見出し画像

褒める。反応する。沈黙する。

前回noteを書いているうちに、話が膨らんでしまった。
膨らんで頭をよぎったのが、褒めることについてだ。

なるべく嘘がなく正直に相手へコメントや感想を伝えるように心がけているが、果たしてそれでいいのかと思う時がある。むしろ困る時がある。

思う理由として、相手を褒める時だ。

褒める必要がないけど、褒めた方がいいのかなと思わされてしまうことがたまにある。褒めることばとして、どこまでがグレーとして言っていいのか。

グレーという言い方をしたのは、使ってることばとあわせて、じぶんの中で、本当に褒めるつもりがあるのか、わからなくなる時があるからだ。

わからなくなるのは、相手の気持ちを汲み取るというところが、そうさせているのかもしれない。「お世辞です」と明らさまにわかるような言い方をしたら、さすが相手に失礼だと思うし気分を悪くするだろう(そもそもお世辞文化がなんであるのか、調べてみたくなってきた)

かといって、心の底から褒めているかというとそうでないことが多い。なんとなく良いけど、そこまで心に響かないとかよくある。相手によっては、褒めるというよりも、もはや正直な意見をそのまま言ってしまえる時もあるが、そうでない時もある。相手との関係値、距離感やその時の状況による。

白黒つけた言い方を求める人から、「良いの?悪いの?、どっちなの?」って聞かれると、それは困ってしまう。

褒めることを昔の職場では時々、意識的にやっていた時があったが、その行為に意味があったのだろうかとたまに思う。本当にじぶんが褒めていたのか、相手に見透かされていた気がする。

褒めるつもりはないし、けなすつもりもないけど、伝えることばが見つからない言いにくい時に、適当に気の良いことばをかければ済む話ではないと思う。言いにくいけど言うべきじゃないことって、人間関係の中でたくさんあると思うが、そういう時どうするのがいいのか。

ユーモアで乗り切るという手がある。以前、メイクアップアーティストのIKKOさんが頻繁に使っていた「どんだけー」ということばが、すごい発明だと、本だったか誰かから聞いた。

この「どんだけー」には、良いも悪いも両方の要素が含まれた魔法のことばで、ツッコミの力もあり、リアクションを返すのに適している。聞いた人はクスッと笑えるし、言われてそんなに悪い気はしない(個人的な意見として)ただし、真意はわからないけどね。

仮に周りが褒めるような雰囲気の場にいたとしたら、コメントをしないで、沈黙するという態度が良いのではないか。実際、リアルでコメント求められる時は、困ってしまうかもしれない。

なぜなら、ことばを発さずとも表情や態度で、なんとなく思ってることがバレてしまうかもしれないからだ(ポーカーフェイスがうまい人なら乗り切れるかもしれない)

ぶっちゃけバレても良いのではないかと思う。態度や表情自体が、意思表示としてとれるし、受け取った相手も何かを感じるからだ(ストレスのかかっている重要な駆け引きをしている時は、たぶんまずいと思う)

表情や態度で相手の意図を感じ取るのも、立派なコミュニケーションの一つだと思う。

SNS上では、コメントしない代わりに、リアクションをするという便利な機能がある。Twitterであれば「いいね」や「リツイート」。noteであれば「スキ」。LINEだと「スタンプ」。

なんかことばにしにくい時や、気になったり、思うことがあったら、このリアクションボタンを押せば、何かしらの意思表示になる。

反応する(リアクションする)→ 何かしらの表情や態度で表す意思表示であり、沈黙するという行為に似ていると思う。

この機能があるだけで、情報を受け取る側やコメントが求められる人からすれば、だいぶ心理的負荷は軽減される。一方で、リアクション数(いいね数とか)が今度気になってしまうという心理的負荷が生まれてしまう人もいるけれど。

次は、褒める、褒められるのが苦手なことについて、書いてみようと思う。

サポートありがとうございます。カフェでよくnote書くことが多いので、コーヒー代に使わせてもらいますね。