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小曽根真のバッハが聴きたい PMFオーケストラ東京公演

サントリーホールでPMFオーケストラ東京公演を聴いてきた。

ウェーバー:歌劇「オベロン」序曲
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番
(アンコール  小曽根真:マイ・ウィッチズ・ブルー)
ブラームス:交響曲第2番

ピアノ:小曽根真
指揮:ラハフ・シャニ
管弦楽:PMFオーケストラ

感想(ウェーバー、ブラームス)


ヴァイオリンは8人だったかな? 中編成なので音が軽い。
キラキラしてるというのか、ドイツ的な重厚感や燻んだ感じの渋い響きとは真逆。
ロッシーニか?とか思ってしまった😅

名曲なんだろうが、私はほとんど聴いたことがない。CDも持ってない。
スウィトナー/シュターツカペレ・ドレスデンで聴いたらもっとドイツっぽいサウンドを堪能できるのかなぁと思いながら聴いていた。

ラハフ・シャニは今年33歳で、メータの後任でイスラエル・フィルの音楽監督を務めている。
指揮棒を持たない指揮者は久しぶり。
合唱指揮者は持たない人が多い。打点がはっきりしない方が声楽に向いてるからだろう。

シャニの指揮で気になったのは、ところどころカラヤン風になる🤣
俯いたり目を閉じるのはナルシスティックな印象であまりよく感じなかった。
指揮者にとって奏者とのアイコンタクトは大事だと思う。
朝比奈隆は「演奏開始2分ですべての奏者と目を合わせる」と言っていた。
目が合うと「見てくれてるんだ」と奏者が俄然やる気になって一体感が出るのだそう。

その点、シャニの指揮はナルシスティックに傾きがちで、指揮棒がないハンデを補うだけのものを素手からは感じ取れなかった。

ブラームスの第3楽章が一番よかった。楽章の直前に長めの休憩を取ったせいかオケに生気が戻り、シャニがオケをよく見て指示を出すとオケもそれによく応える。
指揮に応じた音楽が鳴る、という指揮者の仕事を一番感じたのがこの楽章だった。

とはいえ、最後までシャニがどんなブラームスを描きたいのかまるでわからなかった。
客席のクラオタを何人か舞台に上げて振ってもらった方が面白いだろうと思った。
冗談ではなく、生ぬるい芸術を鑑賞するくらいなら予測不可能なものを体験したいと思うからだ。
第3楽章で「おやっ」と思った以外は、50分のうちの大半退屈していた。

お目当ては小曽根真

今回のコンサート、小曽根真目当てで行った。

私は「小曽根クラシック」の大ファン。
実演で聴くのはモーツァルトのピアノ協奏曲第23番(尾高忠明/読売日響)、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(川瀬賢太郎/神奈川フィル)以来。

前者はCDや映像と比べて全然指が回っておらず「ジャズピアニストはクラシックピアニストほど毎日みっちり練習しないだろうし、コロナ禍で本番が減ったから指がなまってるのかな」なんて感じた。

後者は神奈川県民ホールの音響がひどすぎ(NHKホール以上😅)。
残業が皆無に等しいので、音楽を味わうには程遠かった。

どちらもアンコールは絶品だった(神奈川フィルのときはロマンティックな自作曲。読売日響のときは首席コントラバス奏者と二人で「A列車で行こう」。最高だった!)

CDではジャズバンドを弾き振りしたモーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノム」が出ている。小曽根さんの十八番だ。

ビッグバンド時代のレトロ感満載だが、やや脚色しすぎな気も笑
YouTubeで見れる宮崎国際音楽祭でのデュトワとの「ジュノム」が傑作!

