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【レポート】「マイプロジェクトを描く」〜こうちマイプロジェクト道場#2〜

【こうちマイプロジェクト道場ー今日からわたしを歩んでみよう】

こうちマイプロジェクト道場は、一人ひとりの本当にやりたいことを対話とアクションを重ねながら進める学び合いの場です。
今回は、自分らしい生き方で全国各地で挑戦を続けているゲストを迎え、彼らのストーリーを共有しながら、参加者一人ひとりの想いを掘り起こしていきます。

第二回目は瀬戸口 信弥さん(合同会社高知カンパーニュブルワリー代表)。
高知に移住してビール造りをされている瀬戸口さんが、なぜ高知でクラフトビールを造っているのか、今どんなことを考えて、どんなビジョンを描いているかといったことをお話しいただきました。

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瀬戸口信弥氏(合同会社高知カンパーニュブルワリー代表)

1987年大阪府大阪市生まれ。2010年に摂南大学工学部電気電子工学科卒業後、奈良先端科学技術大学院大学物質創成科学研究科に入学し、タンパク質光制御系開発のための基礎研究を行なう。
その後、電機メーカーに入社し、センサ開発に従事。就業中、高知県への移住と、ビール会社の起業を決意し、2016年から、株式会社石見麦酒にてインターンシップを受講。
株式会社石見麦酒インターンシップ修了後、合同会社高知カンパーニュブルワリーを設立。2018年1月、発泡酒醸造免許を取得し、3月に高知に本格移住。県内唯一となるビール醸造所を開設し、同年4月にクラフトビール「TOSACO」を販売。


勉強が嫌いになり、ひたすらアルバイトをしていた

中高生時代京都で生まれ大阪で育った瀬戸口さんは、幼稚園から大学に至るまで受験を経験してきました。
それは勉強熱心な母親の影響からでした。小学校まではそういった環境の中で楽しく勉強ができていたのですが、中学校から勉強ができる周りの人たちと自分を比べ始めてしまい、勉強に対するモチベーションがどん底まで落ちてしまいました。
こういったことから高校では学校の中でも不真面目なグループに所属していました。そして、高校からアルバイトをはじめ、放課後は遊びとアルバイトに明け暮れていました。


“学歴コンプレックス”が、自分の殻を破る

高校を卒業し、短期大学に進学した瀬戸口さん。相手の学歴や通っている学校の偏差値を気にする生活が続いていました。ある時自分が学歴コンプレックスに苛まれていることに気づきました。
「このコンプレックスをどうにかしなければ、この先に進めない」と感じ、短期大学で、はじめて勉強を始めることを決意しました。
短期大学で出会った恩師と呼べる先生に高校の数学を教えてもらいながら、高校で怠った分を取り返そうと必死に勉強をしました。そして努力の甲斐もあり、私立の四年制大学へ編入することができました。
四年制大学に編入する過程で勉強の楽しさを知った瀬戸口さんは毎日のように勉強に明け暮れていました。
あるとき同じ研究室所属の先輩が、大学院に進学することになりました。そこで初めて大学院という世界を知りました。当時まだ“学歴コンプレックス”を拭い去ることができていなかった瀬戸口さんは、国立大学の大学院に進学することにしました。

奥さんとの出会いと会社での苦労

現在の瀬戸口さんの奥さんとなる方とは、大学院時代に出会いました。大学院を卒業する頃に、その方と結婚したいという思いが膨らみ、瀬戸口さんは二人が住んでいる大阪の会社で働くことにしました。
会社の方針で今までの事業とは違う、新しい事業を展開していくことになりました。そんな部署に配属されますが、なかなかうまくいかず、毎日トラブルが発生していました。瀬戸口さんは会社に対するフラストレーショがたまり、それと同時に自分が会社のただの歯車になっていることに気がつきました。
これらの気づきから瀬戸口さんは、「ただ会社の歯車になるのではなく、自分で何かを生み出してみたい」と感じるようになりました。


