バイバイキティ!!!展紹介記事

2011年の1月から7月まで文化庁の助成をいただいてニューヨーク、ジャパン・ソサエティ・ギャラリーで研修をさせてもらっていた。3月17日にオープンする「バイバイキティ!!!」展の設営作業のため作家が次々と到着する中、東日本大震災が起きた。プレス・デイの5日前。ゲスト・キュレーターのデイヴィッド・エリオットとギャラリー・ディレクターのジョー・アールは7年前からこの展示を準備していたのだけれど。これにより、本展がほぼ常に震災と共に語られることになったのは宿命としか言いようがない。

この頃書いた展覧会紹介記事がある。*記事タイトルは編集部によるもの。

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月刊美術、2011年6月号

日本=『かわいい』の時代にさようなら(抜粋)

・・・デイヴィッド・エリオットは、欧米の美術関係者や批評家による日本の現代美術への理解は、オタク文化、「かわいい」文化に支配されていたとし、「そのような表面的な理解ではなく、比較的若い世代の作家たちが、いかに自己や、社会、歴史、伝統と向き合い、新しい表現に挑戦しているかを見てほしい」と語る。

・・・エリオットの言葉通り、社会や歴史と切り結んだ表現が多く選ばれていることから、遡及すべきものとしての「伝統」と関連している作品も少なくない。明確なところでは大和絵の様式をなぞり金雲たなびく成田空港図を出品した山口晃、また能面をモチーフにした小谷元彦、そして華美で反骨精神に溢れた装飾的美術を独自の解釈で描く天明屋尚が挙げられる。また多様な表現を試みる作家、会田誠も、本展には一見山水画を思わせる「Ash Color Mountain」を出品している。紙に繊細なカッティングを施し壮大な渦を浮き上がらせた塩保朋子、鉄線描で未来的な人物像を表す町田久美らも、本人達に伝統の延長線上に立つ明確な意志はないにせよ、多くの観客にその土台となったものの豊かさを想像させるのに十分だった。

・・・ニューヨーク・タイムス(3/18)は、「ここ数十年にわたって日本で支配的だった美学、『かわいい』文化に対して、反対方向へと振れる鋭い重りとして理解できた」と報じている。開催一週間前に起こった東北大震災と共に語られることが多いが、それは地理上の特質とともにあった歴史/社会を振り返ることにもつながっている。ワシントンポスト(3/24)は北斎の名作「神奈川沖浪裏」を引き合いに出し、この地に潜在する不安や、自然と共存する切実な願いの系譜を指摘する。本展は「かわいい」文化だけでは量ることのできない、日本美術の深みを提示したと言えるだろう。

金澤韻

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「本展は・・・日本美術の深みを提示したと言えるだろう」と結んだ自分の軽さに驚きつつ、でも美術の話としてこう結ぶ以外、ただただ重くなってしまうのであって、それがいいことなのかどうか、いまもわからない。たぶんこのとき、軽さは一つの身仕舞だったのだと思う。

ホランド・コターは、「ここ(バイバイキティ展)にある多くのものは、日本美術にしばしば不在であった批評的緊張感と、人間存在の深刻さを伝えている。そして自然の猛威と原子力発電所事故の悲劇にさらされた日本は今病んでいて、これはそういった緊張感と深刻さが、少なくとも一部で続いていく可能性を示唆しているように見える」と書いた。(ニューヨーク・タイムズ、2011年3月18日)

(ここしばらくは)批評的緊張感と、人間存在の深刻さが日本美術にしばしば不在であった、と彼が言っているのは興味深い。

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