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法制審議会家族法制部会最新資料を見る5~資料34-2~親の地位議論?

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今週は資料読んでた
長いけど、34-2の方、一気読み



1 家族法制部会 資料34-2


親子関係に関する基本的な規律についての補足的な検討

1 親権の有無にかかわらず父母が負う責務や権利義務等に関する規律とし て、次のような内容の規律を設けるものとすることについて、どのように考 えるか。
① 父母は、子の心身の健全な発達を図るため、その子の人格を尊重すると ともに、その子の年齢及び発達の程度に配慮してその子を養育しなけれ ばならず、かつ、その子が自己と同程度の生活を維持することができるよ う扶養しなければならない。
② 父母は、婚姻関係の有無にかかわらず、子に関する権利の行使又は義務 の履行に関し、その子の利益のため、互いに人格を尊重し協力しなければ ならない。
2 成年に達しない子が父母の親権に「服する」と規定する民法第818条第 1項を改正して、親権が子との関係において義務としての性質を有し、親権 が子の利益のために行使されなければならないものであることを明確化す るものとすることについて、どのように考えるか。

たたき台(1)の内容(部会資料30-1より再掲)
第1 親子関係に関する基本的な規律 子との関係での父母の責務を明確化するための規律を整備するも のとする(注1、2)。
(注1)父母の責務としては、例えば、父母が子の心身の健全な発達を図らなけれ ばならないことや、扶養義務を負い、その程度が生活保持義務であること、子 の利益のためにその人格を尊重するとともにその年齢及び発達の程度に配慮し なければならないことなどがあるとの考え方がある。また、父母は、その婚姻 関係の有無にかかわらず、子に対するこれらの責務を果たすため、互いの人格を尊重すべきであるとの考え方がある。
(注2)子との関係において、親権が親の権利ではなく義務としての性質を有する ものであること(親権を子の利益のために行わなければならないこと)を明確 化すべきであるとの考え方がある。

資料32-1


(補足説明)


1 父母の責務や権利義務等(ゴシック体の記載1)

 ⑴ 父母の法的地位の内容及び性質についての検討

 この部会では、これまで、父母が、その婚姻関係の有無や親権の有無にか かわらず、子との関係で特別の法的地位にあると考えられるとの指摘を踏まえ、親子関係に関する基本的な規律を整備する方向での議論が進められてきた。その上で、父母の法的地位の具体的な内容やその法的性質については、この部会のこれまでの会議において、様々な意見が示されたところであり、例えば、第30回会議では、子の養育が父母の責務(義務)であると同時にその権利でもあるのではないかとの指摘や、子の養育の内容について、 経済的な関わり合いの側面と精神的な関わり合いの側面のいずれを重視すべきか又はその双方を重視すべきかとの指摘、子の意見(意思・意向)を尊重することを含め、子が権利の主体であることを意識した検討が必要であるとの指摘など様々な指摘がされた。また、こうした基本的な規律を整理するに当たっては、親権者である父母の権利義務の内容をどのように整理するかを踏まえた上で、親権を有しない父母がどのような権利義務を負うのかといった視点での議論や、諸外国においてどのような規律が整備されているのかを参考にした議論が必要であるとの指摘もされた。 そこで、これらの論点について、改めて整理を試みると、まず、現行民法においては(親権の有無にかかわらない)親の責務や権利義務等について、 総論的・包括的な規定はないものの、いくつかの個別的な規定が存在しており、例えば、子の監護(監護者、親子交流、養育費等)に関する定め(同法 第766条)、特別養子縁組をする際の同意(同法第817条の6)、親権者の変更の申立て(同法第819条第6項)、親権喪失・親権停止の申立て(同法第834条、第834条の2)、未成年後見人の選任の申立て(同法第840条)、扶養(同法第877条)などの規定が設けられている(なお、これらの規定の中には「父母」以外の親族にも適用がある規定も含まれる。) (注1)。
 これらの規定に基づく父母の子への関わり合いは、経済的・金銭的な側面 から子の成長を支えるもの(養育費や扶養など)もあれば、精神的・非金銭 的な関与(親子交流や親権喪失等の申立てなど)もある。 また、以上のような(親権者でない)父母の子への関わり合いに関する諸規定は、裁判所の審判を求める権利・権限を父母が有していることなどの意味で(注2)、一定の権利性があるものの、これは父母の固有の権利利益を保障する趣旨ではなく、子が心身ともに健やかに成長・発達することができるよう、子の利益のために行使しなければならないことが求められていると考えられる。 そこで、この資料のゴシック体の記載①では、このような金銭的な関与と非金銭的な関与の双方の側面において、父母が子との関係で一定の責務を有することを意味する趣旨で、「父母は、子の心身の健全な発達を図るため、・・・子を養育しなければなら」ないものとすることを提示しており(注 3)、また、この資料のゴシック体の記載②では、父母の有する法的地位が権利及び義務の双方の側面を有していることを踏まえて、「子に関する権利の行使又は義務の履行に関し、」と記載している。

