、この時の記憶は無い...
脳も充電が足りてないんだと思うけど、さすがに電池やバッテリーのように満タンのものものと取り替えることはできない。なるべく効率的な仮眠を繋いで、省エネモードで凌いでいくしかない。
夜明けとともに雨が降り出す。
どんよりと暗い日本海。
霧に包まれた道路。
じっとりと湿っていく身体。気分も徐々に沈んでいく。
本来、俺は悪天候がそれほど嫌いではない。気候の変化や悪化は、むしろフィールドの彩りとして積極的に受け入れ、その準備も含め楽しむべきだと思っている。
しかしそれも気持ちや体力に余力があればこそ。この時の俺にとって雨やレインウェアは、視界を悪くし、動きを妨げるブレーキでしかない。
これがレースなら。周囲には苦労を共有できる仲間がいる。エイドには頑張りを称え、励ましてくれるスタッフがいる。
でも今の俺は一人きり。鬱々とした気分をどこにも吐き出せないまま、薄暗い日本海沿いを、風雨に耐えながら進むしかない。
雨が冷たい。向かい風が強い。
足が痛い。首が痛い。肩が痛い。腰が痛い...
ネガティブな事ばかりが頭に浮かぶ。心がどんどんダークサイドに落ちていく。
もう止めちゃおうかな。
また、そんな言葉が頭に浮かび始める。そう。これは自ら勝手に始めたこと。進むのも止まるのも、いつだって自分次第。
久しぶりにコンビニが現れた。
レインウェアの上だけ脱いで中に入ると、年配の女性店員と地元の方らしき客が談笑していた。
お決まりとなった疎外感。早く逃げ出したくて、一番手間にあったパンと缶コーヒーをつかんでそそくさとレジに向かう。
「袋はいいです。」いつも通りそう言うと「すぐ食べるなら、中で食べていけば?」そう言ってパイプイスを出してきてくれる。座ると濡らしてしまうな...、とためらう俺に「後で拭いておくから」と。
お言葉に甘えて座らせてもらい、缶コーヒーを一口飲む。暖かさと甘さが冷えた体に染みこんでいく。
「どこから来たの?」
「実は鹿児島から...」
「えっ!いつから走ってるの?」
「今日で4日目になります。」
「4日間で鹿児島から来れるものなの...。」
聞かれるがままにここまでの行程や苦労をポツポツと喋る。久しぶりの人との会話。心がじんわりと暖まってくる。
「これからどこまで行くの?」
「一応、北海道を目指してます。」
「北海道!あとどれくらいかかるの?」
あとどれくらい...?
思わず答えに詰まる。
「多分、まだまだです...。」
そう言って急に口が重くなった俺に、店員さんは何かを察したのか、それ以上話しかけてこなくなった。
決して会話が嫌になった訳ではない。俺はその時、必死で考え始めていた。
雨、風、疲労といった現状がただ辛くて止めたくなってたけど、果たして行程的にはどうなのか。今までのような行き当たりばったりでは無く、具体的な走行計画を立てて、一日の目標を可視化する。そのためには現状分析と情報収集だ。
(状況)
・今回の旅ではゴール地点の稚内に妻が来てくれる予定で、それが8日目の5月4日の午後。せっかく来てくれた妻を一人で待たせたくないので、俺は4日の夕方を今旅の制限時刻と決めていた。
・距離はもうすぐ半分の1200kmに到達する。そうすれば残りはあと1200km。
・現在時刻は5月1日の朝6:30。そうするとあと84時間で1200km強を走る必要がある。
(計画)
・ゴール地点の稚内から逆算すると、函館には仮眠時間も含め制限時刻の40時間前には着いておきたい。そのためには明日の夜には青森からフェリーに乗る必要がある。
・青森までは残り約600km。一気には走りきれないので、必ずどこかで仮眠する。ではどこで寝るか。
・天気予報では今日の夕方から深夜にかけて雨の予報。夜の雨天走行はなるべく避けたいので、その時間を仮眠にあてたい。逆算すると150km先の新潟市内がちょうど良さそう。
・早速、仮眠場所になりそうな場所を検索して当たりを付ける。
よし!北海道までの道筋が見えた!!
