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なぜ書きたいと思うのか、そもそも理由について考えてみる。

おはようございます。うえぽんこと、上田です。

なかなか継続できない、ほぼ毎日書くnote。

そもそも書くことが好きでもないなら、続ける必要はないんじゃないかと、そもそも論に戻ってしまうこともしばしば。

そもそもなんで、noteを書こう、書き続けたいと思うのか、考えてみたら、ぼくの中で、いくつか理由がありました。

たぶん、書けない、書き続けられない人の中には、以下、似た理由を持っている人はいると思います。

①文章を少しでも書けるようになりたい
②書き続けることが、なんかカッコいい
③文章を書くことで、何かを伝えたい
④書こうと決意したのに、書けてないじぶんに、納得していない

①は、子供時代、学校の作文の授業以外で、文章をそんなに書いてこなかったから、他人の上手で読み応えのある文章を読んだときに、じぶんの書く文章に劣等感を抱いていました。

その劣等感を少しでも払拭して、自信をつけたいのだと思います。

②は、ぼくの書く動機にもつながるのですが、ほぼ毎日他人が書いてる文章を読んで、「いいなぁ」「じぶんもこういう書き手の姿勢で、毎日書けるようになりたい」「書き続けられる人でありたい」と思うからです。

これは、対象となる相手への憧れや敬意、少し嫉妬が含まれています。

③は、時々noteでアウトプットはできていますが、毎日更新できるほどではありません。

「何かを伝えたい」の「何か」の原石みたいなものは、毎日の中で、じぶんで見つけられているのですが、原石を磨いたりすることはせず、箱にとりあえず入れて寝かせたりします。

時々、磨いたりもしますが、寝かせたままで終わってしまうことは多々あります(下書きはたまっていく一方です)。

継続的に原石を磨く作業(何かとは何かについて考える)と磨いて他の人に見せられるようにする作業(伝える技術)には、時間がかかります。

これは、毎日考え続けて書かないと形にならないことは、わかっているんですけどね(いや、ほんとうのところはわかってない)。

④は、①から③まで受けて、そういうことをしちゃっているじぶんに納得していないということです。

じぶんがじぶんに負けていることに、納得していない。負けず嫌いということですね。

書けない理由を考えてみると、実は、自意識が強かったり、プライドが高かったり、憧れが強かったり、身の丈にあわないことを頑張ってしようとしていたり、じぶんで勝手に壁をつくってしまいます。

もう恥ずかしい要素でいっぱいです。

これらの恥ずかしい要素も、じぶんを構成する一部なので否定はしませんが、じぶんが「書く」ことについて見直す材料にはなりそうです。

そもそもなんで、noteを書こう、書き続けたいと思うのか、実践できていないときに、うまくいっていないときに、あらためて考えてみるのもいいですね。


最後まで読んでいただきありがとうございます。ぼくも、三日坊主ですが、また書くことを再開してみます。

サポートありがとうございます。カフェでよくnote書くことが多いので、コーヒー代に使わせてもらいますね。