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陽水は、おもしろい方(かた)かもしれない。

2019から2020年末年始、テレビのスペシャル番組が、たくさん放送されていて、リアルタイムで観れないものだから、自宅のHDD(ハードディスク)に番組を録りためていた。その中に、うちの奥さんが、予約していた番組があった。NHK特別番組『陽水の50年〜5人の表現者が語る井上陽水〜』だ。

おもしろい方(かた)かもしれない、陽水。

先日、ぼくは、その番組を観て、「井上陽水は、おもしろい方(かた)かもしれない、素敵なおじさま」と思った。それから、今日まで時折、井上陽水(以後、陽水)のことが頭の中で、ちらつくようになって気になってしまった。彼のつくった過去の曲を、ちゃんと聴いてみたいと思った。

すでに、71歳を生きてる彼は、世間では、ベテランのシンガーソングライターで、昭和でデビューしてヒット曲を飛ばし、ぼくが10代を生きた平成でも、再ブームが到来して、『GOLDEN BEST』でヒットをまた出していた。そのような彼を、今更、おもしろい方というのは、失礼な話なのだけれど、録画した番組を観て、正直そう思ってしまったのだ。

彼の番組のインタビューで語る仕草や話す内容を聞いているだけで、ぼくは、笑みが溢れてしまった。サングラスをかけているので、目の表情は読み取れないので、実際どんな表情をしているか、分からない。

でも、喋り方が独特でユニーク。別の人が喋ったら、ちょっと皮肉や嫌味に聞こえてしまう内容も、淡々と、さらっと、敬語で、彼は話すのだが、観ている側は気にならなかった(個人的感想だ)。彼本人が、時々、自虐気味に喋るおかげもあって、観ている側の表情は自然と緩んでしまう。一緒に番組を観ていた奥さんも、顔の表情が緩んで、笑みが溢れていた。

もっと彼の口から、いろんな話を聞きたいなぁという気にさせられた。番組タイトルにあるように、陽水以外に5人のゲスト(松任谷由実、玉置浩二、奥田民生、宇多田ヒカル、リリー・フランキー)が陽水についての話を、単独インタビューで答えていたが、陽水本人のインタビューそれほど多くなかった。どちらかというと、歌を歌うのがメインの番組構成になっていた。

彼が歌っている時の姿は、サングラスで表情が読み取れない。無表情というか、真剣に歌っているように見えた。トークをしている姿と違ってシリアスな印象だった。

歌っている時とトークの時との雰囲気のギャップを感じながら、少ないインタビューから聞こえてきた、ことばを通して、きっと、ほんとうのことを、彼は喋っているんだろうなぁと感じられたと同時に、彼のふわっとしている雰囲気から、独特の色気を感じた。

『傘がない』の衝撃。「なんだ、これ?」だった。

以前から陽水の存在は、知っていた。両親がフォークソング世代の人で、1970年から1980年代で流行った音楽が、たくさん家に置いてあった。安全地帯、さだまさし、オフコース、南こうせつ、など、いろんなアーティストのCDやカセットテープがあって、その中に、陽水のCDも含まれていた。

物心ついて、父親がよく、カーステレオや自宅のCDカセットコンポで、CDやテープを頻繁に入れ替えて、音楽を聴いているのを見ていた(父親は、音響機器メーカーに勤めていたので、音にはこだわりがあった)。

だから、あの小さい円盤の中に、いろんな音楽がたくさん詰められているのだと、子供ながらに予想できた。家には、円盤がたくさん置いてあったから、興味本位で、親に隠れて、CDの入ったラックをあさっていた。その中で、見つけたのが、陽水の『傘がない』『氷の世界』などの曲が収録されたアルバムだった(アルバムタイトル名は覚えていない)。

親が外出している時に、陽水のCDを勝手にコンポで流して聴いてみて思った感想は、「なんだ、この変な歌は?」「全然、かっこよくない」だった。しかも、タイトルが『傘がない』って、なんてふざけた曲なんだと、子供ながら、違和感を感じていた。

