見出し画像

一筋縄でいかないのは 他人ではなく私でした

(タイトルは直枉会「直枉カレンダー」より)

他人に向かっては「あの人はいい人、この人は悪い人」とすぐ裁いてしまう私。

梯實圓和上は、「他人には、あの人はお浄土ゆき、この人は地獄ゆきだと裁くでしょう、じゃあその裁いている自分はどうか。
自分は地獄でも浄土でもない、それを判定する判定者になっている。そういう人はお浄土の外側にいる人です。」と戒められました。

仏法を人を裁く道具にしてはいけない、仏法は、他人を裁くためにあるのではなく、自分の身に聞いてこそなのです。
自分の身に仏法を聞くとき、私こそ一筋縄ではいかない、地獄に向かった生き方をしていたと、ようやく自分の姿が実感されてきます。
そのとき初めて仏法がこの身に活きてくるのです。

「救われないものを救う」と仰るアミダさまの眼差しの先にあるのは、よその悪人ではなく、私だったのです。
一筋縄でいかない私の愚かさと、その私に想いをかけてくださるアミダさまのお慈悲の深さに、頭をさげざるをえない思いです。


いいなと思ったら応援しよう!