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部屋でYシャツの私。〜コロナ考① アンパンマンに見る共生論〜

僕は今部屋にいてYシャツを着ている。仕事はない。たとえ仕事がなくとも部屋着でだらだらと過ごさず、Yシャツに袖を通してパリッとした心持ちを維持しようという心がけからだ。
今僕の前にはだだっ広い時間の海が広がっている。そこにぷかりと浮かんでいた仕事たちは波に飲まれてそのほとんどが沈んでしまった。つまり僕は、この海で進むべき標を失ってしまったことになる。フリーランスはつらいよ。せめてこの海で溺れてしまわぬようジタバタしてみようと思う。

新型コロナの感染拡大はそれ自体の問題ばかりでなく社会構造や制度、価値観の問題が伴われているところにその複雑さがある。しかしたまたま運悪くそうなったというよりも起こるべくして起こったとみんな言っている。僕もそう思う。潜在していた諸問題の粒子がある確率の波動とぶつかったことによって顕在化したというわけだ。この災厄は我々に大きな価値の転換を迫っているように思う。暇なので考えてみよう。

僕たちは問題に直面したときに、誰か何かを悪者に仕立て上げてしまいがちだ。今回で言えば、「コロナとの戦い」「コロナに負けるな」というスローガンに表れているようにコロナを人類共通の敵とみなす傾向がそれに当たる。しかし、そのことが実はなんの解決にもならないことに多くの人は気づいていない(あるいは必死に気づかないふりをしている)。
なぜなら、敵を措定することは、自分たちが抱える問題を敵に転嫁して見えなくしてしまうだけだからである。

敵は外からやってくるのではなく、自分たちの社会の内部から作り出される。魔女狩りも赤狩りも、ホロコーストもそうだ。外からやってきた敵に社会が破壊されるのではなく、社会が失調をきたした時にその内部から敵が作り出されるのだ。自ら作り出した敵を排除したところで社会に内在する問題が解決したことにはならない。それはまたいずれなんらかの形で顕在化するだろう。

今回のコロナ危機もそうだ。コロナウィルスを敵に仕立て上げて、それを退治すれば万事オッケーだと考えていやしないか!?(あるいは、後手後手の愚策ばかり弄する為政者が辞任しさえすれば)
もちろんウィルスを撃退しないことには平穏を取り戻すことはできない。しかし、そもそもなんでこんなに蔓延しているのかといえば、グローバル化によって人の移動が増えたことや、資本主義経済と行き過ぎた合理主義が健康よりも利益を追求してきたこと、新自由主義によって格差が拡大したことなど、むしろ我々の社会の方が変化したことに理由がある。ウィルスの方はその生態を変えることなく、これまでも何度も人類に襲いかかってきた。もっといえば、全てのウィルスが(人間にとって)悪いウィルスというわけでもない。ウィルスを生命と呼ぶかどうかは微妙だとしても、彼らは彼らで生存のために変異を続け、ごく僅かな、だが一定の確率で人類の生命脅かすようになるのだ。だから、今回の危機が収束してもいつかまた必ずウィルス感染はやってくる。その度に混乱し、甚大な犠牲を払って、ウィルスを敵として退治するのでは人類が持たないだろう。

ウィルスとは少し違うのだが、細菌が何度も何度も社会に襲いかかってくる有名なアニメがある。『それゆけアンパンマン』だ。
世界征服を企むバイ菌をイースト菌が退治する話である(バイ菌が世界征服を企んでいるというのは、コロナのパンデミックを考えると妙にリアルだな)。両者の関係は一見敵対しているようだが、よく考えると実は相互生成的であるとさえ言えるのではないだろうか。ここから何か有効な共生論が導き出せるかもしれない。考えてみよう。

元々アンパンマンはお腹を空かせた人のところに飛んできてパンをくれるおじさんだったかと思うが、この飽食の時代にあっては正直それだけではありがたみを感じにくい。では、それ以外に取り柄といえば空を飛べることと馬鹿に強い腕力で人を殴ることくらいしかないアンパンマンがヒーローであり続けているのはなぜか。それはバイキンマンがいるからだ。バイキンマンなくしてアンパンマンは存在しえないのだ。

ここで重要なのは、アンパンマンの世界において、バイキンマンは敵として存在しながらも決して社会から疎外されてはいないという点だ。バイキンマンは敵だが社会の中で役割を果たしている、いわば職業として敵役を担っているのだ。

バイキンマンがいなかったらどんな世界になるだろうか。そこはきっと流通も創造もない世界だ。アンパンマンの世界はおそらく貨幣経済は導入されていなさそうだが、それでも何かしらの意味で経済原理が存在するはずだ。しかし、何もかもが満ち足りた世界では需要が生まれない。需要が生まれなければ供給もなく、創造が入り込む余地もない。愛も勇気も必要がない。ただ退屈だけが漂う、極度に硬化した社会となる。
アンパンマンは力持ちで何でもできるから、すぐに人の仕事を手伝ってしまうが、アンパンマンが何でも無償で手伝ってしまったら誰かが職を失うことになる。しかし、アンパンマンは善意でやってるからそれをやめろとも言えない。
すると、あの世界には充足して硬化した社会に、悪の名の下に穴をうがつ者が必要となる。そう、バイキンマンだ。バイキンマンは、アンパンマンが持て余している拳に活躍の場を与えているだけでなく、社会全体に需要を生み出し流通を促しているのだ。