当時は、アニメやドラマの主題歌をよく聴いていて、タイトルも英語のものが多かった。『傘がない』ってタイトルは、妙にダサくて、古いと感じ、少し小バカにしていた(今思うと、子供の頃のじぶんは、ほんと失礼なことを思っていたんだなぁと、恥ずかしい気持ちになる)。

『傘がない』の歌詞カードを読んだ時も、衝撃を受けた。冒頭いきなり、

都会では 自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども 問題は今日の雨 傘がない


「なんだ、これ?」

子供の頃に感じた「わけが分からない曲」の1つとして、この曲は、ぼくの中で勝手にレッテルを貼られてしまった。すごく暗い話をしているのに、最後に、傘がないのが問題って、どういうことだよと。はじめて聴いた時、正直笑ってしまった。他の彼の曲も聴いてみたが、どこか「変、これが歌なのか?」という印象を持った。彼の声質も独特だと感じて、子供ながら馴染めなかった。陽水の曲との、最初の出会いは、もう違和感だらけだった。でも、違和感はあったけど、嫌な気持ちにはならなかった。

『少年時代』で印象が、がらっと変わった。

月日が経って、父親の書斎の机に『少年時代』のシングルCD(8cm盤)が置かれていたのに気づいたことがあった。ジャケットには、漫画のコマ絵(藤子不二雄A)描かれていて、当時小学生(高学年)で、漫画やアニメが好きだったので、アニメの曲なのかなと思い、聴いてみたら、どこかで聞き覚えのある声だと分かった。陽水だった。

でも、以前聴いた曲と違って、メロディーが心地よくて、歌詞も抽象的なことばだったが、夏の情景が自然と浮かんできた。今でも出だしは、すらっと言えるほど冒頭の歌詞は覚えている(夏は過ぎ、風あざみ)。

学生時代には、カラオケで、陽水の声のモノマネをして、『少年時代』を時々歌って、場で笑いをとることもあった(学生になっても、失礼なじぶんだった)。この曲で彼の印象が、がらっと、ぼくの中で、変わったのだけれど、「好きだ!」ってなるほどではなかった。

トリビュート・アルバムを聴いてみた。

2019年11月に、『井上陽水トリビュート』が発売された。何で最初このアルバムを見かけたのか、はっきり覚えていないのだが、たまたま収録内容を見た時に、ちょっと聴いてみたいと思ったのだ。

昨年の、サマーソニック東京 2019のパフォーマンスで、ぼくが、いいなぁと感じて注目している「King Gnu」が陽水の曲を一部カバーしていたからだ。しかも、カバーしている曲が、『飾りじゃないのよ 涙は』だった。この曲は、小さい頃聴いたことのある曲(中森明菜に提供された楽曲)で、メロディーとサビの歌詞だけ覚えていたから、少々馴染みがあった。1曲だけiTunesで購入して、ループ再生。

ボーカルの井口氏の繊細なハスキーボイスが、さらっと乾いた感じを醸し出し、クール、カッコイイ、オシャレをより引きたてていた。例えとして適切かどうか分からないが、生のじゃがいもの皮を向かないで、ナイフで、スパっと、切っていく、鋭く尖ったイメージだ。昭和を感じさせず(悪い意味ではない)、新鮮で、いいなぁと感じた。

で、前述でとりあげたNHK特別番組で、『飾りじゃないのよ 涙は』を少しだけ、陽水が歌っていて、だいぶKing Gnuが歌った印象と違うなぁと感じた。それで、ぼくの興味が尽きなかったので、陽水の過去のセルフカバー・アルバム『9.5カラット』から、同じ曲をiTunesで購入して、聴き比べをしてみた。

使用している楽器(シンセサイザーとか)のせいもあるのだが、陽水本人が歌ったのを、あらためて聴いた時に、「陽水って、歌が上手なのか下手なのか、よく分からない方だなぁ(悪い意味で言ってるつもりはない)」と思った。同時に、彼が歌うと、彼の曲だなぁと、自然に感じられて、彼のオリジナリティをすごい感じた。

