想像世界が、じぶんをつくる。

こんにちは。うえぽん、こと上田です。

今日は、ぼくが子供の頃から好きな世界について、思いを馳せたことを書いてみます。ちょっとマニアックな話です。ファミコン世代には伝わるかもしれません。


昨晩、22時頃に、ちょっと眠気が襲ってきたので、これは布団に入った方がいいだろうと思い、寝室へ。

すぐ眠れるわけではないので、読みかけの夏目漱石『三四郎』読みながら寝落ちしようと思ったのだが、たまたま本棚から目に入った、『鳥山明 ドラゴンクエスト イラストレーションズ』が気になってしまったので、そっちに読むのを変更した。

ぼくは、ドラゴンクエストのイラストが昔から好きで、特にファミコンのドラゴンクエストⅢとⅣのパッケージとキャラクターのデザインが好きだ。

スーパーファミコンやプレイステーションに移植された頃のデザインは、ファミコンの頃と比べて、画風が変わっている。下記のサイトは、ファミコン当時のデザイン。


ちょうど小学校にあがる前後の頃に、当時ファミコンにハマっていた父親が買ってきたゲームソフト『ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ・・・(以後、Ⅲ)』、『ドラゴンクエストⅣ 導かれし者たち(以後、Ⅳ)』。

それらファミコンのパッケージの紙!の外箱裏表を見て、一目でカッコいい!と思った。

当時、『ドラゴンボール』がテレビで毎週放送されていたのを観ていたので、鳥山明の絵に馴染んでいて、親近感もあった。

ゲーム情報誌を読む手段もなければ、インターネットの情報サイトなんてものは当時、ぼくにはなかった。

小さい子供のぼくが得られる情報は、それら外箱に描かれたイラストと、中に入っている小さい取り扱い説明書に描かれている、小さいキャラクターの挿絵だけ。

少ない情報しかなかったが、小さい子供のぼくには十分だった。

勝手に想像が膨らんでいって、それだけで、たのしい時間が過ごせた

シリーズ通して登場する「勇者」という職業について、当時のぼくはよく分かっておらず、単なる主人公で、剣と魔法が使える、一番カッコいいキャラクターとしか認識していなかった。

勇者にしか使えない魔法(ギガデインとか)があるから、勇者って選ばれたキャラクターなんだなとも思っていた。

その特別感のせいか、ぼくの中で、だんだん勇者は想像上の憧れの対象になっていた。

勇者が額につけている青い宝玉が埋め込まれた兜、背中にかけている剣、キリッとした目(ドラゴンボールの孫悟空とほぼ同じ)など、イラストに描かれる勇者の姿を構成している要素1つ1つに、ぼくは心踊っていた。

ちなみに、あの青い宝玉はなんなのか、分かっていない。

ⅢやⅣが発売された頃は、ぼくはスーパーマリオなどのアクションゲームぐらいしか操作ができなかったのと、まだRPG(ロールプレイングゲーム)の魅力が分かっていなかった。

父親、母親、4つ上の姉が、それぞれⅢ、Ⅳをプレイしているときに、ブラウン管テレビに映し出されたゲーム画面を、ぼくは彼らの横に座って、ぼぉーっと眺めていた。

戦闘画面になると、黒バックに、モンスターのドット絵が映る。新しいモンスターキャラクターが登場したときは、ぼくのテンションがあがった。

次はどんなモンスターに会えるかたのしみだった。

特にでかいモンスター(ドラゴンライダーやキングスライムとか)やボスが出てきたときは、さらにテンションがあがった。

モンスターの1回の攻撃で、画面が真っ赤(ピンク色)になったとき、つまりプレイヤー側が瀕死になったとき、このモンスターは相当強いんだなというのは、子供ながら、感覚的に理解できた。

外箱の裏に印刷されたゲームの戦闘画面に、でかくて強そうなトロルが映っていたのを見て、いつ出てくるんだろうとワクワクした。

きっと、こいつも相当強いのだろうと。

Ⅲのときは、「賢者」という職業のキャラ、Ⅳのときは、「勇者」というキャラが早く登場しないか、待ちわびた。

プレイしている年長者たちに、まだ彼らは出てこないかと、せがんだこともあった(先のシナリオも知らないでプレイしている彼らに分かるはずがない)。

Ⅲの「賢者」という職業は、「遊び人」という職業をレベル20以上にするか、「さとりの書」というアイテムがないとなることができない。ゲームの中盤にならないとお目にかかれなかった。

賢者のキャラクターは、外箱の裏にイラストが描かれていて、男女ともに、若くて、かわいくて、カッコよかった(Ⅲの職業キャラを選ぶときは、性別が選べて、フィールド上のドット絵も性別で見た目が変わる)。

Ⅳの主人公「勇者」は、物語の構成上、第5章にならないと、登場しない。主人公なのに、後にならないと登場しないってどういうことだよ!と思っていた(いや、実際はそんな屁理屈こねず、さっさと現れてっていうのが当時の気持ちだった)。

1章で、いきなり戦士ライアンがひとりで、旅している姿を観たときは、最初がっかりした。

魔法も使えない戦士に魅力を感じていなかったし、シブいおじさんだったので、応援する気にならなかった。


今思うと、子供の頃は、イラストの見た目で、勝手に好きになって、勝手に想像を膨らませて、ゲーム画面の中に、勝手に期待を押し付けていたのだ。

子供の頃の想像と好き嫌いを経て、いざ年を重ねてから、ⅢやⅣをやってみると(実際、何十回とプレイした)、

Ⅲの「勇者」の設定や物語を知って、なぜサブタイトルが「そして伝説へ・・・」なのか、

賢者になるのに、いくつも手間をかける必要がなぜあるのか、

Ⅳのオムニバス形式の物語の素晴らしさ(5章になって、早くライアンに再会したいと待ち焦がれるようになった)

がわかってくる。

もし、大人になってから、ⅢとⅣをはじめてプレイしていたら、子供の頃の一見無駄とも思えるような想像体験はできなかっただろう。

こういう想像体験を経て、年を重ねてあらためてプレイしてみると、「子供の頃、モヤモヤして納得いかなかったことは、こういうことだったのか!」ということに、じぶんで気づくことができる。

子供の頃の想像体験が、今のぼくをつくってくれた。

この想像体験にきっかけを与えてくれたのは、鳥山明のドラゴンクエストのキャラクターたちだ。

出会えてよかった


昨晩、読み直したイラスト集を通して、子供の頃の記憶を旅してきた。

いったん、このnoteの冒険の書をセーブして終える。


最後まで読んでいただきありがとうございます。『MOTHER』シリーズも、好きなんですよね。また、そのことについても、気が向いたら、書いてみます。


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