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時には毅然と!暴力は許してはならない!!DVとの闘い👊

今年生まれた稚魚がすっかりお父さん似の彩を遺伝して順調に育っている

最近は稚魚たちも選別して、成長不良の小さいものとか、ひれの形なんかであとは自然の掟に委ねるコース行きもいるけども、ゆくゆくはお父さんズの下の水槽に引っ越し予定の魚たちを飼育中!

金魚飼育1年未満で、割と攻略したかも?と自信あふれる一方で、季節の変わり目には不安を感じるみたい

秋に飼育を始めて、最初はほぼ全滅させてしまった

その秋を迎えるのは初めてである

試行錯誤してきたことは、糧となって、その後に活かせるだろうか

最近の世の中の変化を実感

こんなこともあったしね

ジョージさんの続報!

いろいろとある

全てがよきタイミングで連動して動いている・動かしている

だからきっと、と信じてしまう

フツーの人のフツーの人の共同養育は自ずと普及・浸透するだろうし、反対派も放っておいてくれるはず

だいたいは主流にはなっていくものと思う、フツーは

DV事案に対峙する

っていうことが課題として残っていく

DVというワードは市民権を得て浸透してきたかもしれないけど、本当に闇深くてしんどい

被害者として扱われたい、とか、加害者に自覚してもらいたいために”DV”が持ち出されることだってある

被害者として扱われた上で調子よく暮らしたい、とかもあるのかもしれない

めっちゃしんどい思いをしているのに、シェルター不足等の理由で避難ができないケースもある

父子のためのシェルターは現状ないに等しいわけだし

DVと言ったところで、離婚の成否、その後の生活の立て直しはまた別問題であり、離婚成立を優先するのであれば、DVの認定をあえてしないような解決方法だってありうるわけだ

DVが明らかにあったからこそ、有責性を争うことなく、あっさりと調停で離婚が成立することや、何なら協議離婚を短期でできてしまうことだってある

被害者支援(男女問わず)はもっと手厚くする必要があるし、あまりにも男性被害者が置かれている環境の脆弱さこそ、急速に対応すべき緊急問題に思う

DV加害者が連れ去りをして親権を獲得してしまったあとの悲劇は本当にしんどい

隷属すればまたさらに被害が継続するばかりだったりもする

DVってなんだ!である

しあわせに生きる上では、DVになんて巻き込まれたくないし、被害者にもなりたくない

実際、DV被害者は、あまりにも恥ずかしくて被害を矮小化することもあるらしい

共同養育という聞こえはよくて誘導されることもあるのかもしれない

それで早期離婚ができるなどして救われることもあるとは思う一方で、結局、依存関係が継続してしまう危険だってある

不愉快なものに対するNOを徹底する毅然とした対応が、DVからの脱出には必要なことはある

寛容性はともすれば、NOといって拒まなければならないものまで受容しようと緩んでしまうことと隣り合わせなことにもなりかねない

究極ね、夫婦のこと、男女のことであれば愚かでも惚れてしまったら仕方がない、周りがおかしいなーと思ったところで、本人たちの問題なので、どうしようもなくなることになってしまっても、ある意味だれも介入できない聖域のようなところもある

その夫婦が実は非対等であれば介入していくべき、という発想はあるのだけど、ま、介入しようがないときはある

それでも、その結果子どもに危害を加えてはならないよね、ということで児相が介入することはある


DV受けました!⇒避難⇒でも、戻りたい、ってなったときに、シェルターにいると、戻ったときにシェルターの情報漏洩の危険も懸念するのだろうけど、一応建前としては、DVあって、面前DVもあって、子どもも虐待されていた中で、気が変わって戻ってしまっては、子どもがまた虐待環境におかれかねないという理屈で児相が介入・保護するということがありうるようである

夫婦の子とは大人同士、どうなろうとも自己責任だけども、みすみす、DV虐待の懸念のある環境からは子どもは守らなければならないという発想らしい

あんまり児相周りに携わったことはないけど、いろいろあるのかもしれない

ゆるしがたきを赦すというそれ自体が困難なこともあるけども、赦せばいいってもんでもないということでもある

自分以外の第三者や子どもや社会を守っていけるか

虐待する親と対峙していた側の親なのに、児相に保護された状況がなかなか解消されず家庭復帰に時間がかかる話もあったりする

なぜかっていうと、やっぱり、虐待加害者にある意味加担?助長?不作為という協力?みたいな目で見られるという

いっしょに被害を受けることもあったりしても、というわけである

被害にあったときに、子どもであればだれかが寄り添い助けてもらえるかもしれない

いや、本当は子どもであってもそんなに都合のいいことばかりではないために、より苦しく孤立していくことはあるものだけど

民法を読んでいけば、しんどく思う

権利の上に眠るものを法は救ってくれない

被害者であっても、立ち上がり、法を駆使して行動しなければ救済されない

元々受け身だらけになってしまうように自尊心を傷つけられ、支配されている状態なのに、と

被害に遭うということは、がんじがらめで身動きがとれなくて、まさしく立ちすくんでしまう、心が折れて一歩も動けなくなる、ということが起こっていくのに、まだまだ全然易しくない世の中である

まずは、DV被害者が避難することを躊躇しないように

そして、DV被害者がわが子を連れ去られてしまうことがないように

DV対策の強化こそが共同親権制法整備の目指すところと思う

うっかり忘れるほど長く平穏に悩みのない暮らしに恵まれてきて、全てに寛容だったけど、そういえば、誰とはいわないけど、酒を飲んで、暴言と悪態でキレ散らかしたはてに、酩酊状態で倒れ込んで、何のコミュニケーションもとれなくなったあと、朝になって、何もかも忘れてしまっていて、さらに話にならない、あまりにも不愉快で怒りようもないみたいなことを経験したことがあったことを思い出した

で、1度では済まなかったり

酔うなら飲むな

ものすごく当たり前によいルールとしてまずは周知されるのもよいかもしれない

ひとりで酔いつぶれるのは自由だろうけど

私は弱いから飲まないし、周りにいるお酒好きで飲む人は、酔ってごきげんになるだけだから、決して、酩酊して悪態暴言ということばかりではないのだろうけど

この辺のことも、飲酒文化になじみがなさすぎて、うっかり楽観してしまうけども、宿泊付交流中等、子の監護に責任を持つ間は飲酒等は控える、みたいなルールなんかは、もう当たり前すぎるのだろうけど、もっと前面に確認されるべきことかもしれない

思う以上に、もしかしたら、飲酒文化による分断が子育ての分担を阻んでいるかもしれないとも思ったり

NO飲酒家庭で育つことで無菌室過ぎるのもどうかな、という気もしているけども

楽しくごきげんに生きるオトナの背中を伝えていきたい

しあわせに生きることを子どもに伝えていく

それが親の責務でもあるから、まずは、親も自分で自分をしあわせに導き鍛えていくこと、理不尽な不幸にもめげないなんてことをいつもできるのか、かなりの試練なこともあるけども、きっと、子どもには伝わっていくと思うので

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