書けない、書く動機を見失う。結局、書こうと思ったことがあったが、やめて、別のことを書いてみた。

ほぼ毎日、文章を書くというのは、なかなかつらいものがある。noteを連続3日ぐらい書き続けての所感だ。

書けない。なぜ書くか?の動機を見失う。

毎日何かについて、文章を書こうと思って、何を書こうか、さっきまで考えていた。「下書き行」に放り込まれた、書きかけの文章をもっかい再開しようかなとか、今頭の中で、気になっていることを書こうかなとか、考えていたのだが、どうも机に向かうのが、億劫なのだ。

今は気持ち的に書きたくない内容から、ほんとうにどうでもいいような事柄まで、頭の中で、書く内容がグルグル駆け巡っているのだが、書けない。「なぜ書くのか?」書く動機が、よくわかっていない。きっと億劫になっている要因は、このあたりで、今日中に書く動機の答えが出ない気がした。

あと、書く動機はあったのだが、ここ連日、じぶんへの決意表明みたいな真面目なnoteをずっと書いていて、内心ちょっと疲れている。じぶんのことを、オープンに書くって、案外ストレスかもしれないと感じている。

書いた内容に対して、周りからどう思われるかとか、リアクションがまったくなかったら、どうしようかとか、じぶんの稚拙な文章をさらすことに対して「うわぁ、なんかやっぱ恥ずかしいなぁ」と後々感じたりすることもあった。

そもそも、じぶん(内面)に向けて書いてる内容だから、わざわざオープンにする必要ないじゃないかと思うのだが、noteに残しておきたいという気持ちが強かった。じぶんと似たような人が、世の中にはいて、見つけて欲しいと思っているからだ。「じぶん、じぶん・・・」って言葉を数えるのも面倒になるぐらい、何回も、じぶんのことを書いていた(少し、じぶんでもひいている)

ここ数日、悶々としながら、じぶんのことを書くことに対してのモヤモヤを抱える一方、漠然とじぶんのことを書きたい気持ちもあるものだから、矛盾している。

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このnoteで書きたいこと、伝えたいことは、「文章を書こうと思ったが、書けない」という単なる言い訳です。しかも、中途半端な終わり方で、だから、どうしたのと、じぶんで突っ込みを入れたくなりますが、結論として、なんて書いたらいいか正直分からなかったので、挫折noteになってしまいました。

本来は、ここでnoteを閉じるんですが、実は、こんな文章を書いている最中も、何を書こうかなと考えていました。昨日の出来事で、じぶんの琴線に触れたものがないかを思い返してみたら、一応あったので、それは、今のうちに、書き残しておきたいと思ったので、以下書いておきます(たぶん、放置したら、記憶の彼方に消えていきそうなので)。気になる方がいたら、そのまま読み進めてくれたら、うれしいです。

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文章力は読書量に比例する

昨日、古本屋で、気になって思わず、2冊本を買ってしまった。

約1年ぶりに、よく通っていた友人の経営しているカフェで珈琲を飲みに寄った帰り道、偶然、見慣れない新しくできていた「古本屋」を見つけたので、気になって入ってみた。こじんまりとしたお店で、本のセレクトは、店主の趣味がよく反映されていた。

「絵本」「料理」「詩集」「文学作品」「編集」「本屋」「コピーライティング」「デザイン」など、ジャンルがだいぶ偏っていた。何よりも、興味深かったのが、奥にキッチンがあって、若い店主(たぶん)が、何か調理をしていた。ちょっとしたお菓子も販売している、古本屋だった。おお、なんかじぶん好みの変わったお店を見つけたかもと、内心ワクワクしていた。

棚を一通りみて、気になる本を見つけたので、思わず買ってしまった。

『土屋耕一のことばの遊び場。』土屋耕一 和田誠/糸井重里・編
『はじめての編集』菅付雅信

買った理由は、いろいろあるのだが、それを全部書いていたら、非常に長くなるので、今回は省略するが、1個だけ買った理由を書いておく。

タイトルが少し気になって、『はじめての編集』をパラパラ立ち読みしていて、気になる見出しがあったのが理由だ。

文章力は読書量に比例する

まじか、じぶんは、全然本を読んでいないぞ。今年の年始に実家に帰省した時も、「やっぱ、本を読むって大事だぞ」と父親と雑談中、言われたばかりだった。

そもそも、ぼくは、文章を読むのが遅い。大学のセンター試験の現代文の点数はひどいものだった(予備校で解法テクニックを教わったけど、駄目だった、そもそも教えてもらったけど、訓練していなかったのが原因だが)

読書においては、気持ちがのらないと、継続して読めない性質だ。途中飽きてしまって読みかけで、終わることがよくある。本棚の整理をしていて、「あれこの本って、どこまで読んだっけ?」「買ったけど、一度もページを開いていないんじゃないか」となることが、よくある。

読書は、どちらかというと、苦手意識がある。今、毎日文章を書こうとしている立場としては、なかなか、今回の見出しに書かれている内容は、耳の痛い話だ。

この見出しが、どうしても気になってしまって、必要に迫られるような面持ち(たぶん)で、そのページだけ、真剣に立ち読みしていた(ページ前後の文脈を読んでいないので、もしかしたら書いてある内容の解釈が間違っているかもしれないが)

ページに書いてあった内容のうち、個人的に文章を書くアプローチとして考えるきっかけになりそうなものを、一部抜粋引用してみた。

王道はなくても、文章力はきちんと鍛錬を積むことで上達します。一般論になりますが、いいライターや作家、コピーライターを見ていて思うのは、文章力は読書量に比例するということです。(途中省略)。作家の高橋源一郎さんはこう言っています。ひとつだけ確実にいえることは、なにかを『書く』ために、もっとも必要としているのは『読む』能力だということなのです。(『13日間で「名文」を書けるようになる方法』より)
もうひとつ、あまり変わった言葉ではなく、なるべく普通の言葉を使い、そこに時代感を加えていくこと。(途中省略)。時代感は日々更新されていくので、きちんと時代をウォッチしていくことでしか得られません。また、決して自分のひとりよがりにならず、ひたすら相手にいかに伝えるかということを念頭に置いて考えることも大事です。
糸井重里さんはこう言っています。必要なのはセンスでも才能でもなく、真面目に考えること。すらすらとでたらめに書く技術がどれほど上がったところで人の心には響きません。どんなに不器用でも真剣な眼差しで目を見ながら『頑張ります』と言われたら言葉は拙くても期待しちゃうじゃないですか。文章もそれと同じでしょう(COBS ONLINE トレンドサプリ「糸井重里インタビュー 読み手に伝わる文章の極意」より)。

抽象的な内容ではあるが、読書や文章を書くのが苦手なじぶんの琴線に触れるものがあったのは、たしかだ。少し、文を読む、本を読む、つながって、文章を書くことについて、じぶんなりに考え直してみようと思った。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。じぶんのことばかり考えていても(内側に向けてばかりいても)広がっていきません。内側から、どう外側に向けていくのか意識を広げていきたいと思います。


サポートありがとうございます。カフェでよくnote書くことが多いので、コーヒー代に使わせてもらいますね。