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「福島」も「東北」も「震災」も超えて(「写真展 福島、東北 写真家たちが捉えた風土/震災」福島県立博物館、2023年)

現在、福島県立博物館で「写真展 福島、東北 写真家たちが捉えた風土/震災」(以下、「写真展 福島、東北」と略す)を開催している。昨年、東北芸術工科大学 開学30周年記念展「ここに新しい風景を、」を企画・担当した際、「風景」という言葉を象徴的に使ったが、「写真展 福島、東北」のタイトルで用いられている「風土」、「震災」も、私が展覧会を作っていくにあたって大切な要素だった(「風土」は、私が太田市美術館・図書館で「HOME/TOWN」展を企画して以来、ずっと離れない言葉でもある)。そして、展覧会の準備と実施を通して、特に、かんのさゆりさん、西澤諭志さんのふたりから、「東北」という場所で「震災」を考えることの視点・視野をいただいたと思っている。ともに写真家であり、「ここに新しい風景を、」で展示いただいた作品は、すべてがそうだというわけではないが、東日本大震災と不可分の東北の風景を写すものが多く含まれた。

そういうこともあって、「写真展 福島、東北」は、詳細(趣旨や出品作家など)が公開される前からとても楽しみにしていた。本展は、以下の二部から構成されている。

第1部「東北−風土・人・くらし」
出品作家:千葉禎介、小島一郎、芳賀日出男、内藤正敏、大島洋、林明輝、田附勝、仙台コレクション、津田直、畠山直哉

第2部「福島−3人が捉えた震災後」
出品作家:岩根愛、岩波友紀、村越としや

第1部は、東日本大震災後の2012年春、国際交流基金によって行われ、その後世界43か国74会場で開催された東北をテーマとする写真展「東北−風土・人・くらし」展の出品作品で、2021年、国際交流基金から福島県立博物館へ寄贈された作品。その10作家123点から一部が展示されている。国際交流基金から展覧会の協力を依頼された写真評論家の飯沢耕太郎氏は、その内容についてこう述べている。

どのような写真展にするのかということで、まず考えたのは「震災前」の写真に絞るということだった。先に述べたように「震災後」の写真は既に数多く出回っている。逆に東北地方の「風土・人・くらし」を理解していただくためには、歴史を遡る必要があるだろう。そのため、戦前の1940年代を含めて、戦後すぐから高度経済成長期に撮影された写真を積極的に取り上げることにした。それに現代写真家たちによる1990年代以降に撮影された写真を加えることで、多面的な東北像を立体的に跡づけようと考えた。

飯沢耕太郎「「東北−風土・人・くらし」展で伝えたかったこと」『写真展 福島、東北 写真家たちが捉えた風土/震災』福島県立博物館、2023年1月、p.3

「写真展 福島、東北」は、この「震災前」の第1部に、「震災後」に福島県を拠点に活動する3人の写真家(岩根愛、岩波友紀、村越としや)の仕事を第2部として位置づけることで、震災を結節点にしながら、東北という場所のいわば特性を、「写真」というメディアによる作品群を通して前景化することを目的に企画されたものだと私は解釈している。

ではその「東北という場所のいわば特性」とは何か/それを福島県立博物館としてはどう考えているのか、ということが、展示構成にあらわれている。私は、1月28日(土)、29日(日)と2日続けて展覧会を見て、2日目にそのことに気がついた、というか、そういうことだったのか!、と思ったことをこれから書く。というのは、1日目は、第1部・震災前/第2部・震災後という展覧会のおおきな構造にばかり目が向いてしまい、全体の構成にまで気持ちがいたらなかった。全体の構成とはつまり、空間に対してどのように作品を配置するかということを観客の動線も含めて考えるということである。そして、「写真展 福島、東北」は、この構成こそが肝になっている。

福島県立博物館に入館し、受付を済ませ、企画展示室に入る。正面の壁には展覧会の「ごあいさつ」と、概要・イベントが紹介されたパネルが2点掲げられている。対して、動線上、作品が展示されているのはその右手の空間だ。だから、観客は「ごあいさつ」から体をくるりと右へ向ける。すると、その右手の壁面には林明輝さんによる東北の(雄大な)自然をモチーフとする写真が、正面の壁面には内藤正敏さんによる御沢仏をはじめとする出羽三山で撮られた写真が、そして左手の壁面には芳賀日出男さんによる東北の祭事をモチーフとする写真がある。

