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情報と仕組みから離れてみる。

世の中の仕組みは、もっと簡単にできるはず。しかし、なかなか改善されない。未だに田舎の役所に行けば「現金払いだけなんです」と。何だ、この国は!と怒りたくなる気持ちを抑え、窓口の人にニコッと笑って、現金を渡す。

仕組みが見直されない理由。

人様のつくったルールの中で遊ぶのには、多少のストレスがある。たとえば、ぼくはリゾバをしているのだが、誰かのつくった仕組みの中で仕事をしている。

もっとこうすればいいのにとアイデアが浮かんだとしても、ぼくは労働者だ。もちろん、言っちゃダメというわけではないが、わざわざ言う気力も起きない。そんな言っても無駄じゃね...、という気持ちを感じたときに「きっと役所で働く公務員も、同じこと思っているんだろう」とフッと気づく。

仕組みも複雑だけど、まず情報量多すぎん?

最近の広告は、とにかく汚い。情報を載せて、載せて、載せまくる。最後に下の方に小さな文字で、注意書きの言葉を並べる。広告以外も。分厚い契約書を取り交わし、複雑な手続きをする。そんなの面倒だから、会社はつくりたくないし、とにかく確定申告も面倒だ。

もっとシンプルな世界を欲してる。

今気づいたが、情報量の多さはSNSの発達も関係している気がする。いつでも、どこでも開けるスマートフォンで、世界の誰とでも繋がれる。うん、悪くない。というか、今までインターネットを通じて、何百もの人と出逢ってきた。その出逢いに関しては、感謝してもしきれない。

だが、しかし。どうだろう。

SNSをすることによって、失ったものを考えてみたい。まず、多くの時間。何かに新しいことに挑戦したり、友だちと楽しくお話しする機会。集中して楽しく仕事する環境。全てが、スマホによって奪われたといっても過言ではない。いまの自分は、明らかにスマホによってハックされている。

脳内にチップは埋め込まれていないが、実質、何もないときはずーーーーっと触っているから、脳内にチップがあることなのかもしれない。なんだか、自分で言ってて、恐ろしくなってきた。(笑)

更に言うと、プラットフォームも誰かの仕組みでできている。Google検索すれば、Google社のお邪魔することになるし、Apple製品を使うと、Apple社にお邪魔することになる。もちろん、悪くない。でも、誰かのサービスを利用しないと生きていけない状態になるのは危ないかもしれない。それは、本当の意味での「生きる力」というのが、無くなっていってしまう。そんな気がする。

あれこれ話がとんだけど、おれ、自給自足しますわ。

ゲストハウスもつくることだし。これから先、自給自足生活をしてみたいと思っている。SNSもしばらく封印したい。そんな生活を送った先に見えるものが、今のぼくに必要な感覚ではないのか。そう思う。

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