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絶滅危惧種としての香道具~香道具ファンドNo.6「班車」~

もう20年ほど前のある日、女優の深津絵里さんがふらっと香雅堂に立ち寄られ、銀製の香立てに関心を寄せて下さいました。
そして「この美しいデザインは、いったい何を表わしているのですか?」と尋ねられました。
「いわゆる『源氏香図』を模(かたど)ったものです」と答え、次のような説明をさせて戴きました。

—香道で最も大切なことは「香木の香気を深く味わい、香味を知ること」と言われています。
その修練の一つとして、複数種類の香木を使用してゲームを行ない、それぞれの香りの違いを答えさせて正解と照らし合わせ採点する「組香(くみこう)」と呼ばれる聞香方式が考え出されました。
数百種類ある組香は、和歌など文学作品に主題・発想を得たものが多く、中でもひときわ存在感を放つ一例として挙げられるのが源氏物語をテーマとした「源氏香」です。
源氏香は5種類の香木をそれぞれ5包ずつ用意し、計25包をよく交ぜてから任意に5包を取り出し、それらを順に炷き出して、何番目と何番目とが同じ香りだったか、あるいは違う香りだったかを答えさせる、ゲーム形式の稽古です。
最初の香を聞き終えたら縦線を1本引き、2番目を聞き終えたら2本目の線を引き、それらが同じ香りだったと感じたら、2本の線の頭を横線で繋ぎます。
3番目の香木も同じ香りだと感じたら、3番目の縦線の頭も繋ぎます。
違うと判断すれば、三本目の縦線は独立したままにしておきます。
そのようにして5番目までの全ての香木を聞き終えて、答えを図形に表わした結果が、いわゆる「源氏香図」となります。

正解の可能性は5×5の順列組み合わせで52通りとなり、それぞれには源氏物語54帖から「桐壷」と「夢浮橋」とを除いた52帖の巻名を当て嵌めてあります。
組香の列席者(連衆と言います)は、自分の作り出した回答(図形)がどの巻名に該当するかを、席中に広げられている源氏香図帖から探し出して、その巻名を回答用紙に明記して提出します。

説明を聞いて益々興味津津の深津さんは、どうしても源氏香を体験したいと申し出られ、当時から定例で開催していた体験香席に参加され、香道という日本特有の香りの文化に大いに感動し、よき理解者になって下さいました。
とても聡明な方と感心していた筆者は、淡交社さんが『香りと遊ぶ』と題したムック本を企画して協力を要請された際に、大胆にも深津さんに登場していただこうと思い付き、お願いしたところ快諾していただきました。
おかげ様で『深津絵里さんの1日香道入門—優美なり宮人のごとく』と題し、志野流香道御当代御家元蜂谷宗玄宗匠にお出まし戴き京都東山銀閣寺でご指導を賜わるとともに、対談まで行なって戴きました。
深津さんは香木を味わう文化の素晴らしさを良く理解され、積極的にリードして御家元のお話を引き出して下さり、驚くと共に感謝した次第です。
今回の原稿を書く際にたまたま思い出したエピソードですが、とても懐かしく、思い出せて良かったと喜んでいます。

いきなり話が横道に逸れたようで恐縮ですが、実はそうでもなく…
源氏香を行なうには源氏香図帖が必要不可欠なのですが、52通りの幾何学模様を正確に図帖に描き表わすのは至難の作業です。
では古人はどのような工夫を編み出したのかと申しますと、なんと、「ハンコ」を作ったのでした。
52個のハンコであれば感動もさほどでは無いのですが、圧巻は、十種香箱の皆具の一つとして納めることが可能なサイズ(本体は約3.5㎝の立方体)に作られた「班車(はんじゃ)」と名付けられた香道具です。

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本体は、A.銀製の細い棒で貫かれた5枚の板と、B.補助用の2枚とで構成されます。

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Aを別の角度から撮影してみました。

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Aを広げてみました。単なる長四角ではなく、適宜に切り取ってあるのが
お分かりいただけるでしょうか?

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5種類の香木が全て同じ香りだった場合の図形(「手習」に該当)を作ってみました。Aの上にBの1枚が乗って、5本の頭を繋いでいます。

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3番目と5番目が同じで、他は別々の香りだった場合の図形(「乙女」に該当)です。

これは、博物館等でも見ることが出来ない(少なくとも筆者は見たことが無い)、とても珍しい香道具です。
初めてその存在を知ったのは、あるお方から十種香箱皆具の調製を依頼された際に、見本としてお預け下さった本歌すなわち志野流香道第十八代御家元蜂谷宗致(頑魯庵)宗匠在判の皆具に納められていたからでした。
志野流香道の十種香箱は内容品が極めて厳格に規定されており、一部でも寸法が違ってしまうと、全てを納めることが不可能になる精緻なもので、何処に何をどのように入れるかが、精巧な図面に描き伝えられています。
それらを一つ一つ研究しながら本歌の写しを調製する作業は苦労の連続で、また楽しくもありましたが、職人さん泣かせという点では、足利義政好と伝えられる「前に亀一匹後ろに亀二匹を薄肉彫りに、登り亀の耳付き」の火道具建もさることながら、「班車」が最たるものだったと記憶しています。
薄肉彫りの技術はまだ江戸銀器の職人さんに残されていて、図柄さえ指定すれば再現が可能だったのですが、「班車」は誰も存在を知らず、作った経験も無かったからです。

指物師さんが苦労を重ね、多くの失敗作を生みだしてしまった要因は、「どのように回して組み合わせを変えても、必ず全ての線に朱肉がつき、用紙に押せなければならない」という制約があるからでした。
5枚の板の重心を正しく貫くことが、簡単そうでいて、実はとても難しい工程だったからです。
通常は見ることが無い稀少な香道具ですが、そんなわけで十種香箱皆具の写しを調製する機会に、職人さんが試行錯誤の結果、複数を作り上げてくれたものです。
(木地は黒檀製、止め金具及び朱肉入れは銀製)
(なお「班車」という表記の出典が思い出せず、明記することが出来ないことをお詫び申し上げます)

班車の商品ページはこちらから
https://kogado.stores.jp/items/603f43182438600fd5c73758

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※このnoteは、麻布 香雅堂が運営する「香道具ファンド」の関連商品を紹介しています。香道具ファンドについて、詳しくは以下noteを恐れ入りますがご覧ください。
『絶滅危惧種としての香道具』https://note.com/okopeople/n/nbb7b6aab65ef

香道具ファンドの対象商品は、毎月【第一土曜日】頃に、弊社オンラインショップKOGADO STORE内にて公開(その7日後に販売)します。少しずつ種類を増やしていきますので、どうぞお楽しみに!


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