確かにバイキンマンは人格的に少し問題があるかもしれない。素直じゃなくて、他者と仲良くすることができない。そういう社会不適合な人間を今の社会だったらどう扱うだろうか。おそらく何かしらの病名か罪状を附して社会から排除しようとするのではないだろうか。責任の所在を当人とその家族に押し付けて、最低限の金銭的救済くらいはあるかもしれないが、そういう人間に活躍の場が与えられることはまずないだろう。
古来からシャーマンという祈祷などを行う職業の人がいたる社会に存在してきたが、多くの場合この人たちは普通の人とは少し離れたところに住んでいるようだ。霊界と繋がりを持つシャーマンは、人としては風変わりで普通の生活には馴染めないのだろう。だから、お互いに付き合いにくさを正直に表明して距離を取りつつも、あくまでも社会の内側に居場所があり、必要な時にはちゃんと活躍の場が与えられる。
バイキンマンの社会での存在の仕方はそれに近いように思える。バイキンマンは仲良くするのはちょっときついけど、頭脳明晰で行動力がある。社会に馴染めないという理由だけで排除してしまうのは社会的損失だ。

さらに、アンパンマンとバイキンマンの役割は実は置き換えが可能なのである。正義はアンパンマンにあり悪はバイキンマンにある、最後にはアンパンマンが勝ちバイキンマンが負ける、というのが一般的な見方だろう。果たしてそうだろうか。

アンパンマンが日々の活動や人助けを善意でやっているのは間違いないが、愛と勇気などという精神論で人民を扇動し、結果的に人々を無力化させて社会全体がアンパンマンに依存せざるをえなくなるという形で社会を支配しようとしているという見方もできる。
一方バイキンマンも世界征服を企てているとは言え、それはテクノロジーとバイオロジーによる世界の統一であり、大義名分はある。どちらが正義かはどこに本位を置くかで変わる。

また、アンパンマンが必ず最後に勝つように見えるが、それも怪しい。
バイキンマンはいつも倒されるが、次の週になると復活してまた新たな企てをし、アンパンマンと勝負することになる。バイキンマンは何度でも蘇る。
すると、この二人の闘いは永遠に繰り返される、つまり円環しているのだ。円はどこを始点とし、どこを終点とするかが任意である。とすると、別にバイキンマンが暴れ始めたところを始点とし、アンパンマンがバイキンマンを倒したところ終点とする必然性はない。よくよく考えたら、いつもアンパンマンの一度は打ちのめされるではないか。そこを終点にしたらどうなるだろうか。
科学の力で悪しき扇動者アンパンマンを倒すべく日々実験に明け暮れるバイキンマン。アンパンマンに洗脳された人民の目を覚まさせるべく発明した機器を実践するが、いつもアンパンマンが邪魔をする。アンパンチを喰らい、一度はやっつけられてしまうも、新しいマシンを発明し最後にはアンパンマンをやっつける。めでたしめでたし。だ!!

このように、アンパンマンが正義で、バイキンマンが悪だというのは一面的な見方でしかない。そして、どちらに正義があるかということも重要ではない。両者が実は共生関係にあるというところが重要なのだ。

さて、ではここから今回の新型コロナをどう考えたら良いだろうか。
今回の新型コロナに限って言えば、一刻も早くやっつけてしまいたいところだ。しかし、バイキンマンのように、ウィルスは形を変えて再び人類に襲いかかってくる。すると、ウィルスを単なる外敵とみなして駆逐するだけでは不十分だ。むしろ、ウィルスの存在に対して社会を開いていき、その役割を考察する必要がある(というか、元々ウィルスは外敵ではない)。
一つには、人間の活動を抑制することで地球の自浄作用を助けるという役割がある。増えすぎた人間の数を減らし、生態系のバランスを保つ働きもある。
また、僕たちの社会の機能不全を点検する機会を与えてくれる役割もあるのではないだろうか。もうずいぶん前から僕らの社会はうまくいっていなくて、価値転換が求められていたように思う。格差は拡大し、地球は温暖化して、気候変動に伴う災害も増えてきている。人々は分断され、自国第一主義の為政者が台頭してきた。新自由主義経済がもたらした負の効果が無視できないものになりつつあった。それでもそれらの動きは止まることがない。先細りする”成長”の向こうに用意された幸福は残念ながら全員に行き渡るほど多くはなさそうだ。
しかし、価値を転換すれば新たな幸福が生まれる。
今回のコロナ危機とそれに伴う経済危機は、社会に内在していた問題を誰の目にも見えるほどはっきりと浮き彫りにした。完璧な市場原理や主義思想は存在しない。どんなに素晴らしい制度も続けていれば行き詰まる。だから、これまでの考えややり方を否定する必要まではないけれど、転換点に立たされていることは自覚しなければならないのではないだろうか。
人類はすでにあまりに多くの犠牲を払ってしまった。しかし、今回の新型コロナが社会に対して果たした役割を認め、それを人類の新しい幸福のために役立てることはできるのではないだろうか。

新型コロナは今すぐにでも滅んで欲しい。でも、もっと大きなスケールで見たときにウィルスそのものとは共生していかなければならない。


しばらく仕事はかなりまばらにしかないので、もしまた考えたことがあれば暇な時に書いていこうと思う(書かないかもしれないけど)。
そして、とにかく仕事がないので、この記事も投げ銭にさせてください。
もしよかったらお気持ちください。


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部屋でYシャツの私。〜コロナ考① アンパンマンに見る共生論〜

高山康平

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eiga を撮ります。文章も書きます。現在は何者でもありません。ただの街の片隅に吹き溜まった風。もくじ https://note.mu/koheitakayama/n/nf9b06849314e
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