立ち上がり店の外に出ると何と空が明るい。ちょうどゴミを片付けていた店員さんが「晴れましたね!」と自分のことのように喜んでくれる。
「晴れたのは私の心です。」そんな言葉が思わず思い浮かぶ。口に出しても100%ポカンとされるだけなので、グッと心にとどめて走り出す。
すっかり乾いた道路を進む。景色を楽しむ余裕も出てきた。
しかもここで待ちに待った追い風が!
鯉のぼりも嬉しそうにはためく。
9:43 新潟県突入!
午後になって追い風はどんどん強くなる♪
夕方になって、雨が降り出したけどこれは想定の範囲内。
18:00 新潟市内の「湯ったり苑」到着。マイルストーンを明確にし、行動計画を予定どおり遂行することで、昨日までと比べて、明らかに精神が安定してきた。
併設のコインランドリーで、着ていたものと着替えを全て洗濯乾燥機に放り込む。これも予定通り。
施設の閉店時刻は23:00。速攻で湯船に浸かり、お食事処でうどんをすすり、休憩処へ。
連休中の日帰り入浴施設はそれなりに騒がしかったけど、畳の上で横になった瞬間眠りに落ちた。
【Day5】
富山~新潟
走行距離 276km
総距離 1346/2367km
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22:00 目覚めは良い。
洗いたてのウェアを取り出して身に付ける。着替えもすっかり乾いて軽くなった。長旅に備え昨日のうちに買っておいたおにぎりを2つ腹に詰め込む。チェーンもシャリシャリ音を立て始めていたため、ここで注油。
今日の目標は440km先の青森。22:25発の函館行きフェリー。これを逃すと次は4時間半後になるため、北海道の行程が厳しくなる。
制限時間は23時間。平均時速20kmで行っても22時間はかかるため、今の俺にはギリギリの設定。そのために身体、装備、バイクの準備をしっかりと整えた。
走行距離、行動時間ともに今旅最長。宗谷岬到着の成否を分けるThe DAYが静かに始まった。
2019/5/2
延々と海岸線を北上していく。
海沿いの国道は人っ子一人おらず車通りもほとんど無い。
暗闇をヘッドライトの灯りが放射状に切り取る。
フォーカスする視点、聞こえるのは自分の呼吸とペダルを回す音だけ。自分とバイク以外の全てが霧消していく中、時間と距離が後方に流れていく。
気づけば夜が明けていた。
5:15 山形県に入る。
昨日からの追い風は、更に強くなって吹き続けている。
岩の上の吹流しもこの勢い。
6:50 スタートから約7時間で140km地点のクラゲドリーム館到着。何とか最低限のペースは維持できている。
久しぶりに日差しの中を走る。6日目にしてギリギリの走行計画を立てたのも、この晴天、追い風の天気予報に賭けたからこそ。
まっすぐ伸びる走りやすい道路。
頼もしく吹き続ける追い風に、風力発電用のプロペラもブンブン回る。
青森まで残り280km。
9:14 秋田に入ったところで桜前線に追いついた。
道は時折海岸線を離れ内陸部へ入る。そしてそんな時は必ず標高100~200m程の峠を越え、トンネルを抜けて海岸線へ戻る。
のどかな田園風景。だけど単調な道は眠気も誘う。
グミを食べる。走行スピードに強弱を付ける。大声で歌う。眠気覚ましに色々やって、どうしても我慢できなくなったら道端で5~10分の仮眠。そんなことを繰り返しながら、必死で距離を伸ばしていく。
そしてとうとう日が沈む。
この時、時刻は18:00。青森までは残り80km。制限時間は4時間。貯金も借金も無い、まさに定刻通りにここまで来た。ここから標高200mほどの峠はあるけれど、今のスピードを保てば十分フェリーの乗船時刻には間に合う。
しかし、もう大丈夫と思った時ほどトラブルが起こる...
