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コロナショックを経て、いますべての経営者にどうしても伝えたいこと

雇ったからには、社員の人生への責任がある

経営者は「社員の人生」に対して責任があります。

経営者は、会社を成長させることで会社の「社会性」を高め、会社の「利益」を増やし、それを社員に分配することでその責務を果たします。

ただしそれは「当面の責務」であり、もうひとつ大切な責任があります。それは「稼ぐ力を身につけさせてあげる」ということです。

経営者は、この先もずっと社員と一緒にいるとは限りません。

いつも隣で手取り足取りサポートできるわけでもないし、自分が先に辞めるかもしれない。社員が先に会社を辞めるかもしれません。

経営者としてずっと社員の隣にいられるわけではないのです。

それなのに親鳥がヒナにエサを運ぶようなことをしていては、親鳥がいざ離れたときにヒナは生きていけません。かならず「独り立ち」させなければならない。

だからこそ、社員には「生き抜く力」を身につけさせてあげることが重要なのです。そして、それこそがアフターコロナという厳しい時代においてますます重要なことです。

今回は「会社とは何か?」「給料とは何か?」について改めて定義し、この逆風の時代に経営者が果たすべき役割について考えてみたいと思います。

会社は「生きる基盤」となるコミュニティ

人はさまざまな集団に属しています。

 会社、家族、友だち、趣味の集まり、SNSでのつながりなどなど。生きているとあらゆるコミュニティに属することになります。

ただ、その中で唯一「会社」だけが「糧を稼ぐための」コミュニティです。

家族や友だちなど、その他多くのコミュニティは「糧を稼ぐコミュニティ」があってこそ成り立ちます。つまり、会社がすべての土台になるのです。

家族や友だちコミュニティの充実をはかろうと思うのであれば、この「糧を稼ぐ」コミュニティを充実させる必要があります。あたりまえでしょう。十分なお金、食料がなければ、遊びに行くこともできません。

これが「事実の仕組み」なのです。

経営者は社員のすべてのコミュニティの充実をはかるためにも、糧を稼ぐ「会社」というコミュニティを充実させる必要があります。

社員の「糧を稼ぐ」能力を高めさせる。その環境を用意する。これが社員の人生を背負うということです。

「足腰の強い」社員になってもらう

「私は家庭を優先したいので」「ぼくは友だちとの時間のほうが大切です」と言う人もいます。それ自体は大いに結構でしょう。当然、どのコミュニティを優先するかはその人の自由です。

ただし何度も言いますが、会社というコミュニティで糧を稼がなければ、他のコミュニティを充実させ続けることは難しい。これが「現実」だということを忘れてはいけません。

しかも今は景気後退局面です。こういうときにこそ、この事実をきちんと社員にも理解してもらい、真に「足腰の強い」社員になってもらう必要があるのです。

たしかにここ10年くらいはぬるま湯でもなんとかなってきました。「やる気が出ない」「モチベーションが欲しい」と言っていても会社はクビにしないし、なんとかなっていた。甘えていても大丈夫でした。

しかし、もうそんなことを言っている場合ではありません。

生きるか死ぬかのときに「やる気がないんで……」などと言っている余裕はないのです。

「給料」とはなにか?

次に「給料」とは何かを考えてみましょう。

給料とは「有益性」への対価です。

給料は、結果を出した、利益をもたらした、価値を生み出した「有益性」に対して支払われるもの。

この仕組みはこれまでも、そしてこれからも変わりません。

景気がいい局面は、この仕組みがボヤけていました。ボヤけていてもなんとなく回っていたのです。本来は「有益性」に対して支払われるべき「給料」が、有益性をそれほど生んでいない人に対しても支払われていた。

生み出した有益性以上に給料をもらっていた人たちというのは、いわば「借金」をしていたのと同じです。会社に対して借りを作っていたわけです。

そして、そのように社員を甘やかして「借金」させていたのが経営者です 。

こういった厳しい環境になって、同じ給料で雇ってもらえないような人たちというのは、あきらかに「有益性以上の対価」を獲得していた人たちでしょう。会社に「借金」していたということになります。

もし景気がずーっとよければ、借金したまま逃げ切れる人も中にはいたかもしれません。しかしこうした景気後退局面というのは10年に1回くらいは必ずやってくるもの。そういうときに誰が借金をしていたかは、如実に現れます。

