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ちょっとした、じぶんにできることから、考える、行動する。

休日、食料品の買い出しに行ったとき、ああ、以前と行動の仕方が変わったなぁと感じた瞬間があった。

エコバッグだ。エコバッグ自体は、ずっと前から、メディアや世間では推奨されていたのは知っている。ただ、毎回持参するのは面倒でビニール袋で済ませていた。

近所のスーパーのレジに行くと、「有料になりますが、ビニール袋はご利用されますか?」と聞かれて、欲しいときはお店の人が用意してくれていた。

有料と言われても、まぁ、いいかぁと思って、ビニール袋を用意してもらっていた(そもそも、エコバッグを持参していなかった)。

最近、スーパーの対応がまた変わってきて、「有料になりますが、ご利用の際は、前からお客さまでビニール袋(大or小)をお取りください」になった。

じぶんでサイズを選択して、じぶんで袋を取らなければいけなくなった。

ちょっとしたシステムの変更なのだが、なぜか、このシステムの変更から、違和感があって、ぼくはエコバッグを持参しはじめた。

この行動変化のはっきりした理由はわからないのだが、面倒だけれども、そうした方がいいかなと思うところがあった。別に、環境問題に強い意識が芽生えたからとかではない。

現在じぶんが置かれている状況やじぶんを取り囲んでいる見えない空気が、そうさせているのかなと今は思っている。

現在、世間が騒がしくなって、消費者の生活のスタイルも、見えないところで変わってきている。

実際、じぶんの生活に置き換えてみる。

手洗いうがいは、帰ったら必ずするようになった。小さい頃、学校の校舎の廊下に、当たり前のように貼られていた「手洗いうがいをしましょう」という保健のポスターが、頭を過ぎる。当時は、気にもとめていなかったのに。

社会人になって、外食が当たり前になっていたが、今では自宅で、どう工夫して、じぶんで食事を用意するか考えるようになった。

当たり前にできていたことが、一時的であれ、当たり前にはできなくつつあるからだ。

生活のたのしみ方も変わった。今まではお金を出して映画、買い物、イベント参加にたのしみを見出していたところがあった。

だが最近は、素朴ではあるけれど、毎日の日常の中で、当たり前にこなしていたことを、丁寧にすることで、たのしみを見出すようになった。しかも、ヒトリでたのしむ要素が多い。ただ消費するよりも、個人でちょっとしたことでも、何かを生み出す行為に価値をおきはじめるようになった。

炊事、洗濯、掃除、お風呂に浸かる、本を読むなど。それら丁寧にこなした行動を、文章や写真で記録するようになった。

そういう記録するための環境は、SNSの恩恵を受けているところがあって便利だ。実際やってみて、個人的にはたのしい。


あらためてエコバッグの話に戻る。世間が騒がしいからどうこうは、あまり言えないのだが、ぼくがエコバッグを使おうと思った動機は、システムが変わったからというのは事実である。

一方理由は、もう少し強いことばで言うと「じぶんの頭で考える、でないと今の不安をやわらげるのは難しい」と思ったことだ。


ちょっとしたことでもいいから、じぶんにできること、工夫できることをまずは実践するのが、今のご時世いいと思う。

じぶんの不安をやわらげるのも、たのしくするのも、じぶん次第。

なるべく必要でない時は、動かず家でおとなしくしている。外から帰ったら、手洗いうがい、顔を触らないようにすることは、すぐできる。


最後まで読んでいただきありがとうございます。在宅する時間が増えて、生活を見直したら、早起き生活になりました。天気がいい日の午前中、窓から差し込む陽光が気持ちいいです。

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