(注1)
(親権の有無にかかわらず)父母が子との関係で有する権利義務に関する諸外国の規定の例
⑴ フランス
ア 民法典第371-2条 第1項 両親の各々は、自らの資力、他の親の資力、さらには子の必要に応じて、 子の養育及び教育につき分担する。
 第2項 この義務は、親権あるいはその行使が取り上げられたとき、子が成年に 達した時に当然には消滅しない。
イ 民法典第373-2-1条 第5項 親権を行使しない親は、子の養育及び教育を監督する権利及び義務を保 持する。その親は、子の生活に関する重大な選択を通知されなければなら ない。その親は、371-2条に従ってその者に課せられた義務を尊重し なければならない。
⑵ ドイツ
ア 基本法第6条第2項 子どもの保護及び教育は、親の自然の権利であり、かつ、何よりもまず両親に 課されている義務である。この義務の遂行については、国家共同体がこれを監視する。
イ 民法 第1602条第2項 未成年の子は、財産を有する場合であっても、その財産からの収益及びその労 働による所得が生計を維持するのに十分でない限りにおいて、両親に対して扶養 を提供するよう求めることができる。 第1684条第1項 子は、いずれの親とも交流する権利を有する。いずれの親も、子と交流する義務を負い、権利を有する。 第1686条 いずれの親も、正当な利益があるときに、子の福祉に反しない限りにおいて、 他方の親に対して子の個人的状況に関する情報を求めることができる。
(注2)この部会のこれまでの議論においては、父母が子を養育することについて、それが子との関係での父母の義務であるとともに、父母がその義務を履行するために一定の 権利・権限があるとの意見や、権利性を認めることで、父母による子の養育について、 他者からの不当な干渉や妨害を受けず、又は必要な支援を受けることができるとの解 釈につながるとの意見があり、また、民法の規定の中には義務を履行するための権限や 他者の利益のために行使されるべき権利を「権利」と表現する例もあるとの指摘があっ た。 (注3)この部会のこれまでの会議では、「養育」という用語について、「扶養」との関係を 含め、その意味内容を整理する必要があるのではないかとの指摘があった。この資料で は、父母の子への関わり合いのうち経済的・金銭的な側面から子の成長を支えるものを 「扶養」と記載しており、これに加えて精神的・非金銭的な関与を含む広い概念として 「養育」という用語を使っている。

⑵ 子の人格の尊重等


上記⑴のとおり、父母が子との関係で有する法的地位には、権利及び義務の双方の側面があると考えられるが、その権利としての性質は、父母が子に対する支配権のような特別の権利を有することを意味するものではない。 他方で、父母による子の養育が義務や責務としての性質を有するとしても、 その養育の在り方は、各家庭によって様々であり、父母が子と同居しているか別居しているかなどの諸事情によっても異なると考えられるから、その責務や権利義務の内容を一律かつ具体的に規定することは困難又は不適当であるとも考えられる。そのため、この部会のこれまでの議論の過程では、 父母の責務や権利義務等に関する規律を設けるとしても、その内容はある程度抽象的で一般的なものとならざるを得ないであろうとの指摘がされてきた(注1)。 その上で、(親権の有無にかかわらず)父母が子との関わり合いをする際に一般的に求められるものとして、父母が子の人格を尊重すべきことや、父母が子の年齢及び発達の程度に配慮すべきことなどの指摘があった(注2)。 そこで、この資料のゴシック体の記載1①では、「その子の人格を尊重するとともに、その子の年齢及び発達の程度に配慮して」その子を養育しなければならないものとすることを提示している。

