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タイポグラフィがもたらす音像

少しだけ、文字見本について書きたい。

デジタルが広がった今では自由に好きなフォントを使えるけれど、活版印刷の時代には文字を印刷するためには金属などで作られた文字のセットを工場に所有しておかなければならなかった。

そのためどれほどたくさんのフォントを所有し、使いこなせるのかということは組版職人や工場の重要なひとつの評価指標だった。利用頻度や専門性の偏重、職人としての心意気が、もっているフォントセットの数や質にもあらわれたのである。

文字見本は、そうした職人の力量を人々にみてもらうためのツールとしても機能した。

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髙岡重蔵の組版における日本語的な音感

僕がとても気に入ったのは、髙岡重蔵さんという組版職人のつくった文字見本だ。

髙岡重蔵さんの組版を僕は直感的に美しいと感じたのだが、それは高岡さんと僕がともに日本語話者であるということに起因していると思う。その理由について述べてみたい。

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英語には英語の音感がある。例えばhave toは「ハブ トゥー」ではなく「ハフトゥ」とほとんど一息に発音される。文章を読むとき、読み手の中では発話者としての音感が読書と内容の理解を支えている。したがって文章の中で「have to」が「have  to」くらい離れてしまうと意味が途端に理解しづらくなる。これは極端な例だとしても、英語の美しい組版をよんでいると、そこに朗読者の息づかいのようなものを感じることがある。文字の詰め方や単語のまとまりのバランスが、英語の発話の音感と結びついている。端的に言えばそれが組版のリズムとして体現されているといっていいのだろう。

一方で髙岡さんの組版は、明らかに日本語英語に思える。下の画像の冒頭の「With the help of the Most High at whose」から、しっかりとした発声の老人が「ウィズ ザ ヘルプ オブ ザ モウスト ハイ アット フーズ」と読んでいる感じがする。タイポグラフィとしてのルールは守られつつ組版はフォントにあわせて極めて精緻にチューニングされているのに、そこには英語の音感が欠けていて、代わりに日本語の音感が流れている。だからこそ僕はこの組版を美しいと感じられたのである。

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(『髙岡重蔵 活版習作集』)

タイポグラフィによる音像のデザインがもたらす空間的な文章の抒情

最近、音像という言葉が存在することを知った。音のテイストというか、そこに姿や形をみるように音をとらえたときのその様子を指す言葉であるようだ。映像のテイストの音バージョンととらえるといいのかもしれない。

文章の音像について、髙岡さんの組版は示唆を与えている。文字の詰め方、行間の取り方、フォントの選定、レイアウトの仕方などのチューニングによって、文章はひとつの音像をなす。組まれた文章は、どのような読み手によって、どのような声色で、どのように読まれているのか。その音はどのような空間に響いているのか。乾いているのか。あるいは雪が積もっていて、音は吸い込まれていくのかもしれない。

そうした空間的な広がりと抒情をもった組版を、美しいと思う。文字は、人間の思考のための空間だと感じる。タイポグラフィと建築は似ている。

少しの照明の調整が人の集中力を下げるように、文字の間隔やサイズの調整は時に思考を阻害することもある。思考のための空間を、いかに丁寧に誠実に設計するのか。

研究者として論文を書きながら、そんなことを考えている。

(終わり)



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