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オジサンはボカロ系を克服できるか

「メディア文化の社会学(旧称・文化研究入門)」という授業で、2008年から「好きなアーティストをあげてください(5つまで)」というアンケートを取り続けています。

2008年から2019年までの好きなアーティスト第1位は次のように推移してきました。

無題2

そして今年の結果は次のようになっています(回答者91名)。

無題

(※学生から「アーティスト名の大文字・小文字が正式表記と違うものがいくつかある」との指摘がありました。スイマセン)

第2位にヨルシカがランクインしています。私はこの結果をみてちいさな戸惑いを覚えました。

私はボカロ畑で育ったアーティストが非常に苦手なのです。しかも、なぜ苦手なのか自分でも原因が分からないから困っているのです。

ボカロ系が刺さらなくてツラい

ツルツルと心の表面を滑り落ちて、流れて消えてしまうような音楽。歌詞も、メロディも、パフォーマンスも、MVも、刺さってこない。身体にガツンとこない音楽。これが私のボカロ系のイメージです。

ディスってるわけじゃないんです。悩んでるんです。若者に現代文化論を教える身として、理解できない若者文化があると不安になるんです。だから良さを理解しようと思って、現役のボカロPやボカロP出身者のユニットをいろいろと視聴しました。ヨルシカ、須田景凪、Eve、YOASOBI、ずっと真夜中でいいのに。などなど

音楽性は多様で、イマドキの雰囲気に満ちています。バンド系の楽曲とそれほどの違いは感じません。最初わたしは、歌詞がファンタジックだったり、メロディが早口で単調だったり、テクニカルなアレンジだったりなど、独特の何かがあるから苦手なのではと思っていたんですが、聞く限りそんなに目立つ特徴はない。打ち込みか生演奏かの違いも、私の耳が肥えてないだけかもしれませんが気になるほどではありませんでした。

それなのにバンド系はOKでボカロ系はダメなんです。どうしても、ボカロ系は心がこもってないように聴こえてしまう。音楽体験じゃなくてメディア体験のように感じて、自分が音楽に求めてるのはそういうのじゃない、みたいな拒否反応が出てしまいます。

なぜなんでしょう?ただの偏見にすぎないのか。それとも彼らの音楽性のどこかに具体的な原因があるのか。それが分からない。

ボカロ系を苦手だと自覚したのは、米津玄師さんの曲がまったく刺さらないことに気づいた時でした。Lemonとか打上花火とかパプリカとか菅田クンの曲とか、こんなにもてはやされているのに自分には響かなくて、ついに私も時代に取り残されたのか・・・と悲しくなったのでした。

思えば、2013年のアンケートでsupercellが突発的に1位になった時も、不安になってDECO*27さんとかいろいろ聴いてみて、良さが理解できずにオロオロしたものでした。それから7年、ふたたび襲ってきたこの感覚。

ネットで検索すると「ボカロ的」な曲の特徴はけっこう論じられているようで、「高速BPMやトリッキーな曲展開、ジャンルを横断したアレンジ」とか、「高速BPM、音が雑多すぎる、歌詞が現実離れしすぎているor直接的すぎる」などの分析を見つけました。

たしかに、私のボカロ系楽曲に対する印象を言い当てている気もしますが、生身の歌い手を起用しているユニットにはあまり当てはまらない気もするし、ちょっと違うんですよねこの説明だと。

自力で考えたほうがよさそうです。

ロック系はイマドキのでもOK

若い人の音楽がすべてダメってわけじゃないんです。髭男とかあいみょんとかは、48歳のオジサンにも普通に刺さります。イマドキのバンドサウンドも昔は苦手でしたが、今はsumikaだってMrs.Green Appleだって、別に積極的には聴かないけれども、聴けばすんなり入ってきます。

一時期まではダメでした。ツッチャーツッチャーってハットが裏打ちしていて、いかにもフェス受けしそうな跳ねるサウンドで、黒のスキニーに白のシャツを着て、キノコヘアーの前髪が伸びて少し目が隠れているような痩せた雰囲気イケメンがちょっと高い声で、文字数が多くもなく少なくもないちょうどいい量の歌詞で個人的なことを歌うような、そういうロックは苦手だったのにここ2~3年で急速に受け入れられるようになりました。

でもボカロ畑から来た人はダメなんです。なぜなのか。繰り返しますが、サウンド的にはバンド系とそんなに変わらないような気がするのになぜ?

アイデンティティなき音楽だから?