家庭菜園から見えた自分のやりたいこと

瀬戸口さん夫婦は大阪の高槻市に家を移し、家庭菜園を始めました。
家庭菜園では大根を栽培・収穫しました。大根栽培を通して自分で何かをつくることに対する楽しさを感じることができました。
さらに生産する側だけでなく、加工する側にも興味を抱くようになりました。そんな中で、ビールを独自につくる「クラフトビール」を知りました。当時、ビールが大好きだった瀬戸口さんは、「自分でも独自のビールを作ってみたい!」と思うようになりました。
クラフトビールとの出会いから、家で麦汁をつくったり、奥さんとクラフトビール造りが盛んなアメリカのポートランドに足を運んだり、しました。ポートランドでは、一つひとつのクラフトビールブリュワリーにそれぞれ個性があることに魅力を感じ、当時まだ会社に勤めながらも、頭の中は「どのようにクラフトビールをつくっていくのか」でいっぱいになっていました。


家族をつないだ“お酒”という存在

瀬戸口さんがなぜビールにこだわっているのか。その原点は、実は家族にありました。
瀬戸口さん一家は全員お酒が好きで、いまでもお酒の席になると、全員が集まってくるといいます。瀬戸口さんはそこで、「お酒によって家族がつながっている」と感じていました。
瀬戸口さんにとってお酒にはネガティブなイメージがなく、むしろ家族をつなぐ存在として考えていたのです。
またクラフトビールづくりを構想する過程で、たくさんの本に出会いました。その中でも「しあわせのパン」や「金持ち父さん貧乏父さん」といった本を読んで、色々な仕事の仕方や生き方、田舎での暮らしの良さがわかりました。
今の会社名も「しあわせのパン」からとられています。

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高知でできたつながり

瀬戸口さんはそこから本格的にビール造りをすべく、島根県のクラフトビールの醸造所でインターンシップをはじめました。また奥さんのお兄さんが高知大学に通っていたこともあり、何回か高知を訪れました。訪問する中で、魅力的な場所を紹介してもらったことから、高知への移住を意識し出しました。そこから高知でビールづくりをすべく何回も行き来をしはじめました。
また、高知県が主催するビジネスプランコンテストにも応募しました。そこでは、起業を目指す仲間との出会いがありました。さらに、マイプロジェクトという手法に出会い、自分について考えたり、事業と自分のつながりを考えたり、どのように事業を実現させるのかを考えたりする機会になりました。


たくさんの支えにより生み出された「TOSACO」

島根のブルワリーで醸造の研修を受けている中で、酒税法の改正があり、来年度から自分が考えていた規模感でお酒を作ることができなくなることがわかりました。
まだ研修がたくさん残っていた瀬戸口さんは弱気になってしまい、奥さんにビールづくりを諦めようと涙ながらに話しました。しかし奥さんからは「諦めるべきところじゃないでしょ」と逆に背中を押してもらえました。瀬戸口さんはそこからやれるところまでやってやろう、と吹っ切れることができました。
しかしお酒をつくろうにも、場所がないことが問題になりました。まだ移住をしていない瀬戸口さんにとって高知の中にある人脈はごくわずか。しかし以前出会ったNPO法人の代表の方から、香美市内でスーパーを経営している会社の社長を繋げてもらい、余っていた工場を紹介してもらうことができました。
免許も島根と大阪を行ったりきたりして研修を終わらせ、1月に醸造免許を取得することができました。
紆余曲折を経て、ついにクラフトビール「TOSACO」の販売がスタートしました。たくさんのメディアに取り上げてもらい、多くの人に知ってもらいました。しかしまだ従業員もおらず、一人ですべて作業をしていたことや想像していた以上に注文がきたことから、生産が追いつかず、寝る間も惜しんで作業をしていました。そんな生活は長くは続くはずもなく、1ヶ月ほどで体調を崩してしまいました。
そんなとき、家のご近所さんが「新聞見たで」「何か手伝えることはあるか」とボランティアでラベルを貼りの手伝いをしに来てくれました。
そのお陰もあり、自分に次のことを考える時間が作れ、酒造体制を整えるよう動き出すことができました。


