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思い込み続けていたイメージが、実は違っていたと分かった。僕と牡蠣の話。

長年、思い込み続けていたイメージが、実はそうではなかったと分かった時の、なんだったんだろう感を、昨年末、体験した。

親戚と一緒にご飯を食べた時だった。メニューは牡蠣料理。牡蠣フライ、牡蠣の酒蒸し、牡蠣の炊き込みご飯、牡蠣鍋など、牡蠣づくしだった。

僕は、牡蠣はとりわけ苦手ではないが、大好きというわけでもない。もし、お店が牡蠣料理専門なら、牡蠣を選択するが、そうでないお店なら、旬だったとしても、選ばないだろう。じぶんから積極的に手にとる程、テンションはあがらない。

牡蠣の最初の出会いがたしか、中学生の修学旅行で、広島に行った時だ。晩御飯で、牡蠣フライが出た。今まで家庭や給食で牡蠣が出たことがなかったので、警戒していた。どうして警戒していたか。

一つは、たしかマンガだったか、ドラマだったか、大人達の会話だったか忘れたが、よく「牡蠣に当たった」と耳にしていたからだ。当たるという言い方は、当時イマイチ、ニュアンスが分からなかったが、よくないものということは、子供ながら理解できた。なので、フグの毒と同じで、リスクのある食べ物なんだろうなぁというイメージを持っていた。

もう一つは、見た目と食感だ。見た目は、あんまりよくない。貝にも似ている姿。辛うじて、給食で、クラムチャウダーやアサリの味噌汁を食べたことがあったので、まだ見た目は免疫があった。どちらかというと、食感の方が問題だった。貝のような見た目なのに、食感はどんなんだろう。貝と、どう違うのか、興味よりも警戒心がまさっていた。

修学旅行の晩に食べた牡蠣フライは、衝撃だった。衣に包まれたそれを、口にしたら、とろけるように、かみごたえが無く、なんとも不思議な食感だった。

「なんだこれは」

気持ちが悪かった。見た目は貝のような姿をして、食感はかみごたえが無い。納得がいかなかった。牡蠣デビューをはたした中学生3年生は、それ以降、積極的に牡蠣にアプローチすることは無くなった。

大人になって、飲みの席で、生牡蠣を口にすることがあった。まったく手をつけないのは、失礼かなと思い、一個食べた。過去の記憶が蘇ってきて、やっぱり食感に納得がいかなかった。そこまで、おいしいとは思わなかった。


先日食べた牡蠣料理は違っていた。食感に納得できたのだ。

酒蒸しは、僕がイメージした貝の食感に近く、かみごたえがあった。カキフライも、柔らかさはありつつも、かみごたえも、ちゃんとあるのだ。今食べている牡蠣は、昔、僕が食べた嫌なイメージを持った牡蠣と同じ存在だったのかと、少し疑った。

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なんで違うのかは、調理方法に理由があったのだと思う。牡蠣鍋をつくる時に、お店の人に、「牡蠣は野菜の後、最後に入れてください」と言われた。最後に入れて、少し煮てから食べた牡蠣は、じぶん好みの食感になっていた。おいしい。納得感があった。

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じぶんで、牡蠣の火加減をコントロールしてみて分かったのは、調理方法によって、全然食感が変わることだった。個人的には、牡蠣の酒蒸しの丁度いい歯ごたえはよかった。中学3年生の時に食べた牡蠣フライのイメージを払拭しれくれた、今回の牡蠣フライの、サクサクした衣、柔らかいけど歯ごたえが少し残ってる牡蠣、絡まるソースとの相性が、いい感じだった。食べ応えがあった。シメの牡蠣の炊き込みご飯も、薬味をつけて食べると、うまかった。

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子供の頃から抱いていた牡蠣に対してのよくないイメージはなんだったんだろうなぁと、牡蠣でお腹いっぱいのじぶんは、思ってしまった。少しもったいない人生を歩んでいたのではなかろうか。

今回の体験を通して、牡蠣って、いいところあるじゃないかと、感心してしまった。今度、違うお店に行った時、牡蠣がオススメってなっていたら、頼んでみようかなと、たのしみが増えた。


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最後まで、読んでくれてありがとうございます。過去、出会った人、行った場所などによって、人って影響を受けるものなんだなぁと思います。好きなものが嫌いになったり、苦手なものが好きになったり、ころころ変わるじぶんも、たのしいです。

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