アタック25 最後の挑戦その1

こんにちは。

大概、こういう文章というのは、書き出さないと、いつまでも書き始めないものです。

どこから書こうか。迷いました。

「僕は宮崎市の王丸病院という小さな病院で生まれ、幼稚園ではいつも泣き虫で…」
これでは書き終わりません(笑)。0歳からはいくらなんでも長すぎます。アタックにたどり着く前に、挫折する予感しかしません。

「僕が初めて『アタック25』を知ったのは6歳の頃だった。宮崎県串間市に引っ越したことで、鹿児島のテレビ放送を受信したのだ。そこで、アメリカ横断ウルトラクイズが毎年あることや、高校生クイズが(当時)年に2回あることを知った。」
これも書き終わりません(笑)。この後、ウルトラクイズの話をするニオイがプンプンします。

「僕は14歳の頃、初めて『アタック25』の予選を受けた。中学生大会。予選の第1問は『岩崎恭子』だった」
この中ではまだマシです。ただ、間違いなくクイズの半生を綴りそうなのは自分でも分かります。今回の予選にも出た「西矢椛」と絡めて、余計な脇道に入り、余談ばかりになりそうなことは、僕のことを知っている皆さんは容易に想像がつくでしょう。

そんなわけで、以下が正式な書き出しとなります。


アタック25最終回の概要を知ったのは、ひょんなことからだった。僕もひょんなことから参加している『○○する芸能ちゃん』というYouTubeチャンネルの生配信後、メンバーから最終回について、つまり「歴代チャンピオンのみの応募」というコンセプトを教えてもらったのだ。もうエントリー締め切りまでほんの数日だった気がする。おお、それならちょっぴり出たい。

何となく気は重たかったが(なにせ解答者としてのブランクがハンパない)、導かれるように僕はエントリーした。
僕は『アタック』に育てていただいたと言っても過言ではない。記念受験をしよう。いわゆる思い出作りや話のタネの記念受験ではなく、本当の意味での「記念受験」だ。

かくして、僕は予選を受けた。

東日本予選の当日。僕は筆記試験を通った。面接試験もなんとか通った。そして、9月に入った頃、電話が鳴った。奇しくもテレビ朝日の廊下だった。「大阪06」で始まる番号だ。震える手で電話を取った。果たして、それはファイナリストに選ばれた電話だった。

(予選会の話、飛ばすんかい!!(笑)冒頭を消せや!!(笑)まあ予選での話は、おいおい挿入話として書きますね)

次回、本番までの2週間!

勉強したことを主に書きます。乞うご期待!

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