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疲労困憊の母が精一杯の愛情をこめた食べもの

食生活の喜びからつながる社会
東洋美です。

このnoteは3、5、7才3人子持ちの薬膳講師だったわたしが「わたしを生きて、世界をよりよくする」「理念を創る」ことを目的に、その軌跡を綴っていきます。

食生活の喜びからつながる社会(仮)

(仮)です笑 
わたしの歩んできたこれまでから、理念を見つけていく、言葉を探していき、その過程もみんな書いちゃおうと思っています。


前回noteにて、わたしの母が教員を勤めながら、障害児と病児で入退院を繰り返す双子を育てていて、いろいろと限界だったエピソードを書きました。


わたしはほんとうに母はすごいな・・と尊敬しています。
わたし自身が三児の母になり、より一層の尊敬を持っています。わたしには同じ状況で育児も仕事もできないです。


病院と職場と家を駆け回りながら、それでも母はごはんを作っていました。

約20年以上前の共働きママが使えるようなミールサービスもなく、惣菜を買える場所もなかった、というのもあります。

後にもっと適当でよかったんじゃない?と聞いたら、

でもやっぱり手作りがいいかと思って、と話していた母。

豚汁とカレーとシチューとか。
いっぱい作れて、日持ちもして、美味しいもの。
誕生日にハンバーグを作ってくれたときは、天にも昇る気持ちでした。

わたしはどうやら胃腸が弱かったようで、食べることが苦手でした。

量は食べられないし、野菜は全く受け付けないし、いつも便秘がち。そもそも食べることに興味がなかった。

しまいには、祖母が大好きだったこともあり、スナック菓子やジャンクフードを母が帰宅するまでずーっと食べていて、
元々食が細いのに、より一層食べられない。

母は食が細いわたしを、いつも気にかけてくれていたのだと思います。

わたしが母が作ってくれたもので
最も印象に残っているものがあります。

それは
朝の炊きたてごはんで作る、塩おむすび。

毎朝、朝ごはんを食べないわたしに「これだけは食べていってね」と握ってくれた、真っ白いおむすび。

食べやすいようにと小さめに、炊きたてごはんで握られていて、キラキラしていて、ほのかにあったかくて、甘い味がしました。

中学生になって部活の朝練が始まると、朝が早く、パンをかじって出かけるようになり、いつのまにか食べる機会がなくなってしまいましたが。

あの塩おむすびのことは、映像や香りを伴って、くっきりと覚えています。

あのときを振り返ると、母への誤解があるなからで、それでも母とのつながりが切れなかったのは、あの塩おむすびのおかげでした。

あの塩おむすびは、ただ愛情がこもっていました。

だけど一方で
わたしは思います。

なぜそんなに母は1人で頑張っていたんだろうと。

障害児と病児の双子を教員しながら育てるって、四半世紀経った今だって無理ゲーです。

ごはんを作るって素晴らしい。
だけど、母自身にも食生活から愛情や癒しが必要だったのでは?

父も、祖父母もみんなで育児と仕事を支えているなかで、
もう家だけでは限界だったのだと。

子どもに愛情を届けるのは、
家族だけでなくてよいのでは?

この問いは、そこから25年が経ち、
わたし自身が三児の母となり子育てをするなからで
より実感を伴って持ちつづけている問いです。

あなたはどう思いますか?



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