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新しい手帳に何を書くか。自由だけど、不自由、まっしろな紙に、丁寧な生活を描いていきたい。

昨年末に2020年度の1月始まりの手帳を買いました。新しい手帳を選んでいる時と、買った直後に、まっ白な手帳を手に取ると、不思議とワクワク、ウキウキします。

でも、買ってしばらくすると、その高揚感はだんだん薄れてきて、気づいたら、ただの書くための道具になってたりします。ただ書くための、何も情報が書かれていない手帳を見ると、なんで買う前後は、あんなに気持ちが盛り上がっていたんだろうと、過去のじぶんに問いかけたくなります。

個人的な話になりますが、今年は、手帳をとった心持ちが、ぼくの場合、例年と比べて違っていました。その理由は、今年が、じぶんにとってのフリーランス元年を意識したせいかもしれません。

カレンダーは、まっ白です。何も決まっていないのって、不安です。時間の使い方は自由です、同時に不自由です。自由だから、じぶんで決めて、じぶんが望んだ生活が送れることが期待できます。不自由なのは、何でも、じぶんで決めなければいけないところです。

週5日の会社勤めだったら、就業時間があるので、じぶんの時間の使い方は、ある程度、限定されます(フレックスだと、また違いますが)。出社して定時まで仕事をして、帰宅して、ご飯を食べて、寝て、次の日にまた起きて... そのサイクルを平日は繰り返すことになります。通学も同じです。

子供の頃、日曜日のフジテレビの『サザエさん』を観ると、社会人だったら、TBSの『情熱大陸』を観ると、「ああ、明日から会社(学校)かぁ」と億劫になっていたことを、ぼくは思い出します。

億劫になるのって、週末にリセットした気持ちをまた、エンジン掛け直さないといけなかったり、職場の居心地が悪くて面倒ごとが待ち構えているから行きたくないなぁ(人間関係や大変なタスク)だったり、いろいろ人によって理由があります。物理的にも、精神的にも、億劫だけれども、じぶんの週の予定の大半は、会社という組織で埋まってしまいます。

誤解がないように言っておくと、会社に行くのが、たのしいと思っている人を、ぼくは知っているので、全ての人が億劫と思っていると言っているわけではありません。

物理的な予定から離れて、会社にわざわざ行かず、リモートワークだったとしても、やっぱり会社の時間内で、仕事をするって、あまり気が抜けないと思うのです(実際、会社員でリモートワークを経験したことがないので、想像でしか言えませんが)

メールやオンラインチャット(SlackやChatwork)に、通知がひっきりなしにきていたら、場所が自宅でも会社でも、変わらないんだろうなぁ。落ち着かないなぁと感じます。ぼくの経験では、会社勤めで有給とってても、会社からメールやチャット通知がたくさんきていると「きっとリモートワークでも、会社にいるのと、そんなに変わらないかもなぁ」と思っていました。だから、場所は関係なくて、精神的には、休みだろうとなかろうと、じぶんで意識的に気持ちを切り替えない限りは、予定というものは、否応なく埋まっている感覚になります。

平日会社で働く時間によって、週の大半の予定が埋まることに対して、今フリーランスの生活を過ごしてる身からすると、なんて安心感があるんだろうと、しみじみ感じます。

予定が埋められていることに不自由を感じていた一方、誰かが、じぶんの時間を決めてくれる、予定を用意してもらえるのって、楽だったなぁと、ぼくは実感します。予定が埋まってないことを気にするストレスがないんです。

でも、今は違います。じぶんで、起きる時間も、食べる時間も、休む時間を自由に決められます。誰かが決めてくれるわけでもありません。ある時は、1日ただ、平日テレビを観て過ごしてた時期もありましたし、寝ていた時もありました。何か外出する理由を頑張ってつくっていたこともありました。

知り合いに、仕事辞めてから、時間経つけど、「普段、平日何をしているの?」って尋ねられた時に、ぼくは、返答に困りました。会社に勤めてた時には、そんな質問されることなんてなかったですから。せいぜい「休日どう過ごしてますか?」ぐらいです。

嘘はついてないですが、ちょっと苦し紛れに、「人と会ったり、やりたい短期アルバイトをしたりしています」と、ぼくは答えていました。でも、毎日そうしているわけではありません。ただ、ぼぉーっとして1日が過ぎていく日もあれば、本をずっと読んでいた日もあれば、Netflixでずっと何十話もある『ハウス・オブ・カード』を朝から晩まで観ていた時もありました。毎日、気の向くまま過ごしていたので、側からみたら、もったいない、贅沢な時間の使い方をしているなぁと思われていたかもしれません。

今も、そうなんですが、時々周りの人とじぶんの時間の使い方(特に仕事の予定)を比較してしまって、居心地が悪くなったり、焦りや不安が襲ってくる時があります。じぶん、このままで、大丈夫かなぁって。

