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オンライン会議の違和感について考える(前編)

こんにちは。うえぽん、こと上田です。

今日は、ぼくが、テレワーク、オンライン会議について抱いている違和感について書いてみます。詳しい知識はそこまでありませんので、あくまでも、今までじぶんが体験したことを元に書きます。

途中書いていて、どんどん長くなってしまったので、一部は、後編に続く構成になる予定です(明日書いてみないと分かりません)。

前編は、ちょっとネガティブなことを、けっこう書いてありますが、じぶんだったら、こうする、こうしたらオンライン会議たのしめるんじゃないかということも、後編で書いていけると思います。

そもそもテレワークってことばに違和感あり。

テレワークということばを、テレビやインターネットで聞くようになって、1ヶ月以上経ったでしょうか。

そもそも、このテレワークってことば、以前から使われていたと思うのですが、ぼくにとっては、はじめて聞くぐらいの響きでした。単にぼくが世間知らずなのかもしれませんが、ん、急に出てきたぞって感じです。

ぼくの場合、どちらかというと、オンラインってことばの方が、馴染みがあります。オンラインミーティング、オンライン会議、オンラインで集まる・つながっているって言い方を、見て聞いて使っていました。

テレワーク(名)〔telework〕
コンピューターで本社と<自宅/サテライトオフィス>を結んで勤務する形態。在宅勤務。

出典:三省堂国語辞典 第七版
オンライン(名・自サ)
①〔on-line〕[情]コンピューターがネットワークにつながっていること。データなどがインターネットで見られたり入手したりできること。
「ーシステム〔=窓口事務の即時処理組織〕
・ーショッピング〔=ネットショッピング〕
・ーゲーム〔=インターネットに接続して遊ぶコンピューターゲーム〕」
(↔︎オフライン)
②〔on the line〕〔テニスなどで〕ボールがライン上に落ちて有効となること。

出典:三省堂国語辞典 第七版

辞書で調べる限り、テレワークテレワークと耳にするけれど、在宅勤務ってことなんですね。

あと、会社と自宅がコンピュータでつながっているというのが、テレワーク。コンピュータがインターネットに接続されている状態がオンライン。

オンライン○○○って使い方だと、インターネットを介して、○○○をするってことなので、在宅勤務に限らず、インターネットがつながる場所ならどこでも、使えそうなことばですね。

(ちょっと、じぶんで書いてて、スッキリしました)

オンライン会議に違和感あり。

テレワーク、インターネットでつながった仲間たちとのオンライン会議(仕事ではない)を、あらためてやってみて感じた違和感について、これから書いてみます。

その前に少し過去のお話をします。

あえてあらためてと表現したのは、ぼくの場合、オンライン会議を最近はじめたわけではなかったからです。

2018年6月にコルクラボという、オンラインコミュニティに参加するようになりました。

ぼくが入った当時は、オンライン会議用ツールが、ちょうど、このコミュニティに導入されたばかりの時期でした。

それまでは、チャットツールやコミュニティ会員専用のオンライン掲示板で、基本、文章での会話を通して、メンバーとやりとりをしていました。

やりとりと言っても、仕事をしているわけではなく、メンバーみんなが、好きなもの、気になるものをコミュニティ内で紹介しあったり、今日こんなことがあったとか、個人のプライベートなことをメンバーに発信したり、とにかく目的もなく、メンバー同士お互いを知るためのコミュニケーションをしていました(今も変わりません)。

時々、メンバーの誰かが、リアルでイベントを開催して、イベントに参加できない遠方メンバーは、実験的にオンライン会議用ツールでイベント模様を視聴するといった形式をとっていたのも、ぼくが入った頃からでした。

入った当時からここ最近まで、ぼくは、オンラインコミュニティに所属していながらも、あまりオンラインの会話、特にオンライン会議用ツールでの会話は、苦手でした(今もそうかも)

