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お金の本質 余剰の歴史

今回は、お金の本質 余剰の歴史についてお話したいと思います。

・お金って一体何なんだ?
・お金ってどうやって生まれたのか?
・お金は人を救うこともできるし、自分を崩壊させる力もある。
・お金が必要なくなる時代がきたら 人類は何をする?

今回お読み頂くと、
お金のルーツを知り、お金のふたつの側面を知り
お金との向き合い方が変わり、
人生がより貴重なものとして捉えられるようになり、
今がどれほど恵まれていて、そして
そんなこの地球を丸ごと楽しめる時代になった

ということがわかる内容になっています。

□ お金は唯一目に見えるスピリチュアルというお話
→何故なら その人の「お金の使い方」で”人格”が見えるから

お金は実は稼ぐことより使うことの方が難しいという言葉があります。
お金の使い方は 主に
・自分の欲求を満たすために使われる(消費か浪費)
・世のため、人のためにお金を使う(募金・投資)
・資産(負債)を買う(お金の力でお金を膨らませる)

おおよそこの3つに当てはまると思っています。

欲求とは

生存本能であり、
主に”衣食住”ですね。

その中でも
絶対に必要だと思うもの(need)

なんだか欲しいもの(want)

に分かれますね。

『want』がエスカレートすると

例えば

食べ物に欲求が強い人は
→食に対して”過剰”にお金を使い体が横に広がる
生活習慣病(糖尿病、腎臓病など)

・承認欲求が強い人は
高級品を身につける。
→買い物欲求のエスカレート

つまりお金の使い方によって 人の人格がそのまま反映されるもの
→『目に見えるスピリチュアル』というところに着地します。

□ 世のため、人のため、富を拡大するためのお金、資産と負債

資産と負債については『金持ち父さん・貧乏父さん』で話題になりましたね。

彼はマイホームを負債と定義していますが、

マイホームも賢く購入すれば資産となります。

この辺りは難しいお話なので割愛します。

□ 世のため、人のために使う(募金・投資)

これは募金もそうですし、

応援する会社の株を購入することもそうです。

株式有価証券で言えば、その会社を応援する、支える意味合いも含めてお金を使うという視点になってきます。

世の中をより良くしたいと思って起業する人に投資するという

ベンチャーキャピタルというものもあります。

一般的な投資と言えるものは

実は経済活性化、人類や地球がより良い社会へと

導くための『応援』というのが 思想にあります。

もっと言うと
経済は経世済民といって
お金を使って人を救う。英語で言うとエコノミーと言います。

二宮尊徳のお言葉
『道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である』

もちろんその一方で

この投資が加熱してしまうと エネルギーのバランスが崩れ

時に自然災害のように ”経済ショック”というのも起きているのも事実です。

これはある種のお金稼ぎしたいという欲求が大衆レベルで蔓延している状態
会社を応援したい<<よりも<<自分が儲けたい。
こうなるとバブルが生まれ→弾けていきます。

「なるほど、お金の使い方で人格が出ることと
社会を応援するようなお金の使い方があることはわかったけど、
お金ってそもそもどこから来たのでしょうか?」

お金は価値保存の”代替の手段”として生まれた

歴史は遡ること

アボリジニーの人々の時代。

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想像もつかない遥か昔ですね。

そんな昔の話が今も残っているなんて、

人類の知恵の力、伝達の力は本当に素晴らしいですね。


・アボリジニーの人々の暮らし と「余剰」


当時(5〜12万年前の人)
人々は争いのない生活を送っていました。

争う理由も
『格差』も存在しませんでした。

『格差』というものは
歴史を辿っていくと
”余剰”というものから生まれた。

余剰とは
余ったものを価値保存したりしていく過程で
昔は米や大豆、近年では貨幣
長期保存に優れたものに代替を繰り返し
変貌していく過程で
『お金』という価値が生まれた

・肉や野菜だと時間が経つと腐ってしまう→価値が無くなる。→これだと生活は不安定が続くという流れ

✔お金は便利だった
→腐らない
→信用が加わることで価値をある程度、一定に保つことができた
→価値基準を定めることによって、お互いの余剰(食べ物や工具など)を交換しやすくなった

しかしその一方で、お金という価値が生まれたことで
やがて人々は
それを(お金)互いに奪い合うようになった。

道具や狩りに使用されていたものが”武器”へと変化し
それを持って今度は
互いの領土を奪い合い
やがては権力者、支配しようとする人間が
生まれることになった。

Q、アボリジニーの人々は
争いのない世界で何を追求していたのか?


