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博士論文2022年7月の報告書。

ドキュメンタリー作家で友人の久保田徹くんがミャンマーで拘束されたというニュースが今日の早朝に入ってきた(7月31日)。政治的な抗議デモを撮影していたところ拘束されたという。近しい友人がそうした目にあい危険の渦中にいるという状況に直面し、動揺している。

無事に帰ってきてほしい。何ができるというわけではないのだが、声をあげるつもりで署名に賛同した。

1. ブロックチェーンのイベント「Aya Talking with Joi in Tokyo」への参加

7月の初めに、伊藤穰一(Joi)さんと、イーサリアム財団に所属する宮口あやさんのトークイベントに行った。ガシガシとサービスを作っていくというよりも、コミュニティを育て守る人としての2人の視点が印象的だった。

イベントの風景

Joiさんは、かつてはMITのメディアラボの所長として活躍し、今は千葉工大で変換センターの所長をしている。インターネットの黎明期から世界を見てきた人であるが、今回特に印象的だった学びはJoiさんの原点がシカゴのクラブでの生きた経験にあると改めて知れたことだった。

シカゴでDJをやったJoiさんはそのクラブでアングラで危ない人も様々に流動する生きたコミュニティを実感し、コミュニティの重要性を学んだという。

そのクラブはもう40年以上も続いていて、オーナーを中心としてコミュニティづくりがとても上手いらしい。生きたコミュニティへの身体的な理解を裏打ちとして、常にコミュニティいう観点を軸としながら対象を分析したり理解したり活動したりしてきた人なのだなと改めて認識した。

個人的にはあまりコミュニティを実感したことがなく、建築からもXRからもはぐれものなので、あんましJoiさんの言っていることを本質的にはわかってなかったのかもと反省したりもした。

あと印象的だったのは"You are not stuck in traffic, you are the traffic."という言葉の紹介で、ムーブメントも、熱狂して参加している自分自身がムーブメントそのものであるし、コミュニティもまたそうである、と。今後を考えるうえでまなざしの解像度が高まったように感じられた。EthereumやBlockchainもそうした生きた人の"動き"を体感しながら考えていこうと思った。

Joiさんのコミュニティについてのインタビュー記事

Joiさんのシカゴでの経験について、脳科学者の茂木健一郎さんによる面白いインタビューを見つけたので貼っておく。アカデミアの組織の“グルーブ”を、クラブでのコミュニティの“グルーブ”での学びの応用を通して作り上げている、↓の部分が興味深い。

伊藤:80年代でエイズが盛んになっていた時なので、(クラブの)コミュニティーがエイズの人だとか色んな人たちをケアするんですよ。
警察から犯罪者から、みんなひとつのコミュニティーになっているんですよね。

茂木:なるほど。

伊藤:多様な……変わったコミュニティーの方が、大学より人間性があってすごい勉強になったの。
もうひとつが、僕がDJやってる時に、マネージャーがバーの隣にいるんだけど、そこから電話で繋がってるの。
「今入ってきたヒスパニックの子達を踊らせろ」とか「踊ってる白人たち、汗かいてるから酒飲ませろ」とか、全部曲を変えてコントロールしてるんですよ。
お店の売り上げから、変な奴を追い出すのから、全部音楽で出来たんですよ。

茂木:おもしろいですね~。

伊藤:僕はコミュニティーの勉強と音楽だけで、どれだけコミュニティーをマネージメントできるか…これ、実はメディアラボと同じなんですよ。
メディアラボは、あまり指示するのではなくて、雰囲気とか文化をいじることによってメディアラボの方向性を動かしている。

茂木:そうなんですね。

伊藤:例えばなんだけど、僕がメディアラボに入った時って女性は20%しかいなかったの。
大学の監査が「なんで、こんなにダメなんだ」と言うから、ちょっとしたことを書いたのね。失礼なことを言ったらメーリングリストにビシッとやったり、パーティーのやり方とか、ちょっとずつ文化をいじったんですよ。そしたら、50%まで上がったの。

茂木:20%が50%になったんですか!すごいですね。

伊藤:2年続けて、入ってくる半分の新入生は女性です。

茂木:細かいチューニングというか、パロメーターを変えて…。

伊藤:そういうのを意識する担当の人も雇ったけどね。
うちのスポンサーがちょっと差別的なことを女の人に言ったのね、うちのイベントは1000人くらいスポンサーがくるから、オープニングで、”うちはコミュニティーなんだ”と、”僕らのコミュニティーの中では差別、男尊女卑は一切なくて、皆さんも僕らのメンバーなので、そういう倫理観で入ってくれるのはハッピーだけど、そうじゃなかったらお金はいらないから帰って”って言ったんだよ。
そうすると、学生たちはサポートされている気分になるじゃない?