(注1)この資料のゴシック体の記載では、「養育」の具体的な内容を規律することを提示しているわけではなく、子の養育に関して父母が有する具体的な権利義務の内容は、民法の各個別の規定によって定めることを想定している。例えば、子の監護及び教育は、 親権者の権利義務であり(同法第820条)、また、親子交流については、父母の協議又は家庭裁判所の手続によって定めることが想定されているため(同法第766条)、 この資料のゴシック体の記載のような規律を設けたとしても、親権者でない父母が監護及び教育をする権利義務を得ることとなるわけではなく、また、父母の協議等を経ることなく別居親が親子交流の実施を一方的に求めることができるようになるわけでは ないと考えられる。
(注2)第30回会議では、人格の尊重に加えて「人権の尊重」という観点を盛り込むべき であるとの指摘もあったが、子の人権を尊重することは、人格を尊重することに含まれ ているとの整理もあり得る。
⑶ 子の意見等
ア この部会のこれまでの議論の過程では、父母の責務の内容として、子の 意見(意思・意向)を把握することや、子が示した意見等を尊重・考慮することを求める意見があった。このような意見の背景には、父母による子の養育が「子の利益」のために行うべきものであることとの関係で、何が「子の利益」であるかを判断するための具体的な基準の一つとして、子の意見等を一つの指標とすべきではないかとの考え方がある。 この資料のゴシック体の記載においては子の意見等を明示的には記載 していないものの、これは、父母が子の意見等を考慮する必要がないことを意味するものではない。すなわち、この資料のゴシック体の記載①では、子の人格を尊重すべきこと等を掲げており、これは子が1人の人格的な 主体であるとの認識を前提とするものであるから、子が人格の主体とし て形成した意見等を尊重・考慮することは、子の人格を尊重することに含 まれていると整理することもできるように思われる。また、この資料のゴ シック体の記載①によれば、子の年齢及び発達の程度に配慮することが 求められることとなるため、その意見等をどの程度の重みをもって考慮すべきかについても、その年齢や発達の程度に応じて判断されるべきであるとも考えられる。
イ その上で、以上のような整理を踏まえて子の人格の尊重等を掲げることに加えて、子の意見等を尊重・考慮すべきことを父母の義務として掲げるべきかどうかを検討するに当たっては、子の意見等を明示的に規定することの法的意味やそれが父母の行動に与える影響等を踏まえつつ、どのような表現により規律することが相当かも含め、慎重に検討する必要があるように思われる。この部会のこれまでの議論においても、例えば、 具体的な事情の下では子が示した意見等に反しても子の監護のために必要な行為をすることが子の利益となることもあり得るとの指摘や、子の意見等を尊重すべきことを過度に重視しすぎると、父母が負うべき責任を子の判断に転嫁する結果となりかねないとの指摘父母の意見対立が先鋭化している状況下において子に意見表明を強いることは子に過度の精神的負担を与えることとなりかねないとの指摘などが示されていた。
⑷ 扶養の程度の明確化 父母の子への関わり合いのうち、経済的・金銭的な側面については、これまで、その扶養義務の程度が他の直系親族間の扶養義務の程度よりも重いものであることを明確化すべきであるとの議論が進められてきた。 そこで、この資料のゴシック体の記載では、父母の扶養義務の程度につい て、「その子が自己と同程度の生活を維持することができるよう扶養しなければならない」ものとすることを提示している(注)。
(注) この部会のこれまでの議論では、生活保持義務の対象となる子(未成熟の子)の範囲についての議論もあったが、この資料のゴシック体の記載では、単に「子」とのみ記 載することとしており、これを未成年の子に一律に限定するものとはしていない。また、 この資料のゴシック体の記載では、父母が子との関係で生活保持義務を負うのが「子の心身の健全な発達を図るため」であるとしている。

