健診結果と外来診療での検査の違い

先ほど私に、「検査したらその結果は電話で知らせるべきだ。事務でも看護師でもいいから」と主張した人がいました。



なんて非常識な人だろうと呆れたのですが、考えてみたらその人は、健診とか人間ドックを受けたとき結果が返ってくると言うのと、外来診療の中で医師が必要と考えて行う検査を混同しているのかもしれない、と思いついたのです。



昔とある病院で「健診センター長」をさせられたことがありました。健診センター長は健診診察もやりますが、一番の仕事は結果の判定です。毎日、おおよそ100人分の結果を判定していきます。一人あたりに掛ける時間は?



もし3分掛けたら、100人判定したら300分、五時間かかってしまいます。しかしその病院で私は健診センター長だけをやっていたのではありません。むしろ健診センター長は片手間で、本業は訪問診療と漢方外来でした。毎日訪問診療に行き、週4コマは外来をやり、訪問診療で具合が悪くなって入院した患者が出ればその患者の病棟主治医もやる。その片手間に、毎日100人分の健診結果を処理するのです。



私は健診結果の判定は、毎日30分と決めていました。30分で100人判定します。ざっと計算すれば、一人15秒です。瞬読するのです。ああ言うのって、毎日毎日100人分やっていると、神業みたいなのが身につくのです。健診結果全体をざっと覧て「異常なし、経過観察、要再検、要受診」のどれかに○を付ける。それを一人15秒でこなす。



皆さんが受けている市町村や職場の健診結果の判定って、そう言うものです。当然、私はその患者がどういう患者かなんか、一切考慮しません。ただ検査結果一覧をざっと眺め、瞬間的に上のどれかに○を付けます。それが健診結果であって、それは紙でお手元に届きます。



そう言うものと、医者が外来診療の中で、診療上の必要を感じて行う検査は、まったく別物と思ってください。外来診療の中で医者が検査をするということは、その患者についてなんらかの「検査する必要性」を考えてやるのです。無論、金儲けで検査する医者もいますが、基本と言いますか、原則はそうです。つまり、患者を診察してみて、「この人はこれこれという検査をした方が良い」と医者が考えるからその検査をする。その検査結果が返ってきて、全てのデータが揃ったとき、医者はその患者がどういう状態で、何故この検査をしようと考えたのかという事と、検査結果を照らし合わせ、なるほど、この患者はこうなのだな、と判断を下します。非常に多方面から検討するわけです。一つ二つのデータだけで判断するのではありません。患者の症状、診察したときの所見、様々な検査データを色々と突き合わせ、「なるほど、どうやらこうだ」と判断します。それが、診療上行う検査です。



そう言うものなのですから、患者さんは絶対にその結果を聞きに来るべきです。来なかったら損です。単に経済的に損なだけで無く、もし患者が結果を聞くために受診しなければ、せっかく検査して医者が見つけた何かの問題を、患者さんは知らないままになってしまいます。



検査は受けるんだからその金は払う。しかし結果を聞くのはただだろうじゃありません。そういう、医者が自分の知識、経験を元に、患者情報と検査結果を多角的に勘案して、一定の診断を下し、次に打つ手を考えるために行うという知的労働は、当然有料です。専門家が専門家としての知識と経験を元に、総合的に考え合わせて何かを判断し、それを患者に伝え、必要なら何かを提案する、これらの結果はこれこれという疾患が考えられますとか、今回の検査結果は過去の結果とも照らし合わせてまずまずこれで良いでしょうとか、少し薬を調整しましょうとか、必要なら専門医に紹介しましょうとか、やるわけです。そういう専門家の知的作業を「検査代は払ったんだからただで教えろ」って、それは無いのよ、と言うのが私が言いたかったことです。そもそも、それこそが医者が患者に売るサービスの中で、一番重要なものです。色々なデータを突き合わせて多面的に考察し判断してある方向性を患者に提案する。これこそが医者が患者に対して行う最大のサービスであって、診療の中で最も重要な部分なのです。検査というのはその材料を集めるだけです。材料集めたから教えるね、判断はご自分で、じゃ医者に掛かった意味が無いです。だから、検査を受けたらその結果は聞きに来ましょう、その結果について説明を受け、医者の判断やそれに基づく提案を聴いたらそれに対する対価を払ってください、と言うのが私が言っていることです。



ま、ここまで説明してそれでも納得出来ないというのでしたら、あゆみ野クリニックには掛からないでいいです。検査したくせに結果を事務が電話で知らせてこないと不平を鳴らす患者なんか、まっぴらごめんです。

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