それは夜間走行に向けてライトを点灯させようとボタンを押した時だった。
俺はこの時、持ってきたライトのバッテリーは全て使い切っていたため、昨日購入した電池式のライトを付けていた。ところがスライド式の着脱がきちんとハマっていなかったらしく、走行中のバイクからポロっと外れて道路に落ちてしまう。
慌ててバイクを止めて恐る恐る回収してみると、ライトのレンズが外れ、中の電球が割れてしまっている。ボタンを押しても当然ライトは光らない。太陽はすっかり沈み、辺りはどんどん暗くなっていく。手持ちのヘッドライトは全てバッテリー切れ。
一瞬パニックになる。夜間の峠は完全な暗闇になる。そこを時速20km以上で走るなんて出来るわけがない。しかし近辺にはコンビニはおろか、小さな商店すら無く、ヘッドライトの代わりになるようなものが買える気配はない。
とりあえず、明かりのあるうちに少しでも進むしかない。そう結論付けて、だいぶ日が落ちた峠に全力でアタックしていく。
19:00 青森に突入。しかしのんびりしている暇はない。今度は一気に峠を下っていく。
しばらく行ったところで完全に落日。これ以上、無灯では進めないため、路肩に寄せてバイクを停める。
どうしよう...、とりあえず歩いて街まで行くしかないか。そう思い、トボトボと歩き始めたとき、サドルバックにエマージェンシーキットを入れてきたことを思い出す。そうだ、その中には緊急用のヘッドランプが入っている。慌てて取り出し、頭に付け点灯してみる。すると、ヘッドライト程ではないけど何とか運転出来るだけの光量はある。これなら進める!
ゆっくりと峠を下りきると、幸いなことに道は国道に合流した。広い国道には街灯も多く、車通りもあるため、明るさは充分。いやー、危なかった…。
しかし、しばらく安全運転だったため、時間がかなり押してしまった。
急げ!
両側に並ぶ街灯の光が、暗闇に浮かぶ架け橋のように大きな弧を描いて海へと降りていく。
急げ!!
港を目指し最後の力を振り絞ってペダルを回す俺の横を、車のテールランプが追いこしていく。
急げー!!!
22:20 青森港についたのは出港の5分前。
慌てて窓口に駆け込み、チケットを購入。窓口のお姉さんがトランシーバーで船内に連絡してくれる。駆けつけてきた誘導員に導かれて、俺がバイクを押して船に乗り込むと同時に後ろで乗船用のタラップが上がり始めた。
ま、間に合った...
バイクを誘導員に預け、荒い息を吐きながら客室に上がると、既に他の乗客は就寝モード。静かに船室の隅に移動して横になる。ところが、いつもなら直ぐに訪れる睡魔がやってこない。
長かった一日を何とか走り抜けた安堵と、とうとう北海道に上陸する興奮。そしていよいよ現実的になってきたゴールへの期待と不安。様々な感情が一気に去来する。
なかなか寝付けない俺とバイクを乗せたフェリーは、決戦の地へ向けて、静かに出航した。
【Day6】
新潟~山形~秋田~青森
走行距離 437km
総距離 1783/2367km
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5.万感の北海道編
「万感」:心にわき起こるさまざまな思い。
2019/5/3
2:10 函館港に上陸。
フェリーでは気持ちが高ぶってしまいあまり良く眠れず、頭の芯がボーッとしている。
気温は10°を少し下回るくらい。ただし風がかなり強い。防寒のためにレインウェアの上下を着て、暗闇へ漕ぎ出す。
風向きは、残念ながら向かい風。昨日のロングライドの疲れがガッツリ残った身体には中々の苦行。
眠気と疲労に耐え切れず、道路沿いの待合室にて30分仮眠。
ここではかなり熟睡できた。外に出ると風も若干治まっている。気合を入れ直して再出発。
4:25 大沼公園通過。