茂木:そうですね。

伊藤:そうすると他の女性にもレコメンドできるようになって。
DJにつなげると、ちょっとした音楽の雰囲気で、気持ちが良くなると行動パターンが変わるということなので。
世の中は法律よりも音楽で変えていくのが、すごく重要なテーマだと思います。

ちなみに、今回の参加で参加証のNFTを発行してもらった。人生初のNFT。アート系のNFTにはかなり懐疑的だが、こうした参加証は嬉しい。

参加証NFT

https://opensea.io/assets/matic/0x513f20c0f9d013235b8093ebf7630d7aceb887b9/1/

2. 大学のこれからについての論考の公開

アカデミアについての論考で、第41回昭和池田賞で優秀賞を受賞したものをnoteで公開した。しかしあまり反響はなかった。

ゴールドマンサックスに勤める高校時代の友人が読み込んでくれて熱いメッセージを送ってくれたりシェアしてくれたりしていて嬉しかったりしたものの、全体としては非常に低調だった。論考がつまんないという説もあるし、みんなそういうことに興味ないという説もある。あるいは「お前なんかがいってて何になるんだ?」と思われてる説もある。とにかく黙殺されているので、あまり考えようがない。賞を受賞した割に反響はなかったな、という感じだった。そんなもんかなという気持ちもあるし、残念だなという気持ちもある。

熱量のあるシェアで嬉しかった

高校の友人が書いた博士課程における歪みと改善策に関する論考が非常に興味深かったので、シェアさせて頂きます。
全く別件ですが、会社の研修で久しぶりにシンガポール🇸🇬に来ており、懐かしさを噛み締めてます。
やっぱりこの国が好きです。
以下、シェア記事の感想です。
日本の博士課程の歪みが現場視点で、かつ、主体レイヤーを分けて俯瞰して書かれていて、自分が研究室時代に感じていた違和感と重なりめちゃ刺さりました。
大学の機能の共通部分を抽出して汎用性のある基盤を作り、それを地域レベルなどへ拡大して共同利用して効率化を図るというATP構想も凄く興味深いです。
アカデミック的実績の観点では余計なお世話かもしれませんが、実現に向けて起業家プログラムやVC(Beyond Next Ventures, Real Tech Holdings リアルテックホールディングス)等で壁打ちしてみたら面白いなと。
この論考はもっと多くの人、特に、大学の運営に関わる教授や文科省関係者の方々に読まれるべきだと強く感じます。
未来の産業の種を創出する場とも言える大学で、その研究の担い手である博士課程学生が押し込められて疲弊するような状況は何としても解決すべきです。
石田 康平貴重な論点の提供ありがとう!

論文を書いていても、真面目な話になる程、多くの人には届かないなあとは思ったりする。誰にも読まれないものを必死で書いていることには(それが論考であれ、論文であれ、noteであれ)ときおり疲弊する。みんなが読みたいのは面白いものであって、センセーショナルなもの。わかりやすく、読んでいて気持ちよくなれるもの、という気もする。昔イベントで北川フラムさんが、「磯崎新の文章はポルノなんだよ」というような趣旨のことを言っていたが、当たらずとも遠からずという感じもする。

思索の娼婦のようなものはあると思う。人が聞いていて楽しいこと、興奮すること、そういうものを適切なタイミングと強度で提供する存在。その結果として興奮を励起する存在。それはそれで技能だとも思うし大事なことだとも思う。互いに深く対話するには、ネットのメディアやSNSは遠すぎるのかも、と改めて思ったりもする。うーむ。

3. 新潟・山形出張

今月やったことその3。

さまざまな事例を見るべく7月中旬に新潟から山形にかけて出張に行った。どうにも新潟は合わなかった(人との出会いの運がなかった)。山形は楽しかった。

3月くらいの報告書で、自分が設計者でないことの限界について触れた。自分は本格的な設計行為を身体的な経験として知らないので、設計論について本質的なことは言えないのではないかと思う、と書いたのである。だから博論は設計論でなく、むしろUX論とかそういうものになるのではないか、と。

