見出し画像

Oshi はいつか英語になる


あたまの片隅で常にアレが気になります。

睡眠と食事をしっかりとって、自分ができることをするしかないのだけど、やっぱり気になる。仕方ないですよね。不安なのに平気なフリをするのも不健康です。

こんなときこそ気分転換は大事。テレビを見たり、ご飯を食べたり、マンガを読んだり。もちろんnoteを読むのもいいですね。とはいえ、頭の中でほんの少し、1%くらいだけどアレがちらつくんです。普段20%は頭の中に居座ってるから十分気分転換になってはいるんですけど…。

でも、アレが頭の中から完全にいなくなった瞬間があったんです。夜中にnoteを読んでたとき。なんのnoteかって? それは...

推しnoteです


自分の好きなモノへの想いをひたすら熱く語る記事。文字数や文体も気にしない。誰が読むんだろ? なんて邪念が一切ない文章。そのnoteを読んでる間、久しぶりにアレのことを完全に忘れて楽しんでました。そのあと “推し” タグの色々なnoteを彷徨いながら読みふけりました。

あ~、楽しかった、そろそろ寝なきゃと思った午前2時。ふと思ったんです。

Oshi はいつか英語になる


Sukiyaki, Teriyaki, Kawaii, Ninjya
英語になった日本語はたくさんあるけど、“推し” も間違いなく英語になりますね。だってOtaku も Manga も英語になってますから時間の問題ですよ。Bonsai, Haiku, Zen と同様、日本文化と言っていいんじゃないですか?

英語にも “推し” を表すスラングがあります。

Yuki is my bias.(ユキは私の推しです)

biasは、偏りを意味する「バイアス」と一緒です。ちなみに “神推し” は 、ultimate biasと訳すそうです。その他にエミネムの曲が語源の stan という単語もあります。でも、これは偏愛度が高すぎるというか過激な印象です(stanは "Stalker"と"fan"が合わさった造語という説もあるみたい)。

“推し”ってもっと... なんというか...
奥ゆかしさがあるじゃないですか、究極の片想いみたいな。しかも、恋愛と違って独占するんじゃなくて、みんなも好きになって!!というパワーが溢れてる。推しの対象には奥ゆかしいのに周囲への圧はスゴイ。
「ね!いいでしょ! 大丈夫、一度入ればズブズブだから」字面だけ見ると全然大丈夫じゃないけど、楽しい気持ちが伝わってきます。推しnoteの中には本文の半分以上が太字になってて、どこを強調したいのか分からない記事もありました。「全部だよ! 全部!!」と言われそうだけど、その熱量が読んでてスカっとするんですよね。

推しへの想いを表現する言葉で一番好きなのが「推しが尊すぎてつらい」
この言葉を考えた人は天才ですね。ノーベル文学賞ノミネート級です。

これ、英語にするとどうなるんでしょ?
拙い英語力でGoogle先生と相談しながら書いてみました。

It's so hard for me but he's(she's) too precious.

なんか気分出ませんね。やっぱり “推し” は英語にするべきですよ。

Oshi is too precious and painful.

こっちの方が雰囲気ありません??

僕はいま “推し” がいないんですね。大好きなバンドはいるけど推しレベルの燃料を持っていない。だから、熱く推しを語る文章に惹かれるのかもしれません。楽しいんですよね、推しがいる生活。僕の推し歴史は一番最近でも初期のチャットモンチーなのでだいぶ昔です。その前だとプリンセス プリンセスだから完全に昭和。

人生史上最大の推しは「斉藤由貴」。僕が中学生の頃、斉藤由貴派か南野陽子派でなぐり合いのガチ喧嘩してた友達がいました。僕もAXIAがリリースされた時、その衝撃的な歌詞に打ちのめされましたよ。

“ ごめんね いままでだまってて
  本当は彼がいたことを ”

怒りのあまり、由貴ちゃんはそんな子じゃなーーい!って当時30円だったハガキで事務所に投書しかけましたよ。結局、ハガキは出さずにアルバムは買いました。特典ポスター欲しさにAXIAのオーディオテープも買いまくって、その年のお年玉全部つぎ込みましたからね(ポスター当たらなかったけど)。
それだけ感情移入できるのも “推し” だからこそ。尊くて辛くて幸せ。

Precious, Painful, and Happy,
Oshi makes everyone smile !!


“推し”っていいですよね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?