上る太陽に比例するように調子も上がってきた。北海道駒ヶ岳の雄姿に背中を押されグイグイ進む。
長万部に近づくに連れ、カニロード再び。
日本海沿いと比べ、描かれているカニ達がかなりキュート。恐らくタラバと毛ガニの違いなんだろうけど、こんな事に気づけるのも日本縦断ならでは。
10:00 長万部
ご当地キャラは脱力系
ここから一旦海岸線を離れ、日本海へ向けて「北海道を投げる時につかんで投げやすいところ」を縦断する。
昨日まで3日間走り続けた日本海沿い。立ち位置が海に対して右側に戻るとなんだか落ち着く。
北海道のソウルショップ「セイコーマート(通称セコマ)」で、楽しみにしていた豆パンとカツゲン。素朴な美味しさがクセになる♪
今は大手チェーン系コンビニでも売ってるらしいんだけど、今回の旅ではセコマ以外では見つけらなかった。
今日の目的地、小樽まで100kmを切った。
ルートは再び内陸へ。
15:20 とうとうサイコンが3回転目に入る。つまり2,000km突破!
石狩湾へ出た。
そして小樽市へ
結構いい波なんだよな~、でも冷たそうだな~、なんて思っていたら...
おぉ、入ってる! さすが道産子サーファー、超リスペクトっす!!
17:30 小樽到着!
小樽運河は大盛況。
目星を付けていた温浴施設にチェックイン。
いよいよ明日は宗谷岬の玄関口、稚内を目指す。
稚内から宗谷岬は30km弱なので、ステージレース最終日のパレードランのようなもの。実質的には明日が日本縦断のラストラン。
走行距離は330km。これから仮眠をとって深夜に出発すれば、余程のトラブルが無い限り、予定どおり夕方には妻と合流出来るはず。
ラストランに備え、ゆっくりとお風呂に入り、ガッツリ補給。
明日は祝杯をあげて、柔らかいベットで寝るんだ...
【Day7】
北海道(函館~小樽)
走行距離 229km
総距離 2012/2367km
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23:00 出発。昼の喧騒が名残る小樽市内をゆっくりと抜けていく。
2019/5/4
まずは標高150mほどの峠越え。フロントギアをインナーに落とし、徐々に上がる斜度に合わせリアもシフトダウンしていく。
登り坂はしばらく続く。ダンシングに切り替えようと腰を浮かせペダルを踏み込んだ瞬間、リアディレイラーから「キシッ」という嫌な擦過音がした。
「んっ?」バイクを止めて見てみると、プーリーからチェーンが外れている。とりあえず、再度噛ませて走り出す。しかし、しばらく進むとやはり外れてしまう。
ディレイラーを調整しながら試行錯誤した結果、リアをミドルレンジに固定して、フロントの切り替えだけなら、外れない事が判明。
まだまだ先は長い。ここであまり時間をかけてもいられないので、とりあえず再スタート。
夜明けを見ながら走るのも今日で最後(になるはず)。
そしてサイクリスト垂涎のオロロンラインへ。
うっかり手癖でリアをシフトチェンジしてしまい再調整。ただ、対処法は分かっているので、もう慌てることはない。
いよいよ標識に稚内の文字が出た。
天気は快晴。休養も充分。フラットでまっすぐな走りやすい道を、強い追い風に乗ってグングン飛ばしていく。最高のサイクリング日和に思わず笑みがこぼれる。
12:00 羽幌市に入る。オロロンラインの由来にもなったオロロン鳥(学名 ウミガラス)がお出迎え。
稚内まで100kmを切った。
豆パンとレッドブルで最後の栄養補給。
牛たちの応援を力にラストスパート!
もうすぐだ。もうすぐ目指し続けた場所に届く。
17:00 とうとう稚内に入った。
妻に最後の定時連絡をいれる。既にホテルにチェックインして、俺の到着を今や遅しと待ってくれている。
そして...
