日本映画に見る1960年代のパーカー事情
こんばんは。
今回は映画の内容の話ではなく、1960年代のパーカー事情です。
現時点でわかったことを書きました。
それではスタート!
「星よ嘆くな 勝利の男」(1967)
▪️配給:日活
▪️形式/時間:97分
▪️監督:舛田利雄
▪️キャスト:渡哲也、二谷英明、浅丘ルリ子
石原裕次郎主演の「勝利者」(1957)のリメイク作品。
今回、映画の感想を書く前に、渡哲也がパーカーを着ているシーンについて書いていたら、長くなってしまい、急遽、1記事まるまるパーカーの話にしました 笑。
パーカーの歴史
スウェットパーカーの歴史を調べると、
(↓長くなるので簡単に書きました。)
1930年代にChampion(チャンピオン)が初めてパーカーを作ったとのこと。
で、パーカーが広く認知されたのは1970年代です。ヒップホップシーンや映画「ロッキー」で着用されたことがきっかけ。カレッジファッションとしても着られていました。
↑は海外の話で、日本はどうだったのか。
では、次の項からは日本でのパーカー事情を探っていきます。
【60年代のパーカー事情①】トレーニングウェア
トレーニングのシーンを観ていたら、一瞬ですが、渡哲也がグレーのパーカーを着ていました。
(60年代の映画でパーカーが出てくること自体、珍しい)
パーカーが広く知れ渡るきっかけとなったとされる、
「ロッキー」(1976)でもトレーニングウェア
としてグレーのパーカーが登場しています。
【60年代のパーカー事情②】海で着るもの
他にも海でパーカーを着用しているシーンをたまに見かけます。
日焼けや冷えを防ぐために着ているのだと思われます。
あとは、ヨットパーカーを着ているのも見かけたことがあります。
(↓一瞬です 笑。数秒だけ映ります。)
船で作業するときに着るナイロンパーカーです。
ヨットパーカーは「あの娘と僕 スイム・スイム・スイム」(1965)でも登場します。
【60年代のパーカー事情③】普段着
わたしが、60年代の映画で、スウェットパーカーが普段着として使われてるのを観たのは(現時点で)↓の作品のみです。
(↓スウェットではなくパイル地ですが)
なので、かなり珍しいと思います。
あとは、「夜の牙」(1958)のポスターで、浅丘ルリ子がボーダーのパーカーらしき服を着ています。
が、このような衣装は劇中に登場しません。
1950-60年代、日本映画が大量に作られた時代。予告編やポスター、スチル写真が先行して作られることもよくあったようで、写真に載ってる衣装が実際、作品に登場しないことはザラにあります。
(「夜の牙」は浅丘ルリ子の衣装がけっこう凝ってたので、パーカーが出てきても驚きはありません。)
まとめ
60年代日本のパーカー事情のまとめです。
✔︎50~60年代の日本映画でパーカーが出てくること自体レア。70年代の映画でもあまり見かけない
・
✔︎トレーニングウェアや海で着るものとして登場することがある
・
✔︎日常着としてパーカーが出てきたのは「ザ・スパイダースのゴーゴー向う見ず作戦」(1967)しか確認できていない(2020年5月3日時点のわたしの鑑賞記録の中で)
映画を観るかぎり、60年代の日本では、パーカーが日常着として定着していなかったと言えます。
また新たな事実がわかったら、報告します。
ではまた次の更新で。
🔽映画とは関係ないファッション誌やモデルを観察したブログも書いています。
【参考文献】
✔︎History of The Hoodie / Hooded Sweatshirt | SANVT
https://sanvt.com/journal/history-of-the-hoodie/