常日頃から「借金」をせずに、むしろ「貯金」をしながら働いていた人は、こういう危機的な状況になっても慌てていないでしょう。むしろ必要とされているはずです。

経営者が社員に「借金」させるのか「貯金」させるのか。

それによって、社員の人生はまったく変わってくるのです。

より「本質」が問われるようになる

今回の事態によって、あらゆる場面でより「本質」に近づいていきます。ごまかしがきかなくなってきているのです。

会社の本質は「糧を得るためのコミュニティ」であり、給料の本質は「有益性への対価」です。

会社自身も社会から糧を得なければいけません。社会において本当に役立つ会社でないと生き残れません。社員も同じ理屈で、会社において有益性を発揮しなければ糧を得られないのです。

会社が儲かって、たくさん糧を得られるということが「利益」です。そして、糧を得るための力を身につけられることが「利益」です。会社というコミュニティにおける利益はそこしかありません。

それが本質です。

「会社が楽しい」とか「居心地のいい会社」なんて言うのはまやかしなのです。それは本来、利益でもなんでもない。

楽しさや居心地のよさは、あるに越したことはないかもしれませんが、それは本来別のコミュニティで獲得すればいい。友だちや趣味などのコミュニティで獲得すればいいのです。

社会は無慈悲で無機質である

社会は無慈悲で無機質なものです。

結果や成果でしか評価されません。一人ひとりの状況に配慮などしてくれません。今回のようなときには、特にそれが如実に現れます。

社員は、この配慮のない、無慈悲で、無機質な社会のなかで勝ち抜いていく力をつけなければいけないのです。

にもかかわらず、一人ひとりに寄り添って「配慮」してあげることは、一見「やさしい上司」「やさしい経営者」に見えるのですが、実はぜんぜんやさしくないのです。

「社会で生き抜く力を身につけさせる」ということは、社会という無機質な状態でも勝てるような力をつけさせることです。そこで、たびたび配慮をしなければ勝てない人間にしてしまってはいけないのです。

経営者が受けるストレスを社員にも与える

経営者は社会からストレスを受けています。

そのストレスをきちんと社員にも与えてあげないといけません。

そこで経営者がストレスをすべて吸収して、一人一人に「配慮」してしまうことは、社員の生きる力を奪うことになるからです。

ある経営者はこんな話をしてくれました。

「もともとは、社員一人ひとりを大切にしなきゃいけないと思っていたから一人一人とコミュニケーションをとっていました。しょっちゅう雑談をしたり、飲みに行ったりしていました。それが本当に社員を大切にすること、社員を愛することだと思っていたのです。

 しかし、それが社員のためにならないと気づきました。

 今は社員とも距離をとって、社会からのストレスやプレッシャーを社員のみんなにもちゃんと与えてあげるようにしています。

 かつては、経営者である自分が全部ストレスを吸収して、社員にはできるだけストレスを与えないほうがいいと思っていました。でも、これは実はまったく社員のことを大切にしているとは言えないと気づいたのです。

 社員に対する思いは、何ひとつ変わっていません。自分の会社に入ってくれた社員は大切だし、社員を愛する気持ちはまったく変わっていない。

 ただ、大切にする正しい方法。正しい愛し方がやっとわかった。それは"社員にきちんとストレスを与えてあげる"ということだったのです」。

「従業員満足度」を気にする経営者がいます。「楽しく働いてもらう」ことに力を入れる経営者がいます。

しかし、これらは社員の「今この瞬間」の利益にしかフォーカスしていません。そうではなく、今を含めた未来にしっかり利益を与えること。それが求められているのです。

本質にもとづいた、本質的な利益を与える。しかも、今だけでなく未来への利益を与える。それが今後ますます大切になってくるのです。



株式会社 識学は、ここからの「日本の復興」を牽引する立場として選ばれる存在になっていきたいと考えています。それを世の中に表明するためにも、本日(5月14日)、日本経済新聞に全15段広告を出させていただきました。こちらも併せてご覧いただければと思います。

社員を大切に。

これが、コロナショックを経て、いま私がすべての経営者にどうしても伝えたいことです。

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