自己消失 ~私の価値はおいくらですか?~

現代の日本人は、まさに消費物とイコールの存在なのではないのだろうか。
そして、消費された後に、いつの間にか消えてなくなってしまうのではないだろうか。
そんな不安を感じる事がある。


 現在、人は、自分たちの身体を自由に操作出来るものだと思い、ダイエットや、筋肉トレーニング、 プチ整形等で他者の目に映るセルフイメージを操作しようとしている。 また、年齢を重ねる事に怯え、染みとり、皺取りのようなアンチエイジングの作業に余念がない。とにかく、私たちは、時が経つと劣化する生身の体ではなく、永遠に劣化しない「キャラクター」である事を望んでいるかのようである。 現代人は、生きているとも死んでいるとも言えない、キャラクターの身体を渇望している。 また、私たち現代人は、身体感覚だけでなく、その意識もキャラクター化しようとしている。 確固たるアイデンティティを持ち得ないと思う事に何か漠然とした不安を抱えた人達は、コミュニティの中で自分に他者と違う「キャラ」という情報を与え、自己をキャラクター化する事によって、自己のアイデンティティを確立させようとし、 また、自分の属するコミュニティでの関係を円滑に保つ 為に、自分をキャラ化させる事によって、セルフイメージをもっと操作しやすいものにしようとしている。
 これらの、自身のキャラクター化は、現代の社会に浸透しつつある。
先日の、アメリカ大統領選挙の、バイデン氏とトランプ氏の戦いの様子も、双方ともに自身を分かりやすくキャラクター化し、民衆へアピールをしている姿が、まるで戯画を見ているかのようだった。
 キャラクターは、私たちにとても馴染みの深い存在である。街に出れば、想像が創造した、生命を持 たない生命もどきがそこここに存在する。 それらは媒体を問わず存在し、虚構と現実を自由に行き来しはじめている。 ある人にとっては、それらは、まるで本当に生きているかのようなリアリティを持って迫ってくる。 しかしながら、日本社会においてキャラクターは、大量に産み出されては、人々に消費され、そのほとんどが消えていく。 つまり、キャラクターは、消費物なのである。 そして、それらと同じキャラクターとしてのみ存在する自己は、最早消費の対象としてしか存在しなくなる。 まさに、消費物とイコールの存在なのだ。

 ジャック・アタリは「人間は物としての人間を消費し、自分の食糧、自分の所有物とするだろう」という予言を残した。
私たちは、今まさにその社会を体現しているのではないだろうか。

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