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三連姫・45

 部屋の入り口から、
「貴矢坊ちゃま、昴さんはお目覚めで?」
 ひょこっと顔を出したのは、化粧っ気のない五十歳代と思しき女性だ。色黒の福々しい顔で、着ている色褪せたサマーニットは長年大事に着てきたことがうかがえる。自分の外見を磨くことに余念のない鼓村の女性の中では珍しく、素朴な雰囲気の持ち主だ。彼女は岩谷多恵《いわやたえ》と言い、境内に数棟ある鐘乃井家の各邸宅の管理と(そう、昴が居候することになったこの家もなんと貴矢専用の一軒家だ)、家事一切を取り仕切っているそうである。
「おやつ、いかがですか。いただきもののさくらんぼでゼリーを作ったんですよ」
 多恵の言葉に貴矢は破顔し、
「昴、多恵さんの料理はどれも絶品だよ。この夏の間だけでも毎食食べられることを幸運に思うといい。俺は多恵さんのご飯でここまで育ったんだぜ」
 と、人好きのするその笑顔が「守る会」の面々の前で見せた時と同様の仮面なのか、あるいは心からのものなのか、昴にはまだわかりかねる。
 多恵は、
「貴矢坊ちゃまがご立派に成長されたのは、ひとえに坊ちゃまの持って生まれた素質のおかげでございますよ」
 と言ったが、目じりにしわを寄せ、にこにこうれしそうだ。
 この多恵という女性について、昴は村に住んでいる間、見かけた覚えがなかった。だが生まれも育ちも鼓村だそうである。聞けば多恵は、三連神社で奉公するようになった五十年前から、一度も三連神社のある御籠山を下りず、人前にほとんど出ることがなかったという。驚いた昴に、多恵に代わって貴矢が理由を話してくれた。
「覚えているかな、俺の祖母のこと。村の皆には『千代巫女《ちよみこ》』と呼ばれていた」
 昴の脳裏によみがえったのは、枯れ木のように細く、皺だらけの巫女姿の女性だ。鐘乃井千代《かねのいちよ》。三連姫降臨後まもなく身罷った。かつての三連神社は朽ちた拝殿、雑草で荒れた境内の寂れた古社だったが、千代巫女はその神社のたたずまいがそのまま人間になったような雰囲気の人だった。寂れていても、神社に参る人は細々ながら途切れなかった。なぜなら千代巫女には霊能力があると信じられていたからだ。そも鼓村一帯は、昔から託宣や口寄せを行なう巫女の集落があったという。三連神社にも代々能力を持った巫女がいて、人々の相談にのっていた。考えてみれば、鼓村の人たちには元来、常人の感得できない世界への親和性が備わっていたと言えるのかもしれない。だからこそ、この村に起きている信じがたい奇跡の数々も抵抗なく受け入れることができるのではないだろうか。
「で、私は千代巫女様の弟子として十五の時に奉公に上がったんです」
 と、多恵は居間でお茶を入れながら言った。
「奉公にあたり、千代巫女様は私に御山から降りると能力を失う呪をおかけになり、俗世間とは一切縁を断ち、陰となって女神に仕えよと命ぜられました。だから私は、神社の境内から出てはならないんです。大事なおつとめが果たせなくなりますから」
 ゼリーに舌鼓を打っていた昴は手を止め、
「千代巫女様の弟子ってことは、多恵さんにも不思議な力が?」
 多恵はうなずき、
「千代様ほどではありませんがね。昔からこの鼓村近辺では、霊能をもつ人間が不思議と連綿と現れてはおりました。有り余るほど偉大な三連姫の霊力が地上の人間に降りそそぐためと言い伝わっています。多恵のこの力も、三連姫からお預かりしたものなんですよ。今は生き神様となられた三連姫様のおそばで仕え、地上で姫様をお支えするためにね」
 多恵は目じりの皺を深めた。貴矢は多恵の入れた茶をすすりながら穏やかに彼女に微笑みかけ、
「多恵さんこそ、この三連神社の縁の下の力持ちだよ。あなたがいなければこの神社はもたなかっただろうし、生き神になった三連姫もあなたの支えなしではこの十年つとめを続けることはできなかった。三連姫からの信が一番篤いのも当然だね」
 昴は感銘を覚えた。神社の人間の中で誰よりも神を篤く信じ、心から神に仕えていると見受けられるのは、どうやらこの飾り気のない女性だけのようである。特別な能力を持っているのにちっとも偉ぶらず、長年黒子に徹して。しかも他の鼓村の人間のように、三連姫の御力で若返りを求めたり、外見を取り繕ったりすることもない。
 昴の視線に気づいた多恵が微笑みかけてきた。昴も笑み返しながら、今度折を見て聞いてみようかと思った。享楽の都と化して久しいこの鼓村の現状と行く末について、ご利益の大盤振る舞いをする三連姫の思惑について、多恵は山にいながらどう見てきたのか。(続く)

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聖地を好みます。聖地とは、神社やお寺、美味しいもの、海や山や花々、可愛い動物たちなどのことです。不思議な話も大好き。ひそかに物語を創作したり、タロットを勉強し始めたり、しています。 twitterアカウント→@koganenamiyoru

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山の中にある集落、鼓村(つづみむら)。そこには三連姫(みづらひめ)という生き神がいて、村民に尽きぬ富と永遠の命を与えている。その神秘の村に久しぶりに帰郷することになった木花昴(きばなすばる)。彼の身に災難が降りかかる……。

コメント (2)
お疲れ様ですm(_ _)m
鐘乃井千代さんと三連神社の風景の印象が重なって、髪が枯れた蔓のようになったり、肌が古い木の幹のようになって、その人が深い森の奥の社殿にいる描写が天才的に美しいです!!無理せずに頑張ってください!
水浦詞葉さま、いつもありがとうございます! 情景を浮かべながら読んでいただけたことに、今、とても感激しています…!本当にありがとうございます。書き続けるエネルギーをいただきました。更新は、以前のように1週間に一回は、ちょっと難しくなってしまったのですが、この物語はいつも私の日常とともにあります。鋭意執筆してまいります。これからもどうぞよろしくお願いいたします(*^^*)
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