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【短め読書記録】『スイカのタネはなぜ散らばっているのか』稲垣 栄洋 著

サブタイトルは「タネたちのすごい戦略」。
植物は、動物のように自ら何処かへ行くことは出来ない。しかしタネをどこかへ移動させ、そこで芽吹いて生息圏を広げようという戦略は多岐にわたる。
自ら飛んで遠くへ行こうという、タンポポやカエデの種子の戦略もあれば。
エサになるものをタネに付けておいてアリに運んでもらう、スミレの戦略もあり。
リスなどが蓄えとして土に埋めて忘れてくれるのを待つような、ドングリの戦略もあり。(「♪どんぐりころころ どんぶりこ…」という歌があるけど、ころころ転がって池に落ちたらタネとしては終わりなのよ。鳥の卵だって、転がって遠くへいったら困るから、ああいう形状なんじゃないか。ころころ転がらないような形になってて、動物に運んでもらうのよ。。という論調が興味深かった。そうか、「どんぐりころころ」は人間目線のファンタジーだったのか←辛口)

バナナは、かつて高級品だった時代の品種が病気で激減し、今おもに流通しているのはその病気に強くて残った別種で、しかしその別種にも病気が広まりつつあるという。栽培種のバナナは種なしであり(野生種には果肉の中に大きなタネがいくつも混ざっていて、見た目にも食べづらそう)、生えてきた脇芽を掘って別場所に植え替えて増やす、すなわちクローンであり、だからこそソメイヨシノの話じゃないが病気が蔓延すれば致命的なことになるのだと。つまり、『ネンドノカンド』で知った「バナナが絶滅する説」の事情はきっとコレだなと思ったり。

そうなのだ、植物が実を結びタネをつくるのは子孫を残し、あるいは生息域を広げるため。だから、せっせと植物は花を咲かせ、実を結び、タネをつくる。けれども、人間はそれらを操作し、自分たちに都合よくしている。
挿し木で増やすのは、元の性質を全面的に受け継いだまま増やしたいからであって。これはクローンなので形質は忠実だが、それはすなわち同じ時に咲いて散り、実を結び――ここまではまだいいのだが、以下が問題になる事項――同じ病気や気候に弱く、特定の条件下で一斉に枯死するという危険性もあるのだと。ソメイヨシノなどでよく言われる話。
イネやコムギなどは、実が地上に落ちず穂に残る変異種を人間が見付け、それを増やして栽培したのだという。タネが地面に落ちないのは自然界では致命的欠陥だが、人間としては収穫しやすくて丁度良かったものなのだった。
フルーツにあってスイカ(草生なので分類上は野菜なのだろうが、ここはフルーツとする;)は、そのタネの散らばり具合から食べづらく、3倍体のタネなしスイカが作られたものの、美味しくて見栄えがいいものがなかなか出来ないので定着しなかったらしい。人間の思い通りばかりにはいかないという話。。

ササもまたアサガオやヒマワリのように花が咲けば枯れる一回繁殖性の植物であるだけなのだが、花が咲くのが何十年、百何十年に一度といわれ、花が咲いたら地下茎で繋がっている近隣のササが一斉に枯れる(これはタケにも言える)ので凶事の予兆みたいに言われるのだと。
民謡「会津磐梯山」の歌詞「会津磐梯山は宝の山よ 笹に黄金こがねがなりさがる」は、ササの実・野麦が人々を飢えから救ったことをいう説もあるとか……そもそも笹は葉で団子とか包むかパンダが食べるくらいにしか思っていなかった私は「実を食べることが出来るのか…いや、そもそも野麦って笹の実を指してたのか」と知ることに。。

ソメイヨシノは、先ず花が咲き、その後で葉が出るが、ヤマザクラは花と葉が同居する。ラグビー日本代表のエンブレムの桜は花と葉が共にあるからヤマザクラという。ヤマザクラは種子で増えるため、開花時期も形質もバラバラ。でも、そこが異なる出自・異なる個性がワンチームを組むラグビー日本代表とリンクしているようにも思える。
私自身の経験として、「稲荷山のベニヤマザクラ」(茨城県土浦市/市指定天然記念物)を丁度花期に訪ねたとき、赤みのある葉で木が静かに燃えているかのようにも見え、「木も、今この時を、命の火を燃やして生きている」と教えられた思いで背筋を正したものですから……これは花と葉が同時に枝にあるヤマザクラだからこそ得た啓示。「大戸のサクラ」(茨城県東茨城郡茨城町/国指定天然記念物)や「松月寺のサクラ」(石川県金沢市/国指定天然記念物)もヤマザクラ系だが、圧巻の佇まい。うわべだけに留まらない、これまで生き抜いてきた幾星霜をも身にまとった迫力のある美しさ、華があるのですよ。ソメイヨシノでも、樹齢100年超の古木となると、ただ「綺麗・美しい」じゃない域に入ってくるのですよ。「百年の年輪を重ねた木には精霊が宿る」と言うそうです。
桜といえばソメイヨシノというイメージが世間的に強いせいか、ヤマザクラを「葉があるから華やかさに欠ける」とか言う人が居るらしくて、なんか失礼だなあって思ったり。見た目だけでなく一歩奥くらいまでは感じられるようになっていただきたい(希望)。

桃が聖なる果物とされるには複数の説があるが、その一つが古事記で黄泉の国から逃げ帰るイザナギノミコトが追手のヨモツシコメに桃の実を投げて無事地上に戻ったというくだり、という話は比較的知られているんじゃないかと。桃の形が尻を連想させるから、というのもあったかと。。
どちらにしろ、そういう果物だから、成長して鬼退治に出る桃太郎が生まれてくるには最適解だったというのは納得出来る。これが「大きな柿がドンブラコ…」で柿太郎とか、「大きな栗がドンブラコ…」で栗太郎とかは無いんだなと。。
しかし、イザナギノミコトが危ないところを助けてくれた桃に「私を助けたように、人々が苦しんでいるときには助けてあげなさい」と言って、邪気をはらう偉大な神という意の『意富加牟豆美命おおかむづみのみこと』の名を授けた件は、私は初めて知ったなぁと…(爆)

人間が食用・観賞用とする植物は、いろいろ遺伝的に制御されている面もあり、自然に結んだタネからは親と同じ形質に育たないから使われないという。
でもそれは逆に、「親とは形質が異なる、オンリーワンな〇〇が育って花を咲かせ実をつける」ということでもあり、イチゴの項でそんな「オンリーワンに名前を付けて育ててみても面白いのでは」と書いてあった。
市販の苗から育てるより時間は長くかかるだろうが、それは面白そうだなと思いましたね。。

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