「ジュノム」は第1楽章と第3楽章にはっきりとしたカデンツァがある。
即興名人の小曽根さんはやはり余白(遊び)のある音楽が向いている。
デュトワとの「ジュノム」ではクラシックパートのリリカルさも素晴らしく、カデンツァも小曽根ワールドながら大幅に曲想を逸脱しない。
天才モーツァルトと天才小曽根の丁々発止の「命をかけた遊び」(宇野語😁)が堪能できるのである。

感想(プロコフィエフ)

ノリのいいコンサート映えする名曲だが、この曲って完全に独立したカデンツァあるんだっけ?😅
小曽根さんの弱音のピアノともう一つの楽器だけみたいな、ともすれば緊迫しそうなシーンもあったが、何分オケの伴奏にそこまで緊張感や凄みがなく、演奏中に1階席のおじいさんがステージ最前列を通って退席したりしたせいもあり、ホール全体が緊張に包まれている感じではなかった。

小曽根さんはよくオケの方を見てニヤッとしながら弾いていた。
思わずキューを出しそうになって慌ててやめたような仕草も🤣

何せP席なのでピアノの音色には期待できない。
他の要素も含めて、モーツァルトで堪能できるような「小曽根イズム」はさほど感じられなかった。

楽譜をそのまま弾くことを要求されるプロコフィエフやラフマニノフよりも、自在なアイデアを盛り込めるハイドンやモーツァルト、バッハの方が小曽根さんの個性が活きるのではないだろうか。

小曽根真のバッハが聴きたい

私が期待してるのは

○ゴルトベルク変奏曲のリサイタル
○ハイドンのピアノ協奏曲を弾き振り
○モーツァルトの「ジュノム」をクラシックオーケストラで弾き振り

である。

ハイドンはモーツァルト以上に自由度が高そう。
小曽根さんのハイドンを聴きたい。

そして、バッハ。

以前、Twitterのネタで

【あったら怖いセレナーデ】
バッハ:ゴルトベルク変奏曲
ピアノ:小曽根真
開演:19時
終演:22時40分

というのを書いたら、ご本人が「たしかに…」とコメントをくださったことがある😳

小曽根さんのゴルトベルクは聴いてみたい。
スカルラッティを即興的なアレンジで弾いてるのはEテレで見たことがある。
「クラシックTV」でバッハのイギリス組曲の一部を披露したりもしていた。
きっとバロックを弾きたくてたまらないはず!笑

「小曽根真さんにゴルトベルク変奏曲を演奏してもらおうプロジェクト」でクラウドファンディング立てますか!🤣←迷惑もいいとこ。

先日ジャン・ロンドーというチェンバロ奏者のゴルトベルクを配信で聴いた。
とても即興的に自在に弾いていて、新鮮な感動を受けた。
小曽根さんならバッハに新鮮な風を吹かせてくれるだろう。

小曽根真が若者たちに伝えたもの


アンコールは自作曲。
弾く前、椅子に腰掛けて大きな溜め息(プロコフィエフで僕疲れちゃった的な)
客席から笑いが起きる。
一瞬でお客さんを味方につける。

シンプルなクラシック風旋律で始まり、徐々にジャズっぽく自在にスウィングしていく。
クライマックスでは小曽根真という人間が鳴っているようだった。
ピアノなのに歌声を聴いているかのよう。
教科書的ではない、音楽本来の姿。

小曽根さんがアンコールを弾き終えた瞬間、わーーー!!!っと客席が沸いた。
ブラームスの後のだらだら間伸びした拍手とはまるで異なっていた。

小曽根さんが音楽と戯れる姿はクラシック演奏家が忘れがちな音楽の原点。
きっとみんな楽器を触り出したころは楽しくてたまらなかったはず。
それなのに「こう弾いてはいけない」「こう弾くのが正しい」といつしか思考が硬直してはいないか。

小曽根さんはステージマナーも丁寧。
いつも笑顔を絶やさず、客席の前後左右にお辞儀をし、ステージ脇にはけていくときですら客席に笑顔を送っている。
今日一日楽しい気持ちで帰ってくださいねという優しい気持ちが伝わってくる。

コロナ禍に世界各国から集まった学生たちが小曽根さんの背中から学び取ったものは多かったに違いない。

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