音楽の分かれ道
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音楽の分かれ道

 お彼岸の墓参り。とくに風の強い日で、山上のお墓に辿り着くまでに車は砂埃にまみれてしまった。

 道行く先々では、晴天に映える春の草木と花々が目を楽しませてくれる。桜、こぶし、菜の花。春先になると自分の音大入学を思い出すことが増えて、歳を重ねているな・・・と感じる。

「きみは中くらいの成績で受かっていたよ」
亡き和声学の師・山口博史先生に電話で音大合格のご報告をしたときに(入学前に師事していた。受験学部の教授だったので結果は当然ご存知で)先生はそう仰った。心のなかで「まあそうだよね」で納得したような不勉強で不出来な弟子が僕だ。

 幼い頃からひとりでピアノに向き合う以外の音楽の在り方(形式)を考えなかった(はっきりいえばあまり興味が・・・)ので、中学も高校も音楽に関するクラブには属さなかった。
 小学校のマーチングでは、グロッケンシュピールをなんだか知らずに「名前がカッコいいから」という理由だけで第1希望に選んで先生や親を驚かせ、落胆させてしまったことがあるし(小学校では"音楽ができる児童"で通っていたが、グロッケンいいじゃないかと今でもとても推す自分)、中学も高校も音楽の授業に一層身を入れて勉強したわけでもなかった。

 両親ともに音楽の先生、講師だったから、音楽の習い事は必然といえるが、ピアノにはいつでも向き合っていたいほどの熱意はなかった(でも僕が習ったピアノの先生には本当にお世話になり、あらゆる場面において心を救ってくださった)。

 ピアノは早々に辞めて美大へ進学した兄は祖父の強い血統。趣味だが達者な絵描きだった祖父は、90歳になっても年賀状に鮮やかな赤富士を一枚々々丁寧に描いていたほど。

 祖父には僕がどんな作品の書き手なのかを伝えていなかったので、今日は報告のつもりで墓参り。三回忌以来だろうか。

 会者定離。生前の師にも祖父にも、僕がどんなふうに音楽を続けているかを報せられなかった。なにも成せぬ自分・・・というより、なにも"せぬまま"過ごしてきてしまった自分を悔いた。

 音楽の活動も仕事も、一層身を引き締めて勉強も再開したのは大学院を出たつい最近のことだ(余談だが、買ったきりだった『勉強の哲学~来たるべきバカのために/千葉雅也著』を読みはじめて、ああまさにコレ状態とうんうん頷く自分)。
 それでも悩みは尽きない。そもそも理不尽なことも多い音楽界隈で、暮らし難いこの世の中で芸術家としての矜恃をどのように示して生きるのか。

 ぼんやりと考えながら水桶に水を汲んでいたら母が線香を片手にやってきて「今、あなたの隣で水を汲んでいた方は、県のピアノコンクールで毎回司会をされてるよね」と言った。えっそうだった? と向こう側へ去るその方へ振り向く間に、母は声を掛けていた。僕がコンクール本選に出られたのはもう20年程前で、それだけの結果なのだけれど。母は「息子は作曲家になったんです」と話して爽やかに笑んだ。
 作曲を期待に沿って書かない/やらない/名乗らないような突っ張りポリシーの息子を"作曲家"と紹介する母。こんなスタンスでやっていることも認めてくれているありがたみを噛みしめて、前向きな気持ちを抱いた。

 そして、田舎の偶然の出会いにも、音楽との繋がりを感じて少し楽しくなった。

 向かい風におされようが、砂埃をかぶろうが、ひたすらやる。苦しくなったときに程々にサボる(それはすごく得意)。一進一退の人生も慣れれば悪くない。
 いい年のこんな孫だけどね、笑いながらでも応援してくれたら嬉しい。そうこころで唱えて、お墓に手を合わせた。

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