新しいフレーバーの製造

瀬戸口さんは今回のマイプロジェクト道場への登壇を通して、改めて自分たちの会社の存在意義を考えました。そして掲げた二つのミッションが「食卓を豊かにする」、そして「その豊かさを地域に還元する」というものです。
ただ、半年間3つのビールを販売してみて、まだ地域のためにやれることがあるのではないかと考えた瀬戸口さんは、新しいフレーバーのビールを製造することにしました。そこで目をつけたのがりんごです。実はりんごは高知県でも作られているのですが、そのことを知らない人が大勢います。
さらに瀬戸口さんはりんご農園に行き、台風や災害によって傷がついたり、形がおかしくなって販売できなくなったりんごを目の当たりにして、使われないりんごを自らビールとして活用していこうと考えました。


支えてくれた地域と家族のために、ビールをつくっていく

これからのビジョンとして、瀬戸口さんは自分が作ったクラフトビールが都会で売れるような仕組みをつくっていきたいと話してくれました。
地域にある資源を活用して、瀬戸口さんがクラフトビールを作り、都会に住んでいる人にクラフトビールを届けます。瀬戸口さんのクラフトビールが、都会の人に地域の魅力を伝えます。そのような地産外商の仕組みをつくることで、地域をもっと豊かにしていきたいと瀬戸口さんは考えています。
ポートランドでは親がお酒を飲んでいる傍ら、キッズスペースが設けられ、子ども達が元気よく遊んでいる光景がよく見られるそうです。自分がやりたいビジョンが、まさにポーランドでは実現していると瀬戸口さんは感じています。
-「ビールを通した家族の憩いの場をつくっていきたい」
-「家族が幸せになるビールを作りたい」
自分の原体験を忘れずに、これからもビール造りに励んでいきたいと瀬戸口さんは力強く語ってくださりました。

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感想・気づき・質問のシェア
キーノート終了後、参加者から「どうして地域貢献をしたいと思えるのですか」といった質問や「家族が好きというものがとても素敵だった」「作っているビールを飲みたくなった」といった感想がシェアされました。

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マイプロジェクト共有ワーク
休憩を挟み、次は難波 佳希氏(難波ファシリテーション事務所)によるファシリテーションのもと、参加者同士のマイプロジェクト共有ワークが行われました。3人1組になり、それぞれどんなライフヒストリーを歩んできたのか、これからどんなプロジェクトやアクションを起こそうとしているのかなどを共有し合いました。

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話し手の発表が終わったら、聴き手は共感したことや疑問に思ったことを投げかけ、相互に新しい気づきや学びを得られるよう対話を行いました。

チェックアウト
マイプロジェクト共有ワークが終了した後、参加者一人ひとりが今日の感想や気づきをシェアし合うチェックアウトを行いました。
瀬戸口さんの話から得られた教訓や学び、マイプロジェクトシェアにより得られた気づきや自分に対する問いなど、様々なコメントがあげられました。

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総括
いまや高知県内で飛ぶ鳥を落とす勢いで人気になってきたクラフトビール「TOSACO」ですが、そのバックグラウンドには、家族の存在や地域からの支えがありました。ただ美味しいビールを届けることをゴールとするのではなく、それを通して家族のつながりや地域の活性化、そして人の幸せを実現できることを目標にされていることがわかり、より応援したい気持ちが大きくなりました。
多くの参加者もそういった背景に触れることで、瀬戸口さんの想いに共感したり、プロジェクトに対するモチベーションが上がったり、普通の講演を受けているだけでは得られない学びや気づきを得られたという声があがったり、していました。


(レポート:鈴木 博文 )



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