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【代表理事の独り言】「育て合う・育ちあう」子育て観は、「善くありたい」という前提がある事で成り立つ

 人間は社会的な生き物で、育つ中で大なり小なり何かしらのコミュニティに所属しながら生きている。

 私は、血縁的な子育て観が身近な環境で育っており、以前の記事で自分自身が幼少期から関わっていた「血縁的な子育て観」の中で、「育て合う・育ちあう」子育て観が大切であると述べた。

 ただこれは、血縁的な子育てが上手くいった場合に見えてくる価値である。「育て合う・育ちあう」を実現する為には、もう一つ根底として大切な価値観がある。それは、「善くありたい」という価値観である。

 所属するコミュニティの中で「善くありたい」と考えていない人が少しでもいると「育て合う・育ちあう」が上手く機能しなくなる。それこそ血縁的な子育てでも嫁姑問題みたいなものがあると「育て合う・育ちあう」が全く機能しなくなる。

 こう考えると「善くあり続けなくてはならない。」ようにも感じる。「善くあり続ける」のは疲れてしまう。と思う方もいるかも知れない。というよりそう思う方は多いと思う。

 私も「善くあり続ける」必要はないと考えている。でも、「善くありたい」という気持ちを心のどこかに持ち続ける事は必要だと思う。そんな人たちが集まるコミュティであれば、自分自身に余裕がない時は他の誰かが余裕が無い気持ちを受け止めようとしてくれる。そうすると、今度は自分自身が余裕がある時は他の人の気持ちを温かく受け止めようとする。その前提があり、それぞれの関係性が出来上がる中で、「育て合う・育ちあう」という子育て観が実現していく土台がはじめてできるのはないだろうか。

 そんな子育て・若者支援コミュニティを私達は創っていきたい。

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