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ツンドッカーの本棚とポテンシャル。

おはようございます。うえぽんこと、上田です。

今日は、ツンドッカー(積ん読する人)の本棚について、noteを書いてみます。


はじめに

前回のnoteでも書きましたが、ほぼ毎日noteを書こうと、何度決意して、何度挫折したか。その度に、続かなかった理由を考えます。

理由としてよくあるのが、何か伝えたいことがあって書きはじめて「何か」をずっとあれやこれや思いを巡らせて、途中わけがわからなくなって、筆を置いてしまうことです。

筆を置いて、一度寝かせるのはいいのですが、そのまま寝かせたままで終わってしまうことが、ぼくの場合多いです(下書きたくさんあります)。

とりあえず、「何か」がわからないままに、外に出してしまえばいいのではと思うのですが、自身のプライドが邪魔をして、出せません。いつまで経っても、外に出せないのは、ちょっと心苦しいです。

このやり方は、別にまったく悪いわけではありませんし、毎日考え続けて伝えたい「何か」を深いところまで落とし込んでいくことは、苦しいですけど、見つけたときは、たのしいと思います。

これを、ほぼ毎日アウトプットできていたら、一番いいのですが、ぼくの場合、あらためて、このやり方は続けられないなぁと思いました(できている人は、すごいと思います)。じぶんの今の身の丈にあっていない気がしました。いずれは、できるようになりたいです。

なので、この方法でのアウトプットは、別で走らせしつつ、もう少しハードルを下げることができないか、考えて思いつきました。

ツンドッカー(積ん読する人)によるnoteです。


ツンドッカーとは?

いきなり、ツンドッカーと言われても「なんだ、それは?」と思われでしょう。はい、その通りです。公にそんなことばはありません

一応「ツンドッカー」でググってみたら、7件(2020年4月11日時点)しか検索に出てきませんでした。検索された一部の記事を読んでみると、このことばの解釈には、いろいろありました。

音楽でロックをやっていて積ん読している人「積ん読するロッカー」と自称していたり、文庫本を大量に持って店内をうろつく客というニュアンスで使っていたり、ごく少数、解釈は個人で違えど、ツンドッカーということばが存在していました。

ぼくが勝手に使うことば「ツンドッカー」は、積ん読する人のことを指します。

ちなみに、積ん読とは、

つんどく【積ん読】(名)
〔「積んでおく」にかけたことば〕〔俗〕書物を積んでおくばかりで読まないこと。「ー主義」

出典 三省堂国語辞典 第七版

とあります。

積ん読する人=ツンドッカーということばを、これから勝手に使ってみます(どうでもいいことなのですが、ことばの響きが経営学者のピーター・ドラッカーと似てません?)。


ツンドッカーには、noteを書く上で考える材料がたくさんありそう

家の本棚に本がぎっしり詰まっている(もしくは、本棚はないけど、床や机に本がたくさん積まれている)状態の人って、けっこういるんじゃないでしょうか。

なんで、積ん読状態になっているか、人によって理由はいろいろありそうです。

・読もうと思っていたけど、忙しくて読めなかった。
・人から薦められて読んだけど、中身に興味がそんなに持てなかった。
・自分が気になる人が読んでいるから、とりあえず買ってみた(買うこと自体が目的だったり)
・読書の速度が遅くて、なかなか読み終わらず、本はたまっていくばかり
・読みたいページだけ読んでおわり(これだけでも、個人的には、いい思います)

理由は他たくさんあると思いますが、結局読んだか読んでないか、その人がどう捉えるかの話なので、あまり他人からとやかく言われるものではないかなと思います。

とは言いつつ、本の中身について、何か文章を書くことになったら、読まないといけません。

さて、本題ですが、ツンドッカーによるnoteといっても、何か特別なことをするわけではありません。単純に、積ん読された本をちょっとずつ読み進めて、読み終わったら、ただ感想を書くのでもいいと思います。

ただ、ツンドッカーには、他の読書家(例えば、毎日本を読む習慣が身についている人、苦なくすぐ読み終えてしまう人)にはないと思えるポイントがあります。

なぜ、手にした本が読まれずに、積まれているか、そもそもなぜ、その本を手にしようと思ったのかということです。

手にしたけど読まれないのには理由があります。あと、そもそもなぜその本を手にしようと思ったか動機や理由は、本人には必ずあるはずです(これは、他の読書家の方にも言えると思います)。

ぼくは、それなりのツンドッカーだと思います。

数年前に買ったほとんどページを開いてもいない雑誌が、未だに処分されずに本棚にたくさん横たわっていたり、じぶんが尊敬している人が「いい」と薦めた小説も、じぶんのためになるだろうと思って買ったビジネス書も、こういう本が読めたらカッコいいなぁと思って買った哲学書など他、いろんな本で棚は埋まっています。

本でありませんが、年末の大掃除でクローゼットの整理をしていたら、大量の映画パンフレットが出てきました。ダンボール1箱ありました。

中を見ると、いつ観たか思い出せない、そもそも観たことすら覚えていない映画のタイトルがいくつもあって「なんだこれ?」ってなりました(一部、ぼくの奥さんが独身のときに観た映画もあって、それはわからないよ)。

ほとんど読まれていないパンフレットですが、買った動機や理由があるはずです。

現在、一部の本が積ん読になっている理由や、きっと本人も積ん読にはならないだろうと思って当初気合いを入れて本を買った動機や理由を思い出してみると、その人なりの、エピソードがいろいろ出てきそうですね。

それを、noteに書いてみると、じぶんが好きなものや興味があったこと、じぶんを振り返るきっかけが見えてきそうじゃないでしょうか。

積ん読された本の中身を少しずつ読んで、気になったところをただ紹介するのもいいですし、本を手にとった動機や理由をただ書くだけでも、note書けそうじゃないでしょうか。

本を手にしたという、具体的でわかりやすい事実があるだけでも、動機や理由は探りやすいです。少し書くハードルが下がるように思います。

まだ、ぼく自身が書いてないので説得力はないですが、とりあえず、ぼくも何か書いてみようと思います。


ぼくは、夏目漱石の『三四郎』を読みはじめました。

昔の作品は、学校の国語の時間でしか、ほとんど読んだことがありません。さらに、読んだけど内容をほとんど覚えていません。

唯一、覚えているのは、夏目漱石の『こゝろ』です。

社会人になって、わざわざ文庫本を買って読み直すほど、高校生の頃、ぼくに強烈な印象を残した作品でした。

その作品を書いた夏目漱石が気になっていたのと、たまたま仕事で縁があって手にとる機会があった『三四郎』の表紙カバーの女性の絵に惹かれて、文庫本を買いましたが、以来、7年間積ん読でした。

冒頭を読んで、ラノベみたいな展開だなと、今ドキドキして読んでいます。


最後に紹介があります。先日、ぼくの知り合いがnoteで、似たようなことを書いていました。彼の読もうと思った、オススメしたい動機が書かれています(ぼくは、彼のこのnoteを読んで、今回のnoteを書く動機の1つになっています)。


最後まで読んでいただきありがとうございます。読書が苦手なぼくですが、積ん読の理由を考えていたら、最近本を読むのが、少しずつたのしくなってきました。

サポートありがとうございます。カフェでよくnote書くことが多いので、コーヒー代に使わせてもらいますね。