しかも、聴いていて、じぶんに曲が馴染んでいくのが感じられて、気持ちがよかった。じゃがいもの皮をゆっくり向きながら、次はどう中身を切ろうか考えていて、尖っているようにも見えて、ふわっとしているような、つかみどころが分からないイメージだ。でも、不思議と、かっこいい、おしゃれ、くーるに感じた。

子供の頃は、「なんだこれ、変なアーティスト」だなぁと思っていたのに、だんだん、ぼくの中のイメージが変わってきていた。昔の曲も聴き直してみようかと思い始めてきた。噛めば噛むほど、おいしくなるスルメのような感じで、味わい深いのだ。

King Gnuが、ワインを、塩気が効いて手の込んだナッツやチーズと、一緒にいただく感じなら、陽水は、ワインを、納豆やネギを添えたバケットと一緒にいただく感じだ。聴き比べをやってみて、両アーティストの曲は、どちらも、いいなぁと感じつつ、あらためて、陽水のすごさを再認識できた。

変だと思っていた昔の曲を、今度聴き直してみようと思った。

陽水の曲を聴き直してみようと思ったのは、トリビュート・アルバム以外にも理由がある。陽水が書く歌詞だ。

子供の頃に「なんだ、これ?」と思った『傘がない』。録画した特別番組でも、陽水がスタジオで歌っていたのだが、2番の歌詞を聴いて、これは普遍的で、色褪せない、聴き手の想像力をかきたててくれる曲だと思った。ぼくの中に、「ぐぐぅ」ってきて、いいなぁと思った。

テレビでは 我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をしてしゃべってる
だけども 問題は今日の雨 傘がない

行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
君の家に行かなくちゃ 雨にぬれ

世間がどうとかよりも、今、じぶんにとって大事なことがあって、目の前のことしか見えてなくて、きっと、急いでいる。でも、つめたい雨が降っていて、傘がない。そう、傘がないんだよ、今。そんなに、急いでるなら、行かないといけないと思っているなら、傘がなくても気にするなよ、どっかで買えばいいじゃないかって思うかもしれないけど。でも、やっぱ雨が降っていて、傘がないんだよ。逢いたくないけど行かなくちゃいけないのか、本当につめたい雨に濡れたくないのか、逢いたいけど雨に濡れてまで逢いたくないのかなど、たぶん、聴き手の受け取り方によって、いろんな解釈が生まれると思う。

一応ネットで、この曲について、調べてみたら、当時、歌が発表された頃の日本社会(1970年代)についての皮肉を込めたものがテーマにあると書いてあった。でも、今の時代で、聴いてみても、同じもの、通じるものがあると思った(傘は、コンビニですぐ買えるようになっているけど)

傘がないっていう歌詞が、ほんと些細で日常的にあたりまえのように存在する状況を、ただ切り取っているだけなのだが、だからこそ、「ぐぐぅ」っと感じてしまうと同時に、この歌詞を書いた陽水は、「おもしろい方かもしれない」と思ってしまった、じぶんがいた。

ぼくは、陽水と、陽水がつくった曲を、好きになりそうな予感がした。いや、もう好きになっているかもしれない。


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最後まで、読んでいただきありがとうございます。1人のアーティストを通して、じぶんの子供時代まで、遡ってしまって、やたら長い文章になってしまいました。年を重ねていく中で、じぶんが今まで出会った人、もの、考え方に触れて、今のじぶんがあることが、少し理解できた気がします(親の影響は大きい)。現在のタイミングで、陽水を再認識できたことは、運がよかったですし、うれしいです。これから彼の曲を、聴き直すのが、たのしみです。

タイトルが、おもしろい方(かた)としているのは、陽水が特別番組のインタビューで、「奇特の方(かた)、奇特の方(かた)」と連呼していたのを聞いて、その喋りのテンポや抑揚のつけ方が独特で、クスッと笑ってしまったからです。たぶん、皮肉の意味で使っていたところはあると思うので、ほんとうは笑うのは適切ではないのかもしれません。でも、印象的で、個人的に気に入ってしまいました。個人的、どうでもいいかもしれない話で、恐縮です。

サポートありがとうございます。カフェでよくnote書くことが多いので、コーヒー代に使わせてもらいますね。