2017年の生き方

みなさまあけましておめでとうございます。普段、新年の抱負とかを宣言したりはしないのですが、noteという素晴らしいツールもあることだし、たまには2016年を簡単に振り返って2017年はどうやって生きていきたいかを記しておきたいと思います。

自分が2016年に学び、2017年に意識していきたいことはズバリ

「本質を見極め、本質を追求していく」

ということです。

なぜこのようなことを思ったかというと、去年はいつもにも増して「世間一般、大衆、多数派の意見はほとんどが間違っていて本質を捉えてはいない」場合が多く、「物事の本質というのは、隠れたところにあるのかもしれない」という思いが強くなったからです。 

話題になった一例として、トランプ大統領の誕生により、注目を浴びたピーター・ティールの記事がインテリの間で少し話題になったことがありました。

【総集編】トランプの側近、ピーター・ティールの逆張り人生

(*この、有料記事が多いくせに無料記事も登録をしないと続きが読めないシステム、未だに理解ができないです。。。)

「逆張り」とは、いわゆる普通の人ならしないような逆のことをする、という意味です。ピーター・ティールは、昔からシリコンバレーの異端児として、「真実は誰も同意しない所に眠っている」というような発言を繰り返しています。

昔自分が翻訳したピーター・ティールのスピーチでは、次のようなことを言っていました。

『親しみのある道や伝統というのは、決まり文句のようなものです。それらはありふれたものであり、時々正しいように聞こえます。しかし大抵の場合、一定の反復によってのみ正当化されているだけです。』

今年は、彼の姿勢をより一層意識して追求していきたいと思いました。

しかし、言うは易く行うは難しで、多数派に逆らうことは実際にはとても勇気のいることですし、実行するのは難しいでしょう。そして本当に、どれくらいの確率で多数派の意見というのは間違っているのだろうか。

そこで、大衆心理による主張、思想、価値観がなぜ本質を捉えていない場合が多いのか、理由を少し探ってみました。


1 人は単純で簡単な本質の説明を欲しがる

「太陽が地球の周りを転回している」という主張が多数派だった時代を思い浮かべてみるといいかもしれません。確かに地球はこの体で体感する限り、静止しており、高速で回転していることなど想像もできません。しかし、ガリレオという科学者が複雑な分析と長い労力をかけて「地球は自転している」ということを証明しました。どちらが本質を捉えているかといえば、ガリレオの主張でしょう。

もう少し身近な例を挙げると、血液型診断などのに見られる「B型は〇〇だ」というような主張です。けれど、果たして人間をたったの4タイプに分けた説明が本質を捉えていると思えるでしょうか?

現実として、一般大衆は200ページ以上の本で書かれている内容よりも、「B型は〇〇だ」というようネットで気軽に手に入るような単純明快な回答を好むでしょう。しかしそれは本質を捉えているからではなく、考えるのが「楽」だからです。

この点についてはまず、世の中は一個人が推測するだけで解明できるほど単純ではなく、本質の解明にはチームワークを要し、複雑で負荷のかかる思考が必要だ、という前提に立つしかないと思うようになりました。


2 人間は「信じない」より「信じる」がデフォルト設定

一旦多数派の意見が出来上がってしまうと、あとはそれに身を任せるのは非常に簡単です。なぜなら、人間は他者を学習する生き物であり、基本的に信じるように設計されているからです。

パソコンでもデフォルト機能があるように、物事には初期設定があります。デフォルトとは、パソコンを新しく買った時に予め設定してある色々なルールです。自ら後付けで変更しない限り、そのままの機能です。

これについてはハーバード大の発達心理学者、ポール・ハリスが 「Trusting What You're Told」で面白い考察をしています。彼によると、人間の子供が情報の起源やその真意をあれこれ考えられるようになるのは6歳くらいからだそうです。つまり、生まれてから6歳に達するまでは、とにかく親や周りの人間のしていることを真似て(信じて)学習するようになっています。

信じる能力は大人になってからも基本的にはデフォルト設定のままで、心理学者の間では「信じることが人間が進化してきた過程の中で有利な能力であった」というのが定説です。

つまり、人間が文化を世代に渡って、グループとして長く継承していけるには、この他者を信じる能力が前提となっているわけです。そして、「他者を信じる」ということがデフォルト設定に組み込まれているので、他の可能性を考慮したり信じないという行為は、意識のいる努力を要するのです。これがまさしくピーター・ティールが「大抵の場合、一定の反復によってのみ正当化されているだけ」といった内容のメカニズムでしょう。ある地域に生まれた人間は、その地域の伝統や習慣などを、その本質の真意に関わらず、とりあえず信じるように設計されているのです。


これらの点を踏まえると、日本で起きたDeNAのWelq問題やMery問題などもうまく説明ができると思います。大衆に支持されているからと言って、本質を捉えているとは限らないのです。

もちろん、ピーター・ティールのような「逆張り」が常に正しいとは限りません。トランプ氏がクリントン氏よりも本質的にふさわしい大統領であるかどうかはまだ誰にも分かりませんし、本質の真意は時代や地域によっても変わってくると思います。しかし、彼の、カリフォルニアにいながら、自らがゲイでありながらも、世間一般の意見をまず疑い、自分の本質だと思ったものを追求する姿勢はとても評価できるでしょう。そして、彼の「逆張り人生」もただ闇雲にリスクをとるやり方ではなく、大衆が間違っているしっかりとした理由があることもわかってきました。

このように、本質は常に隠れたところにあるとは限らないけれど、それと同様に、多数派や世間一般の意見が間違えている理由も十分存在すると思うようになりました。多数派に逆らうことが必ずしも真実に近づくとは限らないけれど、本質を捉えるために必要不可欠なステップあると思っているし、今年はこれに磨きをかけていきたいと思います。

そしてこのような方法で、以下のような様々なことに考えていきたいと思います。

幸せの本質って何?

社会的意義の本質って何?

研究の本質って何?

愛(結婚w)の本質って何?


最近あまりこのブログは更新できていませんが、何か面白いことがあったらまた更新しようと思っています。


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