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【ジャーナル】こうちマイプロジェクト道場2期 #2 ~自分自身の問題を掘り下げる~


「こうちマイプロジェクト道場」は、一人ひとりが自分のライフヒストリーと紐づいた自分自身が本当にやりたいこと(will)に向き合い、仲間と共にその第一歩を踏み出し、そこでの気づきを対話を通じて深め、さらにアクションを重ねながら、起業や事業創造、プロジェクト実践を進めていく連続講座です。

今回は、自分らしい生き方で全国各地で挑戦を続けているゲストを迎え、彼らのストーリーを共有しながら、参加者一人ひとりの想いを掘り起こしていきました。


こうちマイプロジェクト道場2期・第2回目は『後継ぎとしての覚悟 一家族の絆を生む家づくりを目指して』と題して溝渕加寿彦さん(有限会社溝渕建設 代表取締役)にお話しいただきました。

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<講師>溝渕 加寿彦 氏(有限会社溝渕建設 代表取締役)

高校生の頃、大工になることを決心。高校卒業後、すぐにお父さんに弟子入り。現在はお父さんが50年くらい前に始めた会社を引継ぎ、新築、増改築、リフォーム、耐震工事、設計などをおこなっている。ハウスメーカーの家が多くなってきているなか、木造建築での期の良さを活かす見せ方や木の強さを最大限に活かす設計にこだわり、高知の風土にあった家造りに取り組む。建築年数が古くなっても、家族の絆や思い、愛着のわく家づくりを目指している。また今後、高知のDIY人口を増やす活動を行っていきたいと考えている。

大工を志したきっかけ

子どもの頃は、スポーツ万能で何度も骨折を経験するほど元気な子供だった、と話し始めた溝渕さん。「女子が一番多そうだったから」という理由で高校を決めたり、「催眠術にかかりやすい体質だ」と言ってみたり、くすりと笑ってしまうような話ばかりの自己紹介。

現在は、南国市の建設会社の代表取締役を行いながら、趣味のアウトドアを楽しんだり、子どもに経験をさせてあげたい、という想いから仕掛けを自分で作り、ウナギを獲りにいったり、犬や猫など動物を愛でたり、と親しみがもてるエピソードも話してくれました。

そんな溝渕さんですが、学生時代は何に専念するわけでもなく、フラフラ遊び歩いていた頃があったそう。そんな自分の目を覚ましてくれた出来事があった、と言葉は続きます。

それはある夜、いつものように夜更かしをして帰宅したところ、自宅の作業場に明かりが点いていることに気づきました。
中を覗いてみると、汗水流して働く父親の姿。
それまで「いつも暴れて人の気持ちも考えない、勝手な父親だ」と思い込んでいましたが、その時初めて「すごいやん。大工も悪くない」という感情が芽生えました。

元々、大工をする気はなく、スーツを来て仕事をするサラリーマンに憧れていましたが、この出来事をきっかけに、大工を志すことに決め、高校卒業と同時に父親に弟子入りをしました。

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大工という職業

一般の方が大工のような職人さんに触れ合う機会は、限られています。そのこともあってか、巷の職人さん(大工)のイメージといえば「怖そう、強そう、大酒飲み」といった、ネガティブなワードが並びます。

しかし、溝渕さん曰く、実は繊細で内気な方が多く、チームで仕事をするため、コミュニケーション能力に長け、人の見方が素晴らしい方が集まっている、と教えてくれました。

また、一概に大工という一括りには出来ず、実は大工にも種類があり、その専門は様々。
専門が違えど、職人さんが共通してできることは、不揃いな木材を加工したり、オーダーメイド・オンリーワンで規格外のものを作ったりすること。
景色に溶け込むものを作ることで景観を守ること、災害時に率先力になること、だと話してくれました。

大工さんの関連しているもので、東日本大震災時のあまり知られていない話を一つ教えてくれました。
避難所に暖を取るものがなく困っていたところ、一人の職人さんがそこにあった木のロッカーを壊しました。壊した木材を燃やすことでみんなが暖かく過ごすことができ、結果命を守ることに繋がりました。

自治体などが円滑に機能しなくなった被災地で、判断力や率先力がないと、このような行動はなかなかできないことです。
溝渕さんは「職人さんは経験値が高く判断力や率先力を持っている。そしてモノ作りもみんなで楽しめる、素敵な職業」と言いました。


弟子入りして感じたこと

溝渕さんは、幼いころから何でもこなしてきた経験もあり、大工仕事にも初めから根拠のない自信があったそうです。
しかし、実際に大工仕事を行うようになり、どうやっても先輩の「おんちゃん職人」には勝てませんでした。「この時ばかりは『何もできない自分が不甲斐ない。恥ずかしい。』と感じた」と当時を振り返ります。

父親の後継ぎということで、周りからの風当たりも強く、この時人生初めての挫折を経験。挫折を味わいながらも、早く一人前になりたい一心で3年間、父親の元で修業をしました。
しかし、弟子修行を終えたころに、自我が芽生え、父親と対立。
父親の建てる家が古臭いと感じ、半ば喧嘩別れのように家を飛び出してしまいました。

家を飛び出し、スノーボードかウエイクボードをやって、しばらく遊びながらプロでも目指そうかと考えていたある日、仲間から仕事を紹介されましたが、大工の仕事でした。悩んだ末、「遊んで暮らすのにもお金がいるし」と受けることにしました。

紹介された大工の仕事は6年ほど続け、そこではメインで仕事を任されるまでに成長。しかし、その仕事をしていく中で、自分の想いと世間のニーズにズレを感じるようになりました。