17:50 ドーミーイン稚内にゴーーール!!!
無事に妻と合流した途端、嬉しさが爆発して、これまでの苦労を一気に喋り倒すも、例によってあまり共感は得られず...。逆に「何かすごい老けたねー!」と爆笑される。
確かに鏡を見るとひどい顔だったので、何はともあれホテル内の温泉でさっぱり。
ホテルから徒歩数分の居酒屋を妻が予約しておいてくれたので、念願の祝杯!!
くぅ~!一週間ぶりのビールが身体中に染み渡る!!
ホテルに戻り、これまた一週間ぶりの柔らかいベッドに包まれて、至福の就寝。
【Day8】
北海道(小樽~稚内)
走行距離 327km
総距離 2339/2367km
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2019/5/5
8:40 縦走装備を外して身軽になったバイクとともにウィニングライド スタート!!
宗谷岬までは27km
最終日にして最強の追い風が、文字通り俺を後押しする。
ペダルを踏まなくても、どんどん加速する。
スタートしてからこれまで本当にいろんな事があった。
向かい風に何度も心を折られ、雨の下りで寒さに凍えた。
徐々に積み重なる疲労と眠気。
苦労を誰とも分かち合えない孤独。
何度も絶望の深淵を覗いた。
でもその度に俺をすくい上げてくれたのは、やはり出会った人々。
餞別をくれたタクシーの運転手さん。
一年かけて日本を一周しているチャリダー。
閉店時刻を遅らせて俺を寝かせてくれた銭湯のご主人。
天気と共に心まで晴らしてくれたコンビニのおばちゃん。
俺を乗せるために大急ぎで手続きしてくれたフェリースタッフ。
そしてSNSを通じて常に俺を見守り、応援してくれた仲間や友人達。
皆が俺をここまで運んでくれた。
全ての苦労が達成の喜びで上書きされていく。
胸にこみ上げるのは万感の想い。
あ...
2019/5/5 9:36
鹿児島の佐多岬から2,367km
俺は日本を縦断し、北海道の宗谷岬に到達した。
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6.エピローグ
本当に来たんだな、としみじみ...
している余裕は実はあまりない。本日の風速はなんと15m/s!しかも帰りは向かい風になる。
でも大丈夫!そのために朝一でレンタカーを借り、妻に先回りしておいてもらった。我ながら完璧なアレンジメント。そそくさとバイクを車に積み込む。
出発前に(言葉通りの意味で)最北端を味わう。
それでは移動開始!
いや~、車って楽ち~ん♪
宿にチェックインしたら、友人お勧めのジンギスカン屋で打ち上げ。予約ができない時間帯だったけど、運良く並ばずに入れた♪
2019/5/6
筋肉痛でバキバキの身体を少しでもほぐすべく、朝ジョグ。
北海道の桜はこれからが見頃。
最終日に合わせて春が祝福に来てくれた。
何だかそんな気がした。
**********
7.まとめ
総距離 2,367km
総時間 175:10
※内休憩時間 29:40
【内訳】
<Day1>
行程 鹿児島 佐多岬~宮崎~大分 臼杵
時間 4/27 11:30~翌7:30(20:00)
距離 332km
休憩 2:40 @フェリー
<Day2>
行程 愛媛 八幡浜~広島 福山
時間 4/28 10:10~22:00(11:50)
距離 200km
休憩 5:30 @マンガ喫茶
<Day3>
行程 広島 福山~岡山~兵庫~京都~福井 おおい町
時間 4/29 3:30~22:30(19:00)
距離 298km
休憩 3:50 @バス停
<Day4>
行程 福井 おおい町~石川~富山 小矢部
時間 4/30 2:20~20:00(17:40)
距離 241km
休憩 3:30 @銭湯
<Day5>
行程 富山 小矢部~新潟 中央
時間 5/1 23:30~翌18:00(18:30)
距離 276km
休憩 5:00 @日帰り湯
<Day6>