だから、じぶんが興味があることで、誰かの予定と、うまくいい感じにハマった時は、ぼくのテンションがちょっとあがります。

先日、コミュニティの友人から、平日のお昼の時間帯にカレーを渋谷で食べようという企画が立ち上がって、興味を持ちました。その日の予定を手帳で確認してみたら、ちょうど、その日の夕方、新宿で人と会う約束をしていたので、早めに家を出てランチに参加するものありだなと思ったので、すぐに手帳のカレンダーに入れちゃいました。友人がオススメするカレーを食べたい気持ちは、どんどん高まってきていて、予定を組んだその日は、きっとたのしい日になるに違いないと期待が高まりました(ちなみに、その予定はこれからです)

もしカレーのランチの話がなければ、ぼくは、お昼をちゃんと摂らないで、夕方に人と会っているかもしれません。ランチの時間は、12:30〜でした。そりゃそうです、平日の会社の昼休憩の時間ですから。でも、ぼくの場合、必ずしも、その時間に食べる必要はありません。11:00に食べようが、14:00過ぎに食べようが、自由です。自由だから、じぶんで決めないと、食べる時間を疎かになりがちになります。ひどい時だと、夕食まで何も食べてなかったってことも、過去にあります。

だから、時々、会社勤めをしている友人とご飯を食べれるのは、うれしく感じます(毎日だと飽きてしまいますが)時々、時間軸と違う人と、時間を共にすると、世間とじぶんとのズレみたいなものを感じられて、じぶんを相対的、客観的に観察できるので、結構たのしいです、一方不安も感じます。最近は、このたのしいと感じるのは、不安やストレスが少なからずあるから、湧いてくる感情なのかなと思います。

手帳の話に戻します。フリーなので、まっしろな手帳のカレンダーを、どう埋めようが自由なんです。ただ、無理やり予定をつくって、カレンダーに予定を書き込むのは、ちょっと、じぶんを無理させてしまう気がします(仕事となったら話は別ですが)

無理をしない程度に、お気に入りの万年筆で、丁寧に手帳のカレンダーに予定を入れていく作業が、特に、人と会う予定を考えるのは、たのしいです。

フリーの友人なら、平日のお互い空いてる時間を確認しあって、都合のいい時間に会って話すことができます。会社勤めの友人なら、平日の夜(金曜とか)に、飲みにいったりできます(こちらの方が予定が埋めやすく楽です)。平日忙しい友人なら、土日の午後にたっぷり時間をつくって遊んだりもできます。

でも、欲張って、今度は予定を埋めすぎると、予定をこなす作業になってしまうので、逆に疲れることがあります。じぶんで予定をいれたのに、ヒトリになりたいと後になって思うこともしばしばあって、なんて、じぶん勝手なんだろうと反省します。そうなってしまうのは、きっと、予定を埋めることが目的になってしまっているからなんでしょう。

一方で、予定が埋まってないと、やっぱ時々、不安が襲ってくるんですよね。無理やり埋めて気を紛らわせてしまいたくなります(やってしまう時はやってしまいます)

じぶんのちょっとした先の予定を、予定されたその日を、どう丁寧に過ごしたいかを、考えることって、じぶんの居心地を考える上でも、必要な手段の1つだなぁと、ぼくは思います。考えすぎると、また、作業になっちゃうので、バランスが難しいですけどね。

先日、コミュニティの友人から、Twitterで、コメントをもらいました。

毎日じぶんで決めていくこと(行動動機を問い続けること)を続けていくことは、自由ではあります。でも、それを不自由で辛いと思う日も、たくさんあるんだろうなぁと想像してみると、身が引き締まりました、同時に鼓舞もされました。

今月、来月は、しばらく会ってないけど、会いたいと思う人に久しぶりにコンタクトをとってみたいと思います。会ってどうなるかとか、仕事に結びつかどうかとか、あまり考えないで、損得なしで、会う方がいいんじゃないかなぁ。久しぶりのテンションで、お互い新鮮な気持ちで、笑顔で話せるといいなぁと思います。

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最後まで、読んでいただきありがとうございます。

noteを書く時に、誰に向けて書いてるかを考えるんですが、だいたい、今だったり、過去のじぶんに向けて書いてることが多いです。きっと、じぶんを鼓舞したいんでしょうね。

余談ですが、ヘッダーの写真は、ぼくの親戚家で飼われている「柚」という名前の雌猫です。猫って、自由に見えますよね。毎日どんな気持ちで、過ごしているんでしょうね。猫の視点で、1日の世界を感じてみたかったり、時々思います。



サポートありがとうございます。カフェでよくnote書くことが多いので、コーヒー代に使わせてもらいますね。