→『芸術』

アボリジニの人はお金も格差もなく
また争いもなかった。

そうした人類の究極の営みの追求は芸術だったということが記されてありました。

・お金は便利さと欲をかき立てる二面性を持ったツールになった

余剰(余った食べ物や道具など)を
適切にコントロールできるようになり
生活維持を安定させる豊かさをもたらした

と同時に

互いの権力や世界をコントロールするための力としての
軍事力が強化されるという

ダークサイドの価値も生み出してしまった。

お金は生活を豊かにするものであり、
欲を助長させるツールでもある。

権力や人々の摩擦は大きくなると

戦争を引き起こした。

戦争を繰り返す中で、軍事力争いもエスカレートしていった。

しかし、軍事力の成長が世の中を便利にするものも

生み出してきた。

・計算機、太陽電池、インターネット、GPS、缶詰など‥

敵がいることで 知恵が生まれたのも一つの事実としてあるかもしれません。

身近な例で言いますとこのような場面を経験したこともあるかもしれません。

・部活にライバルがいたお陰で強いプレーヤーになった
・他人の成長をみて悔しくて負けず嫌いが自分を成長させる起爆剤となった等

しかし、忘れてはならないのが

本来はお金というのは、お互いの生活を支えあう余剰の共有の思想のもとに

生まれた この誕生の思想を

改めて噛み締めていく必要があると考えている。

まとめ

・お金は余剰(価値保存)のための代替手段の集大成として誕生した
・人はお金に頼ることなく生活できるようになると芸術を追求していく
・お金の使い方を見ることで 人格も見える
→お金は唯一目に見えるスピリチュアル
・お金は欲のエネルギーが加わることで争いを引き起こしてきた
・争いの中で便利なものも生まれてきた

しかし、本来人間が安心して暮らしが営めるようになるための
余剰をお互いが交換し合うことで補うという思想から誕生したというルーツを
私たちは知っておかなければ
一生お金に囚われて生きることにもなりかねない。

おまけ 

ベーシックインカムゼロ時代がくる?
ベーシックインカムゼロとは
生活コスト(毎月かかる固定費)がかからなくなる時代のこと。

もし今後AIなどで
働くという概念がなくなり
生活が全てノーコストの時代
お金という価値が不要になった時

争いのない世界がやってくるかもしれない。


人々はこうしてお金に悪い意味で、振り回されることがなくなり

かつ、生活の安定が当たり前になった時

人類は再びアボリジニの人々のように芸術を追求し始めるのではないかと言われている。

終わりに

”諭吉”発言
一万円札をみて
日本の偉大なる偉人
福沢諭吉さんに
“諭吉”と
呼び捨てしてしまう時代。

『諭吉が飛んだ』
『諭吉何枚いる?』
『諭吉がねー、、』

こうした発言に
日本は危機感を抱かなければならないのかもしれない。

・日本人の良いところ
本当にピンチになった時
一致団結して立ち上がる精神性にある。

例)
オリンピックやワールドカップの時期、最近はラグビーもですね。
この時期になると
一揆喝采の盛り上げ、団結力が湧いてくる応援の力
ここは今でも 凄いエネルギーの一体感がありますよね!


海外の人々がかつて昔の日本人の精神性に
心惹かれ、賞賛されていた時代がありました。

戦争で戦って負けたその国のその後の生活を
守ったような素晴らしい日本人もいます。

日本人は『情けの精神』の国でもあります。

弱き物を助けてきた お話は日本のいたるところで聞かれています。

また武器を使わずに戦争を食い止めた人物も世に名を残しています。


素晴らしき生き様を貫かれた日本の偉人もたくさんいる。

・西郷隆盛
・新渡戸稲造
・森信三
・二宮尊徳
・坂本龍馬
・聖徳太子
・松下幸之助
・渋沢栄一
・イチロー
・加藤ひふみ

挙げればキリがありませんが、
素晴らしい思想を持った日本人はたくさん誕生しています。

歴史を学ぶことは人生の味わいを深める要素でもあります。

歴史を学ぶと、

今の時代がいかに恵まれているか知ることができます。

自分の命を未来のために死をもって捧げた人もたくさんいます。

「武士道とは死ぬことと見つけたり」
→死を差し出してでも実現したい未来に向かってひた走る。
 命をかけてでもやらねばならん。という意味です。

昔の人々が叶えたかった未来が「今」

そんな願いのほとんどが叶っている、今がある。

今、目の前には、たくさんの当たり前が当たり前に存在しているのです。

そのことを

当たり前ではなくて→有ることが難しい→『有難う』へ 

こうした観点から

お金とうまく折り合いをつけ

豊かさを次世代に継承していく使命が

今の私たちの課題でもあると思います。

・今は地球のどこへでも飛んで遊びに行ったり
 旅に出かけたりもできる時代。

ほんの数百年前の人々には考えられなかった状況です。
 

遊ぶことも人生を楽しむ要素ですよね。

名一杯今の豊かさに感謝して

楽しんでいきましょう。という明るいお話でした。


読んでいただき有難うございました。




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