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(054) 学級は共同体ではないし、それを目指すべきでもない:オンライン教育の機能的な美しさ

もう6月も終わり、7月に入ります。2020年の半分が終わろうとしています。早いですね。

さて、「(052) 柳治夫『学級の歴史学』(講談社選書メチエ):学級というパッケージの来歴と幻想」の記事では、この本を紹介しました。そして「学級」についてこんなふうに書きました。

 パックツアーと学級は似ているけれども、大きな問題が3つある。第1には、学級へは強制参加なので、その目的、つまり何のために学校に行き、学級に所属しなければならないのかが理解されない。第2には、目的達成のための手段として学級生活を意味づけること、規律に従うこと、自己抑制することを受け入れることが困難である。第3には、規律に従い、学習を進めていっても、その代償として成績の上昇が全員に保証されるわけではない。
 生活共同体として全ての活動を抱え込むと「重たい学級」になる。対して、学習だけを進めるというのであれば「軽い学級」となる。軍隊や刑務所のように強制的に本人の意志を無視できる施設を「全制施設」とゴッフマンは呼んだ。そこでの被収容者の変化を「無力化過程」と呼んだ。重い学級は、この全制施設に極めて類似している。批判することもできず、教師や学級に対する疑問も抑えられられない生徒たちは深刻なダブルバインド状況になるだろう。

コロナ禍の中で、オンライン教育への転換が急速に進められています。私が「オンライン教育は対面授業の劣化版ではない」とコンスタントに言い続けているのは、上の引用でいう「軽い学級」を実現するための近道となる可能性があるからです。さまざまな理由や事情で学校に行けない、行きたくない人たちのためのオンライン教育のシステムが気軽に使われるようになるといいなと思っています。

学級は共同体ではないし、それを目指すべきでもない

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