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父親から学んだこと

父親から教わった伝統工法は、とても頑丈なものでした。
その背景には「家は高価なものだから、みんなで大事にして後世に残していくもの。壊れたら信頼できる大工さんに直してもらうもの」という想いがありました。

その想いとは裏腹に、世間のニーズというと、「あまりお金をかけずに見えるところだけきれいならいい。」というもの。
そのことに疑問を抱き、改めて父親から学んだことの素晴らしさを実感した溝渕さんは、26歳の時に父親の元に戻る決意をしました。

溝渕建設に戻ったちょうどその頃、時代の移り変わりを実感します。バブルがはじけ、威勢の良かった「おんちゃん職人」は「仕事がなくなる」と弱音を吐き、すっかり元気がなくなっていました。

そんな「おんちゃん職人」の姿を目の当たりにし、自分の父親が教えてくれたことは「古臭いことではなく格好いいこと。素晴らしいこと」と改めて感じました。
そう認識できたことで「職人やったらがははと笑え。胸張っていこう。みんな格好いいはずやき」と溝渕さんは皆を励ましました。

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地域にもぐる

時代の流れに危機感を感じた溝渕さんは、もっと地域の人に大工や職人というものを知ってもらおう、とまずは若い職人さんを集め、地域に潜ることにしました。

はじめにおこなったのは、「地域で木育」。
地域住民に木に触れてもらおう、と商店街で「流しそうめん」をしました。裏の山から竹を切り出し、竹を組んでそうめんを流しました。
なかなかできない体験を前に、大人も子ども大喜び。

その後も、商店街で双六を作ったり、使われなくなった集会場で工作教室を開いたり、一本下駄や弓矢をつくったり、と地道に活動を続けていきました。結果、子どもからお年寄りが楽しめるイベントを次々と開催していました。

そんなある日、溝渕さんのもとに一本の電話が届きました。
電話の相手は以前、溝渕さんが飲みに出かけた先で知り合った学校の先生。飲み会の席で「ピタゴラ装置一緒に作らんかえ」と声をかけていた方でした。
電話をもらった時にそのことはすっかり忘れていたそうですが、「やろう」と二つ返事をし、実行に移りました。

5か月の構想を経て、作り上げた装置は約50メートルの超大作。
ボールが転がり、いろんな仕掛けで装置と装置がつながり、最後はプリンが落ちてきてゴール。
前日まで失敗の連続でしたが、本番は一発成功。会場は大盛り上がりだった、と話します。

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溝渕さんの挑戦

「ピタゴラ装置」の挑戦は、メディアや新聞にも取り上げられました。
須崎市の小学校からオファーをもらい、車にピタゴラ装置を載せて見せに行ったことも。不安定な装置を車に積んでの長距離の移動は、不安もありましたが、溝渕さんの「子どもの夢をかなえてあげたい」という想いが行動に繋がりました。

父兄、先生、生徒そして職人さんも一丸となり、最後はみんなでハイタッチし、また笑顔が生まれました。
関わった若い職人さんは、仕事だけでなく地域に貢献したことが刺激になり、職人という仕事に誇りを持ち、堂々とするようになりました。

嬉しいことに、地域全体にも変化が見られました。子どもからお年寄りまで、集まる人たちは面白く、気が付けばみんなが笑う姿で溢れました。それまで元気のなかった職人さんたちも、どんどん明るくなっていきました。

その後も、高校の課題授業の講師、全国放送のバラエティ番組からの出演依頼など、夢にも思っていなかったことが次々と起こりました。

これから

家は定期的にメンテナンスが必要なため、自分たち大工が気軽なパートナーとして、長いお付き合いができたら、という溝渕さんの想い。これからも自らが地域に出向いて貢献していきたい、と言葉が続きました。

また、モノづくりを通して、物を大事にする心を育み、職人さんを大事にしてもらう流れを作るため、高知県のDIY人口も増やしていきたい、とも思っています。
DIYのイベント時は、必ず参加者みんなでお昼ご飯を食べるルールを設けているのも、溝渕さんの粋な計らい。
沢山の人との出会いを大切にし、ご縁が仕事にもつながりをもたらす。ゆくゆくは後継者問題にも取り組んでいきたい、という想いも打ち明けてくれました。

最後に「俺の思う事としては、後継ぎとしての覚悟っていうのは、今まで職人が磨き上げた技の跡をたどり、後世に継承していくメッセンジャーの役割。家族の絆をうむ家づくりを目指して、というのは自分たちの住む家を自分たちでリノベーションしていく。それで暮らしに豊かさを生み出す家。そしてそこにサポーターとしているのが俺の棟梁としての在り方」と、今回のテーマワードについての考えを締めくくりとしました。

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気づきのシェア/意見交換
次に、キーノートを聴講後、各自が感想を述べました。
今回の参加者は、学生、医療関係者、設計士など多種多様。様々な切り口での発言が見られ、感嘆の声があがるなど、学びや気づきが多くありました。

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チェックアウト
最後に、チェックアウトを兼ねて、「今後やってみたい事」についてシェアがありました。
参加者の多くは「モノづくりに」関心が高く、前向きな発言が聞かれ「やりたい」を多く持ち帰りました。

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総括
職人さんにお会いするという貴重な体験でした。
溝渕さんのお話から「職人さん」に対する距離感がぐっと縮まったように感じました。「創造すること」は私たちの日々の生活にも通ずるものがあり、自分自身の生活にも活かしていきたいと思いました。
改めて「モノづくり」の素晴らしさにふれた講座となったように思います。


(レポート:時久あすか)


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