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Mendelssohn Op.63 Nr.3 (#024)

以前にも書きましたが、僕は全くもって詩と縁もゆかりもありません。頑張って読んだとしても表面的なことしか理解出来なく単純で短絡的な発想しか浮かんでこないです。ほんともう少し教養や感受性豊かな人間に育っていれば良かったのですが・・・。とは言え嫌でもテキストを読まざるを得ないので”視覚的に”気づくところを書き上げていこうと思います。今回はその中でも”韻”に付いて見ていきたいと思います。

このテキストは素晴らしく韻にこだわって書かれた詩かと思います。まずこの詩の最初のかたまりを見て頂きたいのですが、語尾の韻を踏んでいる箇所が、 “aue”と”al”である事をチェックしてみて下さい。これは基本的な形なので見つけやすいと思います。更にその“al”の前の単語の語尾が“nd”になってる事も見つけられるかと思います。韻が前の単語の響きからも重ねられている事に注目して頂きたいところです。

schaue, Aue, Blaue
und Tal, tausend mal

二つ目のかたまりも同様に見ていきますと、2, 5行が“ein”、1, 3, 4 行の韻が“ind, ich”である事が分かります。

fein, darein
find’ ich, wind’ ich, bind’ ich

最後のかたまりは1, 3, 4 行の韻が“eichen” になっています。また2, 5 は母音は違えど、どちらも”長母音+n”で終わっています。大丈夫ですか?ここまで付いてきて下さってますか?

reichen, verbleichen, Gleichen
schön, steh’n

このように韻を踏むにも色々な形があり、特に注目したいのは2つの母音であったり2つの単語にまたがった形で韻を踏むスタイルはとても印象的で響的にも強雨長されているように感じられます。当然ですが韻を踏むことによって収まりが良くなるのですが、同じ収まり(終止)、同じようなリズム、同じような効果を得易くなると思います。僕の知っている音楽作品ではWagnerのオペラのテキストには数多くこの様な2つの韻や単語を跨いだ韻の使い方が見られます。(Wagnerのオペラのテキストは基本的にWagner自身が書いています。)

はい、これで韻も発見できて「めでたしめでたし」なのですが、さてこの韻がどのような意味をなし、何故この様なったか、なんて詩に精通していない僕には到底答えられないので質問は控えて下さいませ。唯、この韻が音、音符に乗っかった時にどのような形で収められているかなどを見ていくと、何か別の発見をすることが出来るかと思います。とは言えその様な高等な分析なども専門家に任せたいと思います。唯少しでもドイツ語の詩の”韻”に興味を持って頂ければ幸いですし、簡単に視覚的に発見出来ると思いますので一度今までの物もチェックして見て下さい。

Kohei S.

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