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1人酒場飯ーその33「東京の秋田、心のオアシス」

 今ではすっかり商店街の蜘蛛の巣は珍しくなった。

 だが、幾重の名のついた通りが張り巡らされたその地は懐かしさと下町の空気が交じり合ったレトロが活き付いている北区エリア。

 赤羽も、板橋もいいが僕にとって北区の一番馴染みがあるエリアは十条だ。

 静かに根付いた歴史と人情を辿り、アーケードをくぐる。

 アーケードを抜けて、迷い込んだ某通りをゆったりと歩きながら、今を生きる個人商店を眺めていく。何気なくとも日常がそこにはある。

 何かに誘われるようにアーケードの迷路に再び迷い込み、駅の方へと戻っていく。

 そして、アーケードと商店街を区切る踏切を越え、演芸場通りへと足を踏み入れる。

そこから1分ほどで僕が東京で一番落ち着ける店が見えてくる。

学生時代から東京の雑踏砂漠の人波から逃れるように何度も足を運んだ店。

 生まれ故郷に戻っても、度々東京へ店を探しに来た時に何となく足を運んでしまう店。

赤提灯に縄暖簾、十条駅前に生まれ故郷の東北の味がある。

眩くもしっとりとした光に誘われるまま、縄暖簾と暖簾の二重構えをくぐるとコの字カウンターと井草香る畳の小上がりが待ち構えている。

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ここは昭和のコの字酒場「田や」。

東北出身の僕にとって味覚がぴたりとハマる故郷のようなお店だ。

圧巻なのはそのメニュー数。

 コの字カウンター側の壁、小上がりの壁にびっしりと敷き詰められた短冊と黒板メニューの数々、情報が四方八方から攻めてくる。

 どれを頼むか、誰でも悩むことは間違いないだろう。僕でも一部しか食べていないだけに気になるものも多い。

品揃えを見ればわかるが実に秋田の郷土料理が多い。

東京でセリの根まで出してくれるきりたんぽを出す店はここぐらいしかないような気がする。

セリは脇役のイメージが強いが根は歯応えと大地の力強さを持ち合わせている隠れたごちそうだ。

本場のきりたんぽを崩しながら、強めの醤油出汁と食べる美味さは目から鱗が落ちる。

だが、1人の時は中ジョッキの生ビールでお通し3品をじっくりと楽しむのが筋だ。しかし、中ジョッキというくせして普通に大ジョッキ以上なのはどうなのか。

野暮か。野暮だな。グッと力強い発泡と時折で変わるつまみを楽しもうか。

さて、大体僕はコの字カウンターでも店の入り口に丁度背を向ける場所に座ることが多い。なんとなく全体を見渡せるこの席は人間模様を観察できるかのような、小噺を作りたがっている落語家のような気分になれる。

なかなか面白いものだ、こういう俯瞰で見ていると。十条の秋田にあらゆる年代が集い、多種多彩な模様を描く。それでも僕がやるのは人間観察ではなくて、1人飯なのだがこの空間が心地よい。近すぎず、遠すぎず。

お通しを平らげたら僕が毎回頼むものがある。『サバの燻製』だ。

これがまたいい飴色なんだ。見事に燻製にされた塩サバの塩っけとサバの脂のバランスに加え奥深い燻製の味が加われば向かうところ敵なしだ。最初食べた時はあまりの美味さにリクエストしてしまったぐらいの味わい深さよ。

次は秋田らしい「こぶ」を紹介しよう。

これは秋田ではポピュラーな山菜の一種だが、癖がなくシャキッとした噛み応えとジュンサイのようなとろみを併せ持つ珍しいものだ。かなり珍しい一品なので是非とも味わっていただきたい。

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いずし、とんぶりしらす、カキフライ。幅の広い居酒屋メニューを摘まみながら、箸休めに甘い卵焼きを食べる。甘い卵焼きってどうして身に染みるんだろう。

秋田イン十条の1人飯、田やの締めは毎回決めている。「稲庭うどん」をバターで絡めた裏メニュー「稲庭バター」だ。

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稲庭うどんとバター、未知の組み合わせ。ネギの入ったシンプルな稲庭うどんをかき混ぜると溶けたバターが絡まっていく。かなり名前だけでもインパクトがあるのだがその味もまたインパクトに満ちている。

 稲庭うどんの喉越しを活かした濃厚な味わいは和風カルボナーラと言っては過言でもないまろやかさと濃厚さ。これがまたするする入ってしまう恐ろしさ。ノックアウト、KO負けは確定だ。

カウンター越しに伝わってくる温かい東北の空気と何処か穏やかなお客の顔を見て、遠い故郷を感じている人も多いのではないだろうか。

縄暖簾から暖簾を潜り、商店街の蜘蛛の巣へ出ていく。ぼんやりと後ろを照らす灯りは心に灯る郷里の光のようだった。

大衆割烹 田や
住所 東京都北区十条2-22-2
お問い合わせ番号 03-3909-1881
定休日 月曜日、時折火曜日連休もあり
営業時間 16時~24時


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