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タイム



水が落ちる。

ゆっくり落ちる。

彼の目は、それをさらにゆっくりと映し出す。

彼の見ている世界は私たちとは余りにも違う。

彼の目には私たちが亀よりも遅く動くように見えているらしい。

むしろ亀の方が早いと言われたこともある。

その亀の種類を聞いたらウミガメだと言っていた。

私たちは通常、海というか水中で過ごすことはないので、そんなものと比べられても困るのだが彼にはその違いはわからないようだ。

しかしそういう彼もまた、私たちと同じようにこの世界で生きていることに変わりない。

変わりはないのだが……、彼が私たちと同じように生活をするのは不可能に思えた。

私が彼を見つけたとき、彼はゴミ捨て場に外傷もなく倒れていたのだ。

訂正。

彼が言うには眠っていたらしい。

とにかくゴミ捨て場に人間を放っておくわけにもいかず、私は救急車を呼んでそのまま搬送されていくのを見送ったのだった。

しかし数日後、彼はまたゴミ捨て場に倒れており私は目を疑った。

とりあえず揺すってみたが、反応はなかったのでしぶしぶまた救急車を呼ぼうとしたときに彼が目を覚ました。

そして彼は私を見て不思議そうな顔をして言った。

俺のこと見えるの?

と。

厄介なことに巻き込まれそうだと直感したが、ゴミ捨て場に置いていくわけにはやはりいかないので連れて帰った。

結果。

彼が妙な世界の見え方をしていることに気がついた。

恐らく、彼の脳に問題があるのだと思うのだが、それでも彼がたまーに姿を一瞬消してしまうというか、私たちから見えなくなるというか……。

彼はいつから人よりも早く動けるようになったのか、彼にとっての時間がどうして私たちと違ってしまったのか。

彼は私たちの動きを遅いというが、私たちからすれば彼の方が早すぎるのだ。

私たちは彼の速度に追いつけないし、彼もまた私たちの速度には追いつくことができない。

それなのになぜだか私の目は彼をとらえてしまったし、その時に呼んだ救急車の隊員やきっと着いた先の病院関係者たちだって彼を認識した。

彼は紛れもなく世界に存在しているし、同じ時代の同じ時間を生きている。

時間の認識能力が違うだけだ、きっと。

そんな彼は私が彼を認識できるのをいいことに、我が家に入り浸っている。

私は彼を認識できるときと出来ないときがあるのにもかかわらず、彼は私の家に居る。

彼からは私は常時見えているらしい。

それを聞いたときフェアじゃないと思ったものの、またどこかのゴミ捨て場に倒れている彼を想像すると家から追い出す気にもなれない。



水が落ちる音がする。


私は立ち上がって、彼がきちんと閉めなかったのであろう蛇口をきつく締めた。


もう水は落ちなくなった。


彼の姿は見えなかった。









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