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文章を書くこと、現在と過去との対話。

いざ文章を書こうとすると、筆が止まる。

さぁ、何を書こうかと、Macのキーボードのアルファベットを、むやみに押しては、画面に映った文字を消して、またあるアルファベットを押す。そんなことを、数分繰り返しながら、さぁ、何を書こうかと、頭の中に考えをめぐらす。

昨日、今朝などは、「最近、日中、カーテンを閉めた窓を通して、外の音に耳をすませたら、やたら飛行機の音が近くに感じることが増えた」ということについて、書いてみようと思ったのだが、今この文章を書いている頃には、なんでそんなことについて書こうと思ったのか、じぶんでもイマイチ思い出せなかったので、書くのをあきらめた。

つい先日は何を書いたか。

このnoteを書いているときは、思いのほか、筆が進んだ。

なんで、筆が進んだかを思い返してみる。書くきっかけは、たまたまTwitterで、ぼくがフォローしている方が「いつも機嫌良くあろうとする人かどうか」というツイートをしていたのを読んだことだった。

「ああ、ツイートで言っていること、そうかもしれない」「じぶんはここ最近、自身の機嫌についてどうだったかな?」と思った。

それから、「最近お通じがよくて機嫌がよかったなぁ」という自身の実体験が鮮明にあったので、書く動機に対して、最近の事例が結びつけたら、タイピングの手がスムーズに進むようになった。

そして、タイピングと合わせて、ここ最近の機嫌が悪かった過去について、掘り返していったら、過去にタイムスリップして、断片的な回想の旅を終える頃には、文章が出来上がっていた。

先日のnoteの書き方を振り返ると、過去の出来事の追体験に合わせて、その体験の中で見た光景を離れたところから見ているじぶんが、そのときの心象を書き起こしている感じだ。過去、出来事と向き合っているのだ。

今までも、きっと、そんな感じで書いていたのだろう。だとすると、過去の実体験がないと、文章は書けないことになる(あらためて、当たり前のことを言っているのかもしれないが)。

文章とりわけ、物語を書くとき、作家はどんなことを思い描きながら、書いているのか、プロセスが気になってきた。きっと疑問に思ったことを、ある程度、もしくはとことん調べているのだろう。そして、疑問と調べた過去が結びついていく。過去を調べなければ、書けない。

過去を調べる、すなわち過去を知るということについて、今読んでいる本で、思い出したことばがあった(直接関係はないかもしれないのだが)。

『ジブリの鈴木さんに聞いた仕事の名言。』
言葉 鈴木敏夫
木村俊介 選
Kanyada   写真

多くのスタジオジブリ関係者から、スタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫氏の過去語ったことばを集めた本だ。

多くの興味深いことばがある中で、気になったことばがあった。

E・H・カーの『歴史とは何か』には、
「歴史とは、現在と過去との対話である」という有名な言葉が出て来る。
それを読んで、歴史をどう見るかと問うことは、
今の自分たちの姿を知る方法にも使えるんじゃないか、と思った。

『ジブリの鈴木さんに聞いた仕事の名言。』P162

毎日のじぶんの生活から、遠い昔の過去まで、歴史ということばで、括るのは、大袈裟かもしれないが、現在のじぶんから見た、あるじぶんの目の前に起きた過去(事実)、誰かの過去について、問いを考えてみると、新しい発見、自身の思考が深まるのではないか。思考が深まれば、ことばにできるかもしれない。

現在と過去との対話、

過去をどう見るか、どう解釈するか、

今のじぶん、大きくを言えば、今を生きている人間の姿を本質的に知ることができるのではないか。

この『歴史とは何か』、読んでみたくなった。今度、本屋で探してみよう。


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最後まで、読んでいただきありがとうございます。

未来のじぶんが、今のじぶんの姿を見たら、どう感じるかっていう思考方法を教えてくれた人もいましたね(ぼくの尊敬する人です)。なかなか高等テクニックで、うまくいかなかったです。これも習慣と訓練ですかね。

サポートありがとうございます。カフェでよくnote書くことが多いので、コーヒー代に使わせてもらいますね。