4月末に403architecutreの辻さんにお会いしに浜松まで行った時、設計者じゃなければ設計論は書けないと思いますか?というようなことを聞いた。その時、設計といっても本当にいろんな層やレベルや段階があるし、設計と一口に言えないんじゃない?と言われた。聞いた話では建築家の藤本壮介さんは、実施設計などよりもむしろ全体計画を求められるようなことも多いという。万博やプロジェクトの指針を創出することも「設計」でありうるし、あるいは現場で図面を書き直すことも「設計」かもしれない。もちろん、設計プロセスにおいてもさまざまな参画の仕方がありうる。

6月はずっと内田祥哉先生の本を読んでいた。内田先生は建築家としても活躍しながら東大や明治大学で研究室を主宰された先生である。僕の所属している野城研の先生の師匠でもある。何冊か内田先生の本を読んでいると、設計の感覚というか、モノ(物質)の論理と向き合う設計者の態度のようなものがうっすらと感じられてきた。構造や雨仕舞い、建具の納め方や地震による変位への対応、さまざまな端部の収まりなど、建築設計において考えなくてはならないことは何か。モノの論理は決定的に強烈で、建築においては特に複雑であるのかもしれない。

そうした思考を展開している人に、「空間でスマホを組み合わせた利用体験がうんぬん」などと言っても、スマホの利用は柔軟で、どこか瑣末なことにすら思えるのかもしれない。VRだってそうだろうと思う。建築に対比させてデジタルを語ろうとすることが、全然業界の中で浸透しないし活性化しないのは、建築の物質的な強さとそこに必要になるモノの論理への意識に人が引っ張られすぎるからかもしれない、という気もした。

7月は新潟や山形をめぐる中でずっといろんな建物の樋を見ていた。豪雪地帯であることもあって、さまざまな樋があった。屋根から濠に直接雨や雪がおち(おそらくはそこに雪が溜まり、とけて)、近くにある谷底へと流れていくような設計もあったし、屋根全体で雪を受け止めるような設計もあった。そういうものを一つ一つ丁寧に見ながら、設計に携わる人たちがどのようなことを考えるのか、悩むのか、自分に擬えようとした。そうしたものは博士論文を書いていく上でちょっとした指針になるような気がした。

4. 博論の構成のやり直し〜ラジオ出演をきっかけとして

2週間ほどかけて、博士論文の構成をやり直した。

先月出演したJ-WAVEのラジオ番組である「Takramradio」でさまざまに意見を聞くことができた。意見はTwitterでもみられたし、個人的に気づきや感想を送ってくれた人もいて、ラジオを通して博士論文の議論を多くの人とできたような気がした。そうした気づきはとても示唆的で、いくつかの大きな発想の転換を与えてくれた。

特に示唆的だったのは、①バーチャルとリアルを対比させ「リアルとは顕在でありバーチャルとは潜在である」と捉えたケオーの考え方が妙に人に刺さったことと、②「制約を加えるによって新しい世界が開かれる」という考え方が多くの人にとって興味深く捉えられたらしいこと。

何気なく話していたことが複数の人の心に引っかかったなら何かあるのかもしれない、と思って、その2点を軸に整理して見ていたら、今までつっかえていた箇所がスッと解けた(と思ってる)。

具体的には、「夢」という概念の定義で、なんと定義すればいいかなあと悩んでいたのだが、「顕在したばかりの弱々しい顕在のこと」と夢を定義すると、複数の抱えていた問題がスッと解けた(気がした)。

今年の4月に全体の構成を作り、5月には改めて必要な文献を読み漁り論文のレビューをした。6月はちょっと執筆し、ラジオに出て、うんうんと唸っていたら6月が終わった。

そして7月の頭にかけて、6月末に出演したラジオについての感想をもらい、それがおおきな示唆となってアイディアが浮かんで、この7月で構成をまとめ直した。

結果として5月に書いていたような構成とは大幅に違ったものになった。しかし4月から6月にかけて考えていたことは全て、その構成におけるパーツとして機能した。結果としてより密度の高いものが出来上がったと思うし、以前より整理がついたと思う。

この整理できた内容については、7月29日にスライドに一度ざっくりとまとめ、研究会で発表した。以下がその資料。

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旧「2023年3月に博士論文を書き上げるまで」。博士論文を書き上げるまでの日々を綴っていました。今は延長戦中です。月に1回フランクな研究報…

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