変わらないものと思っていたものが変わる、その違和感。
今まで慣れていたもの、変わらないなと思っていたものが、気づいたら、変わっていたなんてことは、よくあることだ。
変わると違和感を抱く。
その違和感に対して、正直にどう向き合ったらいいのか、じぶんで思うことがあった。
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昨晩食べたごはんのときだった。
親戚から以前送られてきた鮭フレーク、冷蔵庫に残っていたわずかな味噌とナチュラルチーズ、あとマヨネーズで、ホットサンドをつくった。
冷蔵庫の残りものと、もらいもので構成されたレシピだ。
おそらく、じぶんでレシピを思いついたとき、心のどこかで、しょっぱくなるだろうなと予想はしていた。
案の定、つくって食べてみたら、かなりしょっぱかった。
かなりというぐらいだから、お店に出したら、クレームがきてしまうレベルだろう。
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このnoteを書いていて、ふと思い出したことがあった。
以前、あるレストランで、いつも食べているサラダのドレッシングが、ちょっとしょっぱいかなと感じることが1度だけあった。
味を変えたのかなと思って、そのままぼくはスルーした。
そしたら、横のテーブルに座っていた年配夫婦の女性が、店員さんを呼んで、
「このドレッシング、いつもと比べて、かなりしょっぱいんですけど。。。」
その女性は、言いにくそうにしていたけれど、塩気が強いことは否定できないと、はっきりした意思が感じられる一言だった。
すぐに店員さんは厨房に確認しにいって、しばらくして戻ってきた。どうやら、ドレッシングの配合を間違えていたらしい。
最初、年配女性のことばを聞いたとき、内心、ぼくはちょっとした言いがかりのクレームかな、と思っていたのだが、実際はそうではなかったようだ。
配合を間違えることもあるんだぁと思って、隣で聞いていたのだが、しばらくして、ちょっとしょっぱかったと感じたけどスルーしてしまったぼくは、なんとなく恥ずかしい気持ちになった。
ぼくの身体は正直に反応していたのに、こころでは、それをなかったようにしてしまったことに、ぼくはモヤモヤしたのを覚えている。
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塩加減一つで、味が変わり、お客さんの反応も変わる。料理は嘘をつけない。
チェーン店などで出されている料理(もしくは商品)は、変わらない味、だけど飽きない味。そのような味を、何年も続けられているのって、あらためて、すごいことなのかなと思った。
変わらない味と言っているけれど、実際は、見えないところで、日々ちょっとした改良が商品に加えられていることは、最近のテレビの情報番組で知ることが多くなった。
変わらない味には、見えない努力があって、お客さんがおいしいと思える味を体現し続けているつくり手の姿は、見ていて、かっこいい。
ぼくは、毎日コーヒーを淹れているが、同じ豆でも、味がころころ変わって安定しない。
挽き方の速度、お湯の温度や注ぎ方、豆の蒸らし方、などいろんな要因が、変わることに影響していそうだ。
個人的には、味が毎回違うことは、飽きなくて、たのしみではある。
だが、ぼく以外の他人、例えばお客さんだと、そうもいかないのだろうなぁ。毎回味が変わることに違和感を抱くだろう。
家庭でつくる料理と、商品としてだす料理の違いを、ほんの少しだけ考えてしまった。
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最後まで読んでいただきありがとうございます。
しょっぱいものを食べたら、喉が渇きます。昨晩のホットサンドを食べた後、喉が乾いてしまって、深夜、外の自販機で、サイダーを買いました。
久しぶりに買った、あるメーカーのサイダーの味は変わっていなかったのですが、ペットボトルの形が以前よりもスリムになっていて、えって思いました。
金額は以前と変わらないけど、量が少なくなった印象。少し残念な気持ちになりました。
見た目の変化に、戸惑いました。
サポートありがとうございます。カフェでよくnote書くことが多いので、コーヒー代に使わせてもらいますね。