私は、この展示の意図に昨日はまるで気がつかなかった。どういうことかというと、観客は、まず、人を中心とするのではない世界を目の当たりにするということだ。それは自然であり、神仏であり、そのための祭事である。この世界は、私たち人間だけで形作られているのではない。「写真展 福島、東北」は、そういう視点の提供からはじまっている。
飯沢耕太郎氏は、先の文章に続けてこうも書いていた。

もう一つ常に心に留めていたのは、縄文時代の精神性が東北地方の「風土・人・くらし」にどのように受け継がれ、影響を及ぼしているかを、写真を通して検証するということである。

飯沢耕太郎「「東北−風土・人・くらし」展で伝えたかったこと」『写真展 福島、東北 写真家たちが捉えた風土/震災』福島県立博物館、2023年1月、p.3

第1部の出品作品のテーマは、自然、信仰、祭事、生活、風景、肖像など多岐にわたる。これは、それらのうちのどの作品(群)を展覧会の入り口にするかによって、展覧会が投げかけるメッセージが変化しえるということでもある。

初見では思いいたらなかったため説得力に欠けるが、この視点を持つと、いかにこの展覧会が明確な意図を持って形作られているかがわかる。すなわち、第1部では、人以外の世界を導入としたのち(芳賀日出男、内藤正敏、林明輝)、人の生活や人そのものの肖像へと続き(千葉禎介、小島一郎、大島洋、田附勝)、一転、俯瞰するかのごとき風景へといたる(仙台コレクション、津田直、畠山直哉)。さらに津田さんの作品は、震災の2011年3月11日の直前に撮られたという写真を一部含み、その写真の持つ時間は、「震災後」の第2部へとゆるやかにつながっていく。

第2部冒頭の岩根愛さんは、両面からなる作品を天井から吊り下げて展示をしていて、まず視界に入る面は一様に桜、けれども裏面に回り込んでみるとそこには桜の咲き誇るなかで何がしかの祭礼を行っている異形のものたちの姿が見える。神さまと人の間にいるかのようなそれらの存在を、岩根さんは、作品/展示においていきなり見せようとしない。村越としやさんの作品は、一面ガラス張りの展示ケースを用いるもので、そこには、作品のほか、実家の敷地から出土したという土器や、ご自身の履き潰された同じ種類のスニーカーも展示されている。福島のどこかを被写体とする額装された作品の一部は、壁に対して複数重ねて立てかけられ、その写し出されたイメージの全貌を観客は見ることができない。本展での「震災後」の光景としては、3人のうち最もストレートであると思われる岩波友紀さんの作品が写しとるのは、震災によって文字通り変貌を余儀なくされた町における祭礼・民俗芸能の今日における様相である。現実における喪失があり、けれどもその上でなお行われている人の営みがあり、カメラに対してまっすぐに視線を投げかける人の姿が印象的で忘れがたい。

「人を中心とするのではない世界」から始まった展覧会は、人以外の世界へと行きつ戻りつ、それでもそのなかで生きるほかない人の姿によって終わる、と言っていい。ままならなさを抱えながら、それでもペシミズムではなく、この世界をしっかり見つめようと試みることからはじめること。書きながら、その難しさを思う。なぜならこの世界には見つめたくないものもあるから。けれども、それでも、「写真展 福島、東北」は、タイトルとしている「福島」も「東北」も「震災」も超えて、そういう射程をもち、困難に対してそれでも希望をかけようとする展覧会として作られているのではないか。展覧会を見た人と、いろんな話をしてみたい。


「写真展 福島、東北 写真家たちが捉えた風土/震災」
会期:2023年1月21日(土)~3月19日(日)9:30-17:00
休館日:月曜日、2月24日(金)
会場:福島県立博物館 企画展示室
   〒965-0807 福島県会津若松市城東町1-25
https://general-museum.fcs.ed.jp/page_exhibition/special/2023winter

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