分からないままで済ませるのは気持ち悪いので、少し考えてみました。いまのところ4つの原因が思い当たっています。

第1に、自分は音楽に「アイデンティティ」を求めていて、それが感じられないのが原因ではないか。

アイデンティティというのは、歌詞と曲とパフォーマンスとMVとファッションと、音楽を構成するすべての要素がひとつの意志から生み出されている感覚です。

ロックバンドやシンガーソングライター系のアーティストはこれがグイグイくるんです。あなたの目に映る何もかもがワタシ、何もかもがオレ、みたいな強いエゴがある。他人が作った曲を歌うときですらそう。これがイイんです。

でもボカロ系の人は歌詞は歌詞、曲は曲、MVはMVと、複数の主体が絡み合っているというか、パラレルな意志が固まりのようになって作品が織り上げられていると感じます。たとえそれがひとりで作られたものだとしても、音楽を構成するそれぞれの要素が自立した意志を持っている。

散漫な主体というか、脱中心化された音楽。ど真ん中に人の匂いがしない音楽と言いかえてもいいけど、それは機械で曲を作るからではなくて、ニコニコ動画のようなUGC(ユーザー生成コンテンツ)思想が根底にあるからなのか?同じ機械で作る音楽でも、テクノとの違いはそこなのかな。

こだわりが感じられないから?

第2に、音楽性にあまりこだわりがないように感じるからではないか。

たとえばある曲がシティポップ風だったり、ロックンロール風だったりしたときに、シティポップやロックンロールが好きで好きでしょうがなくてそのテイストにしているというよりは、たまたまその曲のコンセプトに合ってるから選択しただけで、次の曲ではまた違う曲風になっているような、そんなドライなメンタリティを感じてしまう。

それってゲーム音楽や映画・アニメのサントラに似てるんですよね。状況に合わせて音楽性を変えていく。そういう柔軟性・多様性はプロデューサー的な感覚とも言えますが、これが自分の好みに合わないのかもしれません。好きな人はだからこそ好きなんだと思うけど。

疎外されているから?

第3に、自分の知らない世界観や物語を前提にしている気がして、疎外感を覚えるからではないか。

うまく言えないんですが、何か別のコンテンツとリンクしていてそこから何らかの意味が流れ込んでいる感覚があって、自分にはそれが何か分からないから疎外されているというか、自分に向けた音楽じゃないと感じるのかもしれません。アニメのMVが多いからそう感じるのかも。

それが錯覚なのか実際にそうなのか分かりませんが、曲の背後にあるコンテンツの迷路に入り込んでいく意志がないから、めんどくさそうだからいいやって、入口で引き返しちゃうのかな。

自分の青春時代になかったから?

第4に、シンプルな話ですが自分の青春時代になかった音楽だからなじめないのではないか。

ロックバンドもフォークも、自分が若い頃すでに表現手段として存在していたから理解できる。でもボカロで曲を作ったりパソコンでMVを作ったり、オンラインで複数のクリエーターが共創したりといったことは自分の青春時代になかったから、そこから生み出されたセンスが理解できない。

2013年に悩んだときはこれが原因だと思っていました。自分にとってなじみのない音楽ジャンルだから理解できないのだと。明治・大正生まれの人がビートルズを理解できなかったように。

しかし、たぶん2018年だったと思うんですけど、ゼミ生にこの話をしたらこういう反論が返ってきたことがあります。

「私もボカロ系は苦手です。ジャニーズ好きとか邦ロック好きにそういう子いると思います。大学生の中にも音楽的な対立はあるんですよ。世代の問題じゃなくて、たんに先生の個人的な好みじゃないですか?」

そうか。若者にもなじめない人がいるのか。じゃあこの説は違うかもなあ。ということで、今はこの説は自分の中でほぼ不採用になっています。

ただの偏見ではないのか

4つの原因を推測してみましたが、どれが答えなのか今でもよく分かりません。そもそも、原因を特定できるほどボカロ系のアーティストを聴き込んでいないので、このままだとモヤモヤしたまま結論が出ないでしょう。

そもそも私はボカロ系とそれ以外をちゃんと聴き分けることができるのか。もし聴き分けられないのなら、たんなる思い込み、偏見です。

まず私は、ボカロ畑出身のアーティストとそうでないアーティストを、プロフィールを隠してランダムに聴いて、ボカロ畑出身のアーティストだけをよくないと感じるのかどうか、ブラインドテストを受けたほうがいいかもしれません。

なんか、めっちゃボカロ系なのに「エモみがすごい!最高!」とか普通に言いそうな気がするんですよね。

メディアの学生さん誰か私のためにクイズ作ってくれないかなあ。

こないだ「とくダネ!」で小倉さんがYOASOBIのことを「素晴らしい」とほめていて、くっそー小倉さんに分かるのに自分に分からないなんて許せないと、悔しい思いをしています。

【追記】
たくさんのコメントをいただきました。さまざまな角度からのご意見が載っているので、ぜひコメントもお読みください。