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類まれなる音楽鑑賞会 飯守泰次郎/シティフィルのシューマン

オペラシティでシティフィルの定期演奏会を聴いた。
初・飯守泰次郎。

今まで評判を聞きながらも聴く機会のなかった名匠三羽烏の一人(他の二人は秋山和慶と小泉和裕)。
怪我をされたという情報があり、お元気なうちに聴いておこうと思った。

完売公演なので飯守泰次郎人気あるんだなぁと思ったが、行ってみたら高校生の団体が。
音楽鑑賞会だったようだ。

学校の音楽鑑賞会なら短い名曲を集めたトーク付きのコンサートがよさそうなもの。
飯守泰次郎のシューマンを選んだ先生は渋すぎ!🤣

しかし、その「慧眼」はコンサートが終わってから証明されたのだった❗️😳

団員の入場時から終演後のような大きな拍手が起きる。
なかなか指揮者が出てこない。コンマスの戸澤さんに支えられて飯守さんが登場。一人で歩くのは難しそう。

振り始めた交響曲第3番「ライン」は滔々とした大河のような迫力。
若い音楽だった。喜びや悩みを内に抱えた青年の声がした。

ただ、長く聴いていくと粗が気になる。音楽の枠がカチッと定まらずところどころ緩くなる。
高関健のマーラー9番のときは精度の高かった金管がしょっちゅうひっくり返ったり、音楽全体の印象を下げていた。

ただこれは日本のオケ共通の問題。日本のオケは弦に比べてあまりにも管が弱い。それも金管。
席のせいもあるのかもしれない。左サイドだったのでステージに近い左耳に金管が響く。音のバランスの悪い位置だった。

高校生の皆さんのマナーはすこぶる良く、携帯が鳴ったり話し声がすることはなかった。
私は小学校の音楽鑑賞会で「四季」やハープの吉野直子さんの演奏を聴いたが、どちらも寝てしまっていた。猫に小判だった😅
この中で一人でも「次は自分のお金でオペラシティに来よう!」って子が出てきたらいいなぁ😊

飯守泰次郎はワーグナーやブルックナーに定評がある。
ドイツ音楽の巨匠とされているが、願わくばライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団やドレスデン・シュターツカペレで聴いてみたかった。
今日の金管の精度は低く、飯守泰次郎の実力が存分に発揮されているとは感じなかった。

聴衆の拍手は大きかった。ヘアスタイルが個性的なマエストロだし、両手を握りしめて高く突き上げ指揮台で拍手を浴びる様子は何かの教祖❓のような神々しさがあった😅

演奏に満足がいったわけではないのでカーテンコールの途中で抜けてトイレに行ったが、拍手は大きくなる一方。帰りに覗いたら会場が総立ちだった。
これは「朝比奈現象」ではないか。

私は朝比奈隆ファンだったので、晩年の3年間のほぼすべての東京公演に足を運んだ。
毎回毎回長いソロカーテンコールが起きる現象は「一般参賀」と揶揄されていた。

聴衆はほぼ朝比奈の「ファン」だった。
「ファンに批評性は存在しない」(といった趣旨の発言)とみうらじゅんが言っていたらしい。
ファンは対象を全肯定するので、そこに批評性が入る余地はないというのだ。
「今日の朝比奈はいまいちだったね」ではファンと言えない。
「朝比奈さん、今日も元気に振ってくれてありがとう」。これがファン心理である。

今日の聴衆も飯守泰次郎のファンだったのではないか。
シティフィルの長年の定期会員も多くいたはずだ。シティフィルを育ててきた飯守が万全のコンディションでないにもかかわらず指揮してくれる。そこに感謝以外の何があるというのか。
過去の名演奏の感動が今日のシューマンに重なって思い出された人もいるだろう。

音楽鑑賞会の高校生たちにとって、今日の景色はなかなか見られないものだっただろう。
芸を磨き続けて81年の巨匠が手塩にかけて育てた手兵とのコンサート。
身体が万全ではない中、気迫の指揮。
総立ちで拍手喝采を贈る聴衆。

会場を埋め尽くす万雷の拍手は高校生たちの心にしっかりと痕跡を残しただろう。

トーク付きのカジュアルコンサートでなく飯守泰次郎のシューマンを選んだ先生の「慧眼」とはまさにこのことである。

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