行程 新潟 中央~山形~秋田~青森
時間 23:00~翌22:20(23:20)
距離 437km
休憩 3:50 @フェリー
<Day7>
行程 北海道 函館~小樽
時間 2:10~17:40(15:30)
距離 229km
休憩 5:20 @健康ランド
<Day8>
行程 小樽~稚内
時間 23:00~翌17:50(18:50)
距離 327km
休憩 14:50 @ビジネスホテル
<Day9>
行程 稚内~宗谷岬
時間 8:40~9:30(0:50)
距離 27km
・平均すれば8日目までで一日292km移動、18時間行動、4時間の休憩となり、ほぼ当初の想定どおり。でも日程毎に見ればかなり浮き沈みの激しい行程。
・前半は初日こそ300kmオーバーとなったもののそれ以降はズルズルと遅れ、仮眠時間を削って進むも苦しい展開。
・何度もリタイヤが頭をよぎる中、6日目に一か八かのロングライドを敢行し、何とか北海道上陸に成功。
・函館からは、小樽での積極的なリカバリーを挟み、一気に稚内に到達。そして宗谷岬へ歓喜のウィニングライドとなった。
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PBPへ向けたリハーサルとして走った日本縦断は、間違いなく過去最高に過酷な旅だった。
その後、8月に渡仏した俺は、コレまた何やかんやありながらもPBPを完走するのだけど、それはまた別のお話。
ただ、この日本縦断があまりにも過酷かつ印象的過ぎて、PBP本戦における「困難への挑戦」とか「完走への渇望」みたいなドラマティックな気持ちを若干薄めてしまっていたのも正直なところ。
我ながらあまりの本末転倒っぷりにクラクラするけど、今回初めてnoteに書いてみるにあたり、本戦のPBPでは無く、リハーサルだったはずの日本縦断を選んだのはそんな理由から。
また、日本縦断後の嬉しい心境変化として、何だか今まで以上に日常生活を楽しく感動的に感じるようになった。もちろん以前から比較的エモーショナルに生きてきた自覚はあるけど、更にだ。
それは日本縦断が「日常」を走ったからなのかなと、今は思っている。
俺はロードバイク以外にサーフィンやトレイルランニングも趣味にしている。それらのフィールドは海や山であり、普段の生活空間とは違う「非日常」だ。
またトライアスロンやウルトラマラソンのレースに参加することもある。これもコースが全て選手だけに制限されることで「非日常」となる。
つまり俺にとっては、そこにいる事が既に喜びや誇りの対象であり、日常から完全に切り離されたスペシャルな空間として完結している。
対して今回の日本縦断のフィールドは完全に「日常」だ。
買い物に向かう主婦に並んで信号を待ち、コンビニでは塾帰りの中学生達に混じって買い物をした。
レストランでも温浴施設でも周囲は家族や友人連れで溢れていた。
それだけに自らがやっている非日常的な事が、はっきりとトリミングされてしまう。特に今回はソロイベントだっただけに、その輪郭は更に際立った。
そして境界の外側から見る日常の風景は、いつだって穏やかで幸せそうだった。
「早くあの場所に帰りたい。」
その思いは日増しに強くなっていった。
だからこそ、稚内で妻と合流した時は本当に嬉しかったし、その後の旅程は最高に楽しかった。
そして、憧れ続けた「日常」にいられる喜びが、今も続いているという事なんだと思う。
最後に、少し大げさかも知れないけれど、俺はこの旅を通じて、日本という国が更に好きになった。
南から北へ、季節を巻き戻しながら進む中で出会った人々はいつも優しく、景色は美しかった。
時代は平成から令和に変わったけれど、いつまでも変わらない愛すべき日常がそこにはあった。
「またやりたい」とは、今はまだ思えない。
でも「やって良かった」とは、心の底から思っている。
(了)
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