⑸ 父母の人格尊重・協力義務
 民法は、直系血族及び同居の親族が互いに扶け合わなければならないこと(同法第730条)や、夫婦が互いに協力し扶助しなければならないこと(同法第752条)を規定するが、婚姻関係にない父母間の関係については、 明文の規定がない。 このことに対しては、部会のこれまでの議論において、離婚後の父母双方が子の養育に関して責任を果たしていくためには、父母が互いの人格を尊重できる関係にある必要があることや、父母が平穏にコミュニケーションをとることができるような関係を維持することが重要であることなどの意見が示された。 こうした意見を踏まえ、部会資料30-1の第1の注1では、父母がその 婚姻関係の有無にかかわらず互いの人格を尊重すべきであるとの考え方を注記していた。このような人格の尊重が求められる場面は、父母が子に関する義務の履行をする場面に限られず、父母が子に関して有する権利を行使する場面も含まれると考えられる。 また、部会のこれまでの議論の中では、離婚後の父母の中には、子の養育に無関心・非協力的な親がいるとの指摘があった。こうした指摘を考慮すると、子の利益を確保するためには、父母が互いに協力することが望ましいとの考え方もあり得る。 そこで、この資料のゴシック体の記載では、父母が、婚姻関係の有無にかかわらず、子に関する権利の行使又は義務の履行に関し、その子の利益のため、互いに人格を尊重し協力しなければならないものとすることを提示している(注1~3)。
(注1)この資料のゴシック体の記載のような父母の人格尊重義務や協力義務を規定した場合には、その義務の履行をどのように確保するかが問題となり得るが、例えば、父母 の一方がこれらの義務に違反した場合には、親権者の指定・変更の審判や、親権喪失・ 親権停止の審判等において、その違反の内容が当該父母の一方にとって不利益に考慮されることになるとの解釈があり得る。
(注2)部会資料32-1(たたき台(2))の第2の1⑵では、父母双方が親権者である場合においても、監護及び教育に関する日常の行為については父母の一方が単独で行うことができることを提示している。この規律については、父母の一方のみが子と同居している場面においては、当該一方が、他の一方(子と別居する親)から不当に干渉さ れることなく、日常的な子の監護をすることができるものと解釈すべきであるとの考え方があり得るが、このような考え方を父母間の人格尊重義務や協力義務と結びつけて整理することもできると考えられる。 また、部会資料32-1の第2の3の注2では、「監護者による身上監護の内容がその自由な判断に委ねられるわけではなく、これを子の利益のために行わなければならないこととの関係で、一定の限界があると考えられる。例えば、監護者による身上監護権の行使の結果として、(監護者でない)親権者による親権行使等を事実上困難にさせる事態を招き、それが子の利益に反する場合がある」との指摘を注記しているが、このような監護者による監護の限界を父母間の人格尊重義務と結びつけて整理することもできると考えられる。
(注3)この部会のこれまでの議論では、父母の離婚後の子の養育に関する規律の見直しについて検討するに当たり、DV事案への民事基本法制の枠内での対応策についても検 討する必要があるとの意見があった。このような意見を踏まえ、部会資料30-1及び 部会資料32-1においては、DV事案に対応するための各論的な規律を提示してい る(部会資料30-2の2ページから4ページまで)。 そして、これらの各論的な規律の整備に加えて、父母の責務に関する一般的な規律として父母が互いに人格を尊重すべき義務を負う旨を規定した場合には、子の養育に関連して、父母の一方が他の一方の人格を否定するような言動をしてはならず、父母の一 方がこれに違反した場合には親権者の指定等の判断において不利益に考慮されることとなると考えられる。また、濫用的な申立て(家事事件手続法第271条等)が問題となるケースにおいても、家庭裁判所が申立人の申立てが不当な目的でみだりに申し立てられたものであるかどうかを判断するに当たり、申立人が相手方に対して人格尊重義務を負っていることを踏まえて判断すべきであることとなるとも考えられる。 その上で、このような一般的な父母の人格尊重義務の規律に加えて、DV事案に対応するための更なる規律を設けるべきかについては、それがどのような法的効果を生ず ることとなるかなどを踏まえ、慎重に検討する必要があると考えられる。

2 親権の性質の明確化(ゴシック体の記載2)

 民法の「親権」は、親の「権利」のみでなく「義務」としての性質も有し、 その権利義務が子の利益のために行使されるべきものであることに異論はな いと思われる。もっとも、親「権」という表現がされていることや、民法第818条第1項が「成年に達しない子は、父母の親権に服する」と規定している ことなどから、それが専ら親の権利であるかのように誤解されるおそれがあ るのではないかとの指摘がある。また、この部会の第30回会議においては、 複数の委員から、「服する」という表現を改めるべきであるとの意見が示され た。 そこで、この資料のゴシック体の記載では、成年に達しない子が「父母の親権に服する」と規定する民法第818条第1項を改正し、親権が子との関係において義務としての性質を有し、親権が子の利益のために行使されなければならないものであることを明確化することを提示している(注)。
(注) なお、試案の前注1では、「親権」という用語の見直しも含めて検討すべきである との考え方も提示されており、パブリック・コメントの手続においても、「親責任」や 「親義務」のように、義務としての性質を前面に表現する用語を提案する意見も寄せら れた。 もっとも、「責任」等の用語を用いることに対しては、それが帰属しない(又はその 制限がされる)親が、子との関係で何らの責任をも負わないかのような誤解を与えかね ず、そのような親による養育費の不払を助長しかねないのではないかとの懸念がある。 また、例えば、単に「親権」という用語を機械的に「親責任」と置き換えるだけでは、 親権喪失(民法第834条)に相当する用語が「親責任喪失」と呼称されることとなる が、この表現が不適切であれば、その概念や法的効果を改めて整理する必要があると考 えられる。さらに、この資料のゴシック体の記載のとおり、子との関係での父母の責務 を明確化するための規律を設けるのであるとすれば、そういった父母の責務こそが「親責任」や「親義務」に相当するものであるとの考え方もある。このほか、部会のこれま での議論においては、親権者の義務を表す趣旨で「責任」という用語を用いることは民事法上の一般的な責任概念と整合しないことや、親のみに養育の責任や義務を押しつ ける方向に働き、社会による養育支援を阻害しかねないのではないかとの懸念もあったところであり、第30回会議における議論においても、「親権」という用語を「親責任」等に置き換えることに対しては慎重な意見があった。

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