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【4】「許す」ことと「諦める」ことは違う

本当は、この【4】でまとめになる予定だったのだけど、昨日の私に起こった「自分でも驚いた変化」のことについて、Twitterには夜中にちょろっと書いてあったけれど、この一連の変化と関連があると思うので、一緒に書き残しておこうと思う。

10月18日(金)の夜から19日(土)にかけて、大雨の降る中、長野の善光寺まで車を走らせた。(運転は夫がしていて、私はほとんど何もしていない)

善光寺に行くのは、「義母が毎月お参りに行きたい」と言っているのを叶えていることで、基本、私は行かない。

私が駆り出されるのは、冬になるにつれて義母の体調が悪化して、「毎月のお参り」が出来なくなるからで、義母は毎月善光寺にお参りに行くことで、「ぽっくり逝けるように」と願をかけているようだ。

個人的には、人の寿命は神様が決めた以上には延びないし、亡くなる時は生き様が出るものだと思っているので、毎月お参りに行くことと、毎日何もないけれど手を合わせて「生きていることに」感謝することは、イコールだろうと思っている。

話が逸れたけれど、先日の台風の影響もあって、義母は体調が整わないことが不安だったようで、私が駆り出されたのだった。

私は神社や仏閣が大好きで、建物が好きとかではなく、「掃き清められた清浄な空気、空間が好き」ということなのだけど、善光寺は参道からずっと清浄な空気があって、すごく居心地が良くて、ついつい長居をしてしまいたくなるところ。

善光寺に行く時は、義家族が10年来お世話になっている宿坊のひとつ(お名前を出していいものか分からないので、伏せておく)の裏に車を置かせて頂いて、お部屋で少し休憩させて頂いた後(宿坊でもお参りする)、宿坊の「お朝事参拝ツアー」みたいなのに同行させて頂くのが、いつものコース。

19日は、お朝事の後に御朱印を頂きにもう一度本堂に行って、宿坊の方たちにご挨拶をして、裏に回って車で荷物を整理している時に、厨房から「○○さん(私の下の名前)」と呼ばれた。

下の名前で呼ばれることがなかったので、「はい?!」と振り向いたら、そこの宿坊の責任者の方(偉いのはご住職さんだけど、事務方の責任者の方)が厨房の窓から顔を出していて、「お久しぶりですね」と声をかけて下さった。

義母の代わりに行っているだけなので、毎月顔を合わせるのでもなく、時間の関係でご挨拶出来ない時もあるので、本当の「お久しぶり」だったので、一瞬「誰だったっけ……(失礼)」と思ったけれど、義母の話をして、お暇を……という時に、「○○さん(私)、お顔がいいお顔になりましたね」と言われた。

生活が変わった訳でもないし、体重すらそんなに変わった訳でもなかったのに、「責任者の方には、『いいお顔』に見えたのか……」と思ったら、すごく嬉しくなった。

私は過去のことや、病気のこと、飲んでいる薬のことなどで、基本的に普通の人よりも表情が乏しいのだけど、「その時、楽しいと思っていたことが顔に出ていたのかな」とか、「心が軽いと感じていることが、顔に出たのかな」とか思ったら、すごく、感動した。

普段、毎日私の顔を見ている夫だったら、出ない言葉だったのかも知れないし、時々会ってる両親でも、聞いたことのない言葉だったので、余計に嬉しかったのかも知れない。

そしてそのことを、昨日、20日(日)の夜にtweetして、tweetボタンを押したところで、「はっ!」とした。

「私、自分のことを『愛してる!』って思ってる!」って、急に理解して。

実は数日前から、KAT-TUNの「喜びの歌>>うたまっぷ」の冒頭部分がぐるぐるしていて、そういう時はすごく意味がある時なのだけど、自分が疲れ切っていたので、その意味に気付いていなかった。

うっすら、「私を守ってくれているみんなの気持ちが、今、こうなんだろうなぁ……(何しろボロボロなので)」とは思っていたけど、まさか自分が自分のことを「正しく」そう感じているんだよという、自分からのメッセージだったとは思わず、ぼんやりとそのぐるぐるを繰り返していたので、そのことを急に「理解」した時、「喜びに打ち震える」という感覚を、知った。

「これは、これは、夫に聞いてもらわなければならないことだ」と思って、喜びで胸がいっぱいで、その胸から涙があふれて来るのをこらえながら、デスクをはさんで向こう側にいた夫のところへ、行った。

上手く言えなかった。

どう言ったら伝えられるのか分からなかったし、何故そう感じたのかも、どうやって説明したら伝えられるのか分からなくて、「あのね、あのね……」となっている私の手を、夫はちゃんと握ってくれて、「ゆっくりでいいよ」と言ってくれた。

宿坊の責任者の方に言われたことが嬉しかったこと、嬉しいと思えたことが嬉しかったこと、基本的に表情が乏しいと思っていたから嬉しかったこと、そして、直前にオラクルカードを引いていたそのカードが、「永遠の愛」だったこと、数日前から「喜びの歌」がぐるぐる回っていたこと、Twitterにtweetした途端に「私は私を『愛してる』んだ!」と気付いて、嬉しくて、夫に話さなきゃいけないことだと感じたこと。

何日か前に、夫に、「夫に笑顔を向けられない時もあるし、向けてくれる笑顔に気付けないこともあるけど、そういう時も『私から笑えばいいんだ』って思った」という話をしたばかりだったので、自分の中で「愛」が大渋滞を起こして、言葉にならないし、出来ないしで、夜中なのに夫にしがみついてわんわん泣いてしまった。

寝る前、もうだいぶ私が意識がなくなってきているところで、夫が、「ひとつひとつ、乗り越えて行けるといいね」と言って頭を撫でてくれたのが、とても嬉しかった。

人を救うには、まず自分から救わなければならない。

何故なら、自分を愛せなければ人を愛することが出来ないから。

その意味を、理解出来ないから。

【5】は、自分を愛せなかった私の話を。

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