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昨晩難しく考えてたことが、次の日にはそうではなかった。

昨日の晩に、生きづらさについて思ったことをnoteに書いてみて、今朝読み直してみた。

恥ずかしい

あと、なんとも暗いお話をしているなぁと思った。

書かなかった方がよかったかなぁと思いつつも、昨日の考えていたじぶんと今のじぶんの心境が少し変わってることに気づく。

寝て起きて、時間が立てば、根本的に問題は解決してないんだけど、モヤモヤが少し晴れている気がする。心が前向きになっている。

気の持ちようでモヤモヤがなんとかなってしまうのではないか。

あの時あんなに思いつめてたことが、次の日には、そんなに深刻になることでもなかったのではないかと思ってしまう。

なんともいい加減でじぶん勝手だなぁと思う。

一度ことばに吐き出してみると、吐き出す前とでは、気持ちが少し楽になっていることに気づく。

書くこと(アウトプット)で気持ちの整理が一旦ついたからだろう。

でも、過去の経験上、たまに何かをきっかけに、気にならなくなったことが、ぶり返すこともあって、またその時あれこれ考えてしまうのだろうなとも思っている。


今日は、ユーモアについて、何か書こうと思っていたが、何を書こうとしていたかが、わからなくなっている。そもそも書きたかったことかも怪しい。

無理して何かをこしらえるのも違う気がするので、ここで終わりにする。

日々、漠然と過ごしているなぁとあらためて実感する。

インプットに対して、もう少し自覚的に動いてみようと思う。


この前読み終わった、「新世界」(著:西野亮廣)で思ったことがあって、後で書こうかなと思ったことがあったんだけど、それがなんだったのか?ぼんやりしている。

思った時に書いてしまうのが、一番いいのではないかと思った。

気持ちの鮮度が大事。

その日仕入れたお魚(インプット)を、その日中に、料理(アウトプット)として出すみたいに。


さっきまで、カフェでこのnoteを書いてる時に、来店したお客さん2人の声がすごく大きくて、じぶんの心がざわざわしていた。居酒屋みたいに、そもそも騒がしい場所なら、気にならないんだろう。電車の中で、誰かが電話をしている時に、すごく耳に響いてくる感覚に似ている。

気持ちの鮮度としては、この出来事は高いけど、調理方法がわからないので、あえて書かない。たぶん、おいしくない、微妙な料理になると思うから。


明日も何かを書いてみようと思う。

サポートありがとうございます。カフェでよくnote書くことが多いので、コーヒー代に使わせてもらいますね。