リアルで参加できるなら、そっちの方がいいです(今もスタンス変わらない)。

オンラインコミュニティと名のついたところに所属しているのに、オンライン会議が苦手って、矛盾してないかと思われるかもしれません。

全部のやりとりが、オンラインだったら、たぶん参加し続けることは難しかったと思います。

今日までコルクラボという場所に関わり続けられた理由の1つに、リアルとオンラインが同居した場所かつ、いつでも接続できる場所(出入りが自由)が存在していたからです。

オンライン会議が苦手なぼくですが、文章やリアクションボタンだけで、すんでしまうチャットツールは、どちらかというと、まだ、ぼくには気楽でした

チャットは、一見リアルでタイムラインが流れているように見えますが、相手の姿が見えず、ツール上に表示される文脈から、相手が何を考えているか想像して、ことばに変換して返事をするので、やりとりする時間は断続的です

返事をする側は、考える猶予ができるので、ぼくは、どちらかというと、チャットの方が相性がいいみたいです。

もちろん、文章を考える時間は長くなるんですけど、じぶんが今どう思っているかを理解するには、いい時間です。

ただ、スピーディーな会話を求められると、しんどいです。こればっかりは文章を交わす相手との相性のような気がします。

さて、ぼくが苦手としていて、違和感も抱いているオンライン会議用ツールに話を戻します。

なぜ苦手なのか

現在オンラインコミュニティで使っているオンライン会議用ツールは、画面の上部に複数のメンバーの姿が映った小窓がたくさん出てきて、真ん中に、今現在話しているメンバーの姿が大きく映ります(設定でいろいろ仕様は変えられると思いますが)。

参加者の顔は、いっぱい映っているし、表情も読み取れることはできますが、画面の小窓がありすぎて、じぶんの視線をどこに持っていったらいいか、迷います。

また、誰か1人がずっと話しているときは、その人の音声に意識を集中させることにエネルギーを使うので、案外、小窓に他人の姿がたくさん映っていても、ほとんど見ている余裕がありません

映っていても、気にしなくなります。せっかく画面にいるのに、存在に気づいていないというのは、少し寂しいかなと、個人的に思います。いるけど、いない、そんな感じです。

リアルで大勢いる場所であっても、似たよう感覚に見舞われますが、物理的にいるというところで、少し違います(なかなか、ことばにしづらい)。

視線以外に気になるのが、じぶんが発言したいとき、相手の発言が終わるタイミングを見計らって話すことに、気を遣います

物理的な距離感がわからないというか、息使いが見えないというか、また感覚的な話です。

これは、慣れの問題かもしれませんが、リアルで話すのと比べて、オンラインの会話に割って入る方が、ハードルが高いかなぁと思いました。

声の大きい人や発言量が多い人にとっては、それなりに没頭できるツールかなと思いますが、そうじゃない人からすると、例えば、実は発言したいけど言いにくい人からすると、少し居心地がわるいところもあるのかなと思います(観ているだけでいい人には、ちょうどいいかもしれません)。

ですから、よりファシリテーター的な人が、リアルタイムのオンライン会議では必要な気がしました。全体に目を配っていて、相手の表情を注意深く見て、気が利く人、話をふってくれる人ってイメージでしょうか。

最後に、これも人によるので、あくまで個人の見解といいます。

オンライン会議用ツールが便利なのはわかるのですが、オンライン会議のたのしみ方がイマイチわからないってのが、ぼくの中ではあります。あと、つながっている実感が得られにくいというのもあります。

オンラインでつながっていると、簡単に言えてしまうのですが、実際のところは、大勢でオンライン会議をやるのには、空虚なものを感じています(どっぷり利用していないので、使っていくうちに受け取り方も変わっていくと思いますが)。

まだ、文章だけの方が、相手に想像力を働かせる分、相手のことを考える時間が、じぶんの中に増えます。

相手のことは見えていないけれど、こころの中で、その人を考えている時間が存在するだけ、じぶんが豊かになるんじゃないかなと思います。

(今日は、タイムアウト、ここまでです)

次回は、あらためて、オンライン会議を最近やってみて、じぶんだったら、こうする、こうしたらオンライン会議たのしめるんじゃないかというのを書いてみます。後編に続きます。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

いざ、今回の違和感をかきはじめたら、どんどん文量がおさまらなくなってしまいましたので、残りは明日書きます。

今のご時世だからなのか、今これら違和感に、あらためて向き合っている感じがします。

サポートありがとうございます。カフェでよくnote書くことが多いので、